癒される話【破】

「ヒロキ先生。それ、マズイですよ」

 誰かが僕の目の前を指差して言った。

 でも何がマズイのか僕には分らない。

 僕を先生と呼ぶあなたは誰ですか。

 僕は何をしているのでしょう。

 思い出せない。

 分かっていることは、そう、僕が先生だということだった。

 

 僕は幼い子供たちの先生をしている。

『幼い子供たちの先生』になることを選択したのは、僕自身が幼い頃に虐めに遭っていたことが要因のひとつだった。

 ――いや、全部と言っても過言ではない。


 僕は小学校入学前の一年間だけ、幼稚園に通っていた。

 そこに通う子供たちは既に幾つかの仲良しグループを形成しており、新参者の僕が入り込む余地はそうそう見つけられなかった。

 僕の家は当時祖父母と二世帯同居しており、ひとりっ子の僕は大人たちに囲まれて育った。

 大人の顔色を窺うことばかり上手になって、その歳まで同年代の子供と遊ぶ機会もそうなかった僕は、だから『子供』との距離の取り方がまったく分らなかったのだ。


 グループの外側でぽつんとしている僕は、おとなしくて気が弱そうに見えたことだろう。

 更に悪いことに、僕の容姿が彼らの興味を引いてしまったのだ。

 僕は子供の頃からよく「女の子みたいに可愛らしい」と言われてきた。成人した今もたまに言われる。子供の頃なら尚更、ことだろう。


 ある日、数人の少年たちに声をかけられた僕は、驚きと、これで友達ができるかもしれないという喜びに打ち震え、気分がとんでもなく高揚したのを覚えている。

 そんな僕に彼らは言った。

 まるで「おにごっこしよう」、そんな楽しい遊びを提案するかのように。


「しんたいけんさしてやるよ」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

「おまえがホントにおとこかどうか、オレたちがけんさしてやる」 

 言うが早いか、僕の身体は押さえつけられ、あっという間に半ズボンごと下着をずり下ろされてしまったのだった。

 驚愕と羞恥心で、僕の身体はそのまま凍りついてしまった。

 対照的に少年たちは、水を得た魚のように活き活きとし、そのつぶらな瞳は生気に満ちて、喜びに弾け飛んでいた。

 僕の下半身を指差しては楽しくて仕方がないと言わんばかりに笑い、手拍子を打ち鳴らし、その波が伝播したかのように踊り狂う子供たちに取り囲まれた。その中には女の子も何人もいた。


 ――怖い。

 あの時僕は、怒りや悔しさよりも、確かに恐怖を感じていたのだ。

 彼らがまるで得体のしれない、自分とは別の生物イキモノに見え、怖ろしく、涙さえも引っ込んでしまった僕は、その瞬間から揶揄いと侮蔑の対象となった。


 そんな虐めが止んだのは、僕が小学校四年生になり陸上部に入部した頃だった。

 小学生になっても相変わらず教師や保護者の受けばかりが良い僕は、その分『同年代の子供たち』との距離感が掴めずにいた。

 同じ幼稚園だった子供たちの執拗な虐めが続いている中、僕と友達になろうと思う子供がいる筈もない。


 けれど彼らは勘違いをしていた。

 僕は、ただ気弱なだけの子供ではなかった。

 やられてもやり返したりはしなかったが、泣くことも逃げ出すこともしなかった僕は、どうすればこの状況を変えられるのかをひたすら考えていた。


 距離感が分からないのなら学べばいい。

 その回答に辿り着いた僕は、部活動を通じて上下関係や集団生活を学習することにした。

 部活動とは、部内のルールに則り集団行動を強いられる場である。否が応でも連帯感が強くなる。一種のテリトリーだ。

 それに、これは消極的な考えだが、友達と呼べる存在はできなくとも部活仲間はできるだろうと思った。


 対面で敵と点を取り合う競技には抵抗があった僕に、陸上部は性に合っていた。

 陸上競技は己との戦いだ。

 昨日の自分。一本前の自分。とことん己を見つめ直し無心で身体を動かす。

 個人競技と思われがちだが、とんでもない。

 団体競技ももちろんあるし、個人技でも隣のレーンには切磋琢磨する仲間が必ずいる。

『独り』では決してない。

 心と身体を鍛え続けた結果、徐々にだが理解者も増え、遂には虐めに打ち克つことができたのだった。


 僕は現状を打破するべく、自分で考え行動に移した。

 諦めず挫けなければ、困難は克服できるのだ。


 それでも――それでも、と思わずにはいられない。幼稚園のあの頃、誰でもいい、ひとりの大人でいいから、僕たちの異変に気づいてくれていれば。

 子供たちの手口は迷いがなく、実に巧妙だ。

 一見して無邪気に振る舞っているように見えても、大人の目に触れないようにと、計算され尽くしている。

 被害者が訴えでもしない限り、表沙汰になることはないだろう。そうなればもう誰にも気づいてもらえない。

 もしかしたら、気づいていて気づかぬ振りをしていた大人もいたかもしれないが……。


 いや、やめよう。過去のことはもういい。

 それよりも僕は、僕のような子供をひとりでも多く救いたくて先生になったのだ。

 の僕ならば子供たちの異変にもいち早く気づくことができるだろう。もちろん僕ひとりの力なんてたかが知れている。同僚や先輩方と協力し合い、子供たちが安全で楽しい毎日を送れるように、細心の注意を払い異変の芽を摘み取ってきた。


 上手くいっていた筈だ。

 だって僕の受け持つクラスは、みんな仲が良い。男女の別なく一致団結してしている。

 だから、どこで間違ったのかが分からない。

 いや、結局僕は『子供』との距離の取り方を、未だに分かっていなかっただけなのだ。





  続

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