第33話 エマ教授の涙
「どうぞ、おあがりください。なにぶん、案件が案件だけに、持ちだしが難しい資料が多いもので……」
「お、お邪魔します……」
なんということだろうか……エマと再会して、いくばくも経たないうちに、俺は彼女の家へ招かれてしまったではないか!?
「まさか、こんなにも早くモニカと一緒にお仕事をする日が来るだなんてねぇ。ちゃんとできる?」
「で、できるよぉ! あたしだって……も、もうSランク冒険者なんだよ、お母さん!」
どうやらエマは、あの壮絶な体験から立派に立ち直り、魔術大学校の教授にまで上り詰めていた。
とても喜ばしいことだと思った。
と、同時に、過去のトラウマを言い訳に腐っていた昔の自分を恥ずかしくも思う。
そうして俺たちは、様々な魔道具が並ぶ、エマ教授の研究室へ案内される。
そして早速教授は多数の資料を用意してくれた。
「まず、本件は騎士団の中では"人の魔物化現象"と言ってますが、厳密に言えば違います。人が突然、オークやゴブリンになるといったことではありません」
エマは一つの巻物を紐解く。
瞬間、目の前に晒された図表に、パル、ピル、モニカの3人は息を呑んだ。
俺も俺とて、この醜悪な図表に意表をつかれている。
「こ、これが、魔物になった人、ですか……?」
「ええ。目撃証言を元に、私の描いたものですので、多少は想像が入っていますが、ほぼこの形で間違いないと思います」
変形した身体……というにはあまりにねじれ過ぎている。
そうと言えるほど、目の前の図表は異形であり、かつて人間だったとは想像できない。
「さらにこの現象を発症した人間は一様に、理性を失い、獣のように暴れ回ります。これを騎士団では魔物と称しています」
「この変形はもしや、魔力経路手術で……?」
かつて、この国には悪名高い"魔力経路手術"という技術が存在した。
これは生まれつきの要素が強い、魔力経路の乱れを人為的・外科的に治そうという試みで開発された技術だ。
しかし、あまりに失敗例が多く、逆に後遺症ーー体の変形ーーの方が問題視され、現在は禁止されている。
実際、かつての俺もこの手術を受けようと考えたことはあったが、前述の後遺症への懸念や、そもそも金がなかったため受けられずじまいであった。
「さすがですね、トーガ・ヒューズさん。しかし、こんなに全身に渡って手術をすることなど、命に関わる問題ですし、もし仮に手術だったとすれば、患者は相当な苦しみを伴いますよね。常人では到底耐えきれません」
「ですよね」
「ですから私は、これが外科的な術ではなく、内科的な要因で引き起こされている思います。こちらがその証拠です」
エマは平然とした顔で、魔法薬の入った浸された肉塊の入った円筒を差し出してくる。
3人の娘たちは当然、それをみて顔を真っ青に染めていた。
しかし俺は臆せず、その円筒を受け取り、解析魔法を施す。
「これは罹患者の胃袋ですね? まさか、ここにまで魔力経路の乱れが生じているだなんて……しかもこの変形の度合いは……」
「おそらく、この胃が変形の起点になっているかと思います。そしてこの赤い粒は、その胃から摘出された粉末です」
更にエマは、密閉容器に内包された、"赤い粉末"を見せてくる。
その粉末にてり具合を見て、俺にはピンとくるものがあった。
「これが罹患者の胃の中から?」
「はい。これがなんなのか、私にはわかりかねます。ただ、これを服用したことで、魔力経路が書き換えられ、その結果人が異形に変化してしまう。そう、私は踏んでいます」
この赤い輝きは間違いない……これは、あのアゾットとかいう剣に嵌っていた赤い輝石と一緒のものだ。
⚫︎⚫︎⚫︎
エマ教場からの、情報提供はかなりの時間を要した。
そのため、今夜は彼女の家に泊まることとなった。
(どれ、もう少し事件の件を考えてみるか)
家の中だけならばと、教授から事件に関する資料を借りていた俺は、これまでの発症者のリストへ視線を落とす。
(廃業した飲食店の店主、没落貴族に、Eランク冒険者、か……)
他にも実績が頭うちの中等級冒険者と思しき名前がある。
(いずれの人物も、何かしらの"心の闇"を抱えていそうだな……)
心の闇と、見知った赤い輝き。
その二つに覚えがある俺は、その点を結ぶのが"あの男"ではないかと考え始める。
(まさか、この事件の首謀者はクーべ・チュールとかいう、行商人が? しかしなぜ……? それに……)
そうなれば俺自身も、この事件に深く関わっていることとなる。
やはり、この件はエマ教授に素直に話した方が良いのだろうか……と、思っていた時のこと。
部屋の扉がノックをされた。
まさか、人様の家でもパルかピルが俺のことを求めて……?
嬉しいが、人様の家だしまいったな……
「こんばんは」
「エ、エマ教授!?」
先程までは事件解決に向けて、そこへ神経を注いでいたので、緊張はしなかった。
しかし、何もないまま、こうして彼女と向き合うと、胸が痛く苦しい。
「なにか御用ですか、教授?」
だが俺は平静を装って、教授へ要件を問いかける。
なぜか若返ったとか、俺が事件に関係しているかもしれないとか。
そんなことを捲し立てて、その上で俺が"君の幼馴染だったトーガ・ヒューズ"と語ったところで、無用な混乱を生むためだと思ったからだ。
「いえ、その……資料が足りているかなと、思いまして……」
教授はいやに静かな声音で、扉をパタンと閉めつつそう言った。
そうしてこちらを向いてきた教授の赤い瞳からは、ボタボタと大粒の涙が溢れ始めている。
「どうされたのですか……?」
「あら、ごめんなさい……急に……変、ですよね……」
「そうですね。いきなりこうやって泣かれてしまっては、気になってしかたありません」
期待を込め、少々意地悪だとわかりつつも、そういった。
すると教授はまるで、娘のモニカのような、かつてのような困った笑顔を浮かべる。
「本当、よく似てます。そういう意地悪なところとか……」
「だ、誰かに、俺が似ているんでしょうか……?」
「ええ……もう二十数年前になりますけど、私の幼馴染で、初恋の方に……しかも名前も一緒なので……だからつい嬉しくなって、こうやって来てしまいましたが……こんなおばさんが迷惑でしたよね……ごめんなさい……」
エマ教授は涙を拭い、一方的にそう言って部屋を出て行こうとしていた。
俺の自由を取り戻した右足は、自然と一歩を踏み出しーー
「ーーっ!?」
「信じてもらえないかもしれないが……俺だ。同姓同名でも、別人でもない。俺が君の幼馴染だったトーガ・ヒューズなんだ!」
俺は教授を背中から抱きしめつつ、破れかぶれに言い放った。
もしもここで、突き飛ばされればそれでも良い。
むしろその方が、教授とは仕事上の付き合いだと割り切ることができようになる。
「うんっ……わかってた……」
だが、教授は、エマはキュッと俺の手を握り、絞り出すようにそう言ってきた。
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