第34話 二十数年の時を超えて……

『でゅふふ……さぁて……!』


『い、いやっ……た、助けてぇ……トーガくんっ……!』


『エ、マぁ……!』


 血で霞む視界の中、俺はエマ必死に手を伸ばす。

だが、届かない。手を握ってやることができない。


 代わりに、彼女の細い腰をしっかりと掴んでいる悪漢ボン・ボンが腰を大きく動かした。


『いやああぁぁぁぁーーーー!! ああぁぁぁぁぁーーーー!!!』



ーーもう二十数年前の話だ。


 若がえったり、成功を重ねたり、ボン・ボンに復讐を果たしたりしたことで、多少はこの時の感じた痛みや悔しさは和らいだ。 


 だけど、やはり時々、この時のことを思い出してしまう。


 俺はきっとこの先も、この出来事に囚われ続けるのだろう。


 かつてはこの記憶のせいで、俺は腐った、不貞腐れた人生を歩んでしまっていた。


 でも、今はこの記憶があるおかげで、大切な人を……パルや、ピル、そしてモニカを支え、守ってゆきたいという強い使命感を持ち続けることができている。



⚫︎⚫︎⚫︎



「よく信じてくれたな……」


ーーそして二十数年の時を経て……俺は今、あの時助けることの初恋の人を、胸の中に抱いている。


「最初はなんとなく……でも、研究室で肩を寄せ合って、あなたの魔力経路を身近に感じたら、それで……あとはモニカの、娘の話も……」


「モニカが俺のことを?」


「凄く才能があって、優しくて、かっこいいリーダーだって、あの子言ってたわ。それで気になって名前を聞いたら、トーガ・ヒューズだなんて言い出すんですもの。あの時は驚いたわ……」


 陰でモニカは俺にそんな評価をしていたとは驚きだった。

正直、こんなことを聞いてしまえば、明日から正面をきってモニカと話ができるか怪しいところである。


「でも、なんでその姿に?」


「それはえっと……信じられない話かもしれないが……」


 ここまで来て、お茶を濁すのは得策ではないと考えた。

それに、きっと事件の担当をしているエマならば信じてもらえるかもしれない。


 だから俺は俺の真実を包み隠さず彼女へ話す。


 二十数年間腐っていた俺は、妙な男からアゾットという剣をもらい、それで自害したところ若返ってしまったことを。


そしてそのアゾットには、今回の事件に関与している赤い粉末と同質の、赤い宝石がはまっていたことも。


 あえて"クーべ・チュール"の名を伏せたのは、エマをまた危険に晒さないためだ。


 かつてボン・ボンの時がそうだったように、彼女は人一倍正義感が強く、クーベ・チュールの名前を知った途端、一人で突っ走りかねないからだ。


「ちょっと、それって……!?」


「もしかすると俺も、この事件に関与しているのかもしれん……知らないうちにではあるが……」


 するとエマは突然、抱擁を振り解いた。

そしてすぐさま、俺の手首を掴んでベッドへ連行してゆく。


「お、おい、エマ!?」


「いますぐ脱いで!」


「ぬ、ぬぐ!? いや、しかし……」


「いいから早くっ!」


 エマは俺の上着を脱がせた。

そして半裸状態の俺をベッドの上へ押し倒す。

しかしその表情にいやらしさとか、そういうのは全くなく、むしろ憂いているように映る。


「あなたも資料を見たでしょ!? もしもトーガ君が、あの赤い粉末の被害者なら、体が魔物に変化するかもしれないのよ!?」


 エマは焦った様子で俺へ手をかざし、解析魔法を発動させる。

どうやら俺の魔力経路を診断してくれるつもりらしい。


「きゃっ!?」


 俺の体とエマの手の間にバチン!と大きな火花が散った。

おそらく、強大となった俺の魔力経路を、手といった小口径で解析を試みたため、扱いきれず反発を起こしたものだと思われる。


「な、なにこの魔力は……? こんなに強力で、最適化されているのなんて、見たことがないわ……」


「魔術大学校の立派な教授になった君に、そこまで評してもらえるなんて光栄だな」


 これはあくまで俺の直感ではあるが……俺は自分が魔物にならないのではないかという予感があった。


 それほど、この変化した魔力経路は体に馴染んでいるし、おかしな変化も微塵も感じられない。


 まるでこの状態が生まれ持っての姿のような、そんな感覚なのだ。


「し、仕方ないわね……」


 と、エマは恥ずかしそうに呟いて、纏っていたローブを脱ぎ捨てる。

そして暗色だが、きめ細やかな彼女の美しい肌がうっすらと透けて見える薄いベビードール一枚の姿となった。


 二十数年が経ってはいるが、それでも当時からスタイルの良さは崩れていなかった。更にとてもいい具合に女性として成熟している。

そんなエマの身体を前にして、俺が息を飲んだのは言うまでもない。


「ごめんなさい、私の身体なんて見たくないわよね……」


 今の"ごめんなさい"はきっと自身の年齢と、そして二十数年前の事件のこと、どちらの意味も込められた"ごめんなさい"なのだと思った。


「いや、謝らなくてもいい。むしろ、君のそういう姿が見られて嬉しいと思っている」


 俺は心の底からの本心を述べた。

するとエマは、娘のモニカのように嬉しそうにほほ笑む。

そして霰もない姿のエマは、恐る恐る俺の上へ跨ってくる。


「少し、くすぐったいかもしれないけど、我慢してね?」


 そういってエマは、俺の手をぎゅっと握りしめ、身体を寄せくる。


 年齢を感じさせないエマの身体の柔らかさは、俺に強い興奮を呼び起こす。


 肌と肌が触れ合うたびに、くすぐったくはあるけれども、彼女の心地よい感触が身体へ流れ込んでくる。


ーーこれは決していやらしい行為ではない。エマは自分の身体の全てを使って、膨大な魔力を秘めている俺の魔力経路を診察してくれている。ただそれだけだ。


「はぁ……はぁっ……んっ……」


 エマは艶かしい吐息をあげつつ、俺から浴びせられている強大な魔力に耐えている様子だった。

そうとはわかっていても、なにか別のことをしているような感覚に陥り、俺は息を荒げてしまっていた。


「……終わったわ……どこにも異常は無し。安心して……」


「そうか、ありがとう」


 俺がそう告げると、エマは握ったままの手を更にキュッと結んでくる。

そして診察が終わったにも関わらず、より深く俺の胸板へ顔を埋めてきたのだった。


「……旦那さんは、その……今夜は仕事か……?」


 いくら診察のためとはいえ、既婚者とこのような行為をと罪悪感が生じ、そう問いかけた。


「……亡くなったわ、2年前に……」


 エマは寂しそうに答えた。


「じゃあ、モニカは……?」


 俺はエマがエマと分かった瞬間から、ずっと聞きたかったことを質問する。


「安心して、あの子は旦那との……ティム・レイ教授との子供よ。あの事件でできた子供じゃなくて、私が望んで産んだ子よ……」


 ずっと気がかりだったことに対して、とても良い真実が存在していたことに俺は深く安堵した。

 モニカは、エマが望み、そして産んだ子だったという真実に……。


「そうか、それは良かった。もしよかったら、教えてくれないか? 君があの事件の後どうなったのかを……」


「……」


「エマ……?」


「あ、ごめんなさい……い、いい加減、こんな体勢のままだなんて、ダメよね……」


 エマは俺の質問に答えず、ばつの悪そうな顔をして視線を逸らし、固く結んだ手を離そうとしてきたのだが……俺は離すまいとより強く握り返す。


そしてそのまま若い身体の筋力にものを言わせ反転し、エマをベッドの上に沈める。


「トーガ君……?」


「離すもんか……絶対に……エマの手を、もう二度と……!」


 気が付けば俺の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ち、エマの細い首筋に落ちてゆく。


 二十数年前のあの悲劇のとき、俺がどんなに手を伸ばしても届かなかった。


 ただ悲惨な目にあっているエマのことを、指をくわえてみていることしかできなかった。だから、俺は今、その代わりと言わんばかりに彼女の手を強く握りしめている。


「旦那ね……ティムはね……最期の時、言ってくれたの……これからは自由に、幸せに生きなさいって……自分の存在に遠慮などせず、私が幸せになるよう……そしてできることなら、失った青春を取り戻しなさいって……」


「なら……!」


 俺は涙を振り払い、再びエマの顔を見据えた。

するとエマは困った顔をする。


「もう、すっかり気持ちまで若返っちゃって……ダメよ、そんなの」


「嫌なのか……?」


俺が正直な不安を口にすると、エマははっきりと首を横へ振って見せる。


「そんなわけ無いじゃない! でも、今の貴方の側には、貴方のことを一生懸命支えてくれているシフォン人の姉妹がいるでしょ? それにモニカだって……こんな格好で、貴方の胸に抱かれている私が言えたことじゃないけど……あの子たちから、あなたを横からさらうだなんて真似したくないわ……」


 やはりエマが大人だ。昔から彼女は俺よりも遥かに冷静だったと思い出していた。

そんな彼女のおかげで、俺は冷静さを取り戻すことができた。


「すまん、いきなり……」


「良いのよ。でも、もし良かったら……」


 エマはそう躊躇いがちに言いつつ、身を寄せてくる。


「今夜はこのまま、お話して良い? 私も知りたいの。こうして再会するまでの貴方が、どんなふうに生活をしてきたかを……」


 そう甘てくるエマは、二十数年前、一緒に故郷を飛び出したころのようにとても愛らしく、胸が高鳴る。


「……わかった」


――二十数年の時を超えて、俺とエマの止まった時間が再び動き出した。


 俺たちは失った時間を取り戻すかのように、抱き合ったまま夜通し、お互いの半生を語り合う。


 そうして俺は、更なる安心感と少々の恥ずかしさを覚えるのだった。

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