ヤマガミさんの話
「カズヤ、ちょっと」
ボディラインがくっきりと浮かび上がるブラックフォーマルに身を包んだ姉に促されて、僕は待合室を出た。
火葬が終わるまでの待ち時間だった。
僕は無言のまま姉の後について行くと、そこは葬儀場の敷地の外れで、その先に喫煙所が見えてくる。屋根も囲いもない、ただの広場。
密談するにはいい場所だった。
しかしさすがの田舎町。街中じゃ喫煙スペースなんてまったく見かけないのに、当たり前にそこにある。
離れてぽつんぽつんとふたつ並んだ灰皿の向こうに喪服のおじさんが三名。
確か、近所の町民のみなさんだったと思うが、昨日この町に到着したばかりの僕には生憎と判断がつかなかった。
「ったく、疲れるわぁ」
喫煙所の片隅で細い煙草に火を点け深く吸い込んだ姉が、煙と一緒に不満を吐き出した。
なんだよ。深刻な顔をして僕を連れ出すから姉もこの葬式がどこかおかしいことに気づいているのかと思ったのに、ただの愚痴だった。
僕は呆れて、葬式だっていうのにきっちりメイクに美しく髪を巻き上げた姉をしげしげと眺めて、気づかれないように嘆息した。
三年前に心筋梗塞で他界した父方の祖父。
その『祖父の兄』という人が亡くなったと連絡があったのは、三日前の仕事中だった。昼休憩までもう少しという時分に実家の母親から電話がかかってきたのだ。
訊くと母が葬儀に出ろと言う。
親戚と言ったって遠縁で、生前一度も会ったこともない年寄りの葬式に、なんで仕事を休んでまで出なければいけないのか。
そもそも祖父の時は家族葬だったこともあって、本家に連絡こそすれ誰も呼びはしなかったし、向こうからも改めて誰かが来ることもなかった。
親戚ったって、所詮はその程度の繋がりじゃないか。僕はそう言って断った。
すると母が、普段おっとりと穏やかな母が「カズちゃんも家の血を引く立場なのよ!」とすごい剣幕で言うものだから、従うしかなかった。
その『祖父の兄』が住まう、いや住んでいた所謂『本家』は、北海道の山間部にある▲▲町という所で林業を営んでいるらしい。
▲▲町なんて一度も行ったことがない。
ネットで調べると人口3,000人足らずの小さな町で、普段僕らが暮らす札幌からは自動車で片道4時間以上もの距離があった。
最悪だ。今が冬場でなかっただけラッキーだと思うしかない。
僕は簡単に泊りの用意をして実家に寄り、母に喪服を出してもらうと父を伴ってナビを頼りに愛車を走らせた。
途中で姉をピックアップする。
不思議なことに母は来なかったし、
長い道中、父が言うには、祖父の実家は元々は杣人だったらしい。
「あの辺じゃあ、みんながそうだったと聞いてる」
狭い集落に身を寄せ合うようにして暮らす杣人たち。助け合い、自然に生かされ、自然と共に生きる村人。
その内にいくつかの家が会社という形を取り始める。祖父の実家が会社を興したのは昭和の中頃だったらしい。
家業は
父も本家には子供の頃に数回、遊びに行った記憶があるらしいが、なんにせよ僕が生まれる以前の話だ。
そんなことよりも僕には気になって仕方ないことがあった。
まずはその集落。
自然に生かされ自然と共に生き――なんて、昨今流行りの『因習村』っぽくないか?!
山の神様なんかが出てきそうじゃないか。
こう見えて僕はオカルト系に目がない。
ホラー小説を読み耽り、ホラー映画や怪談師の動画を観まくる。
学生の頃は女の子を誘って肝試しにもちょくちょく行っていた。
今となってはいい思い出だ。
ちなみに現在は怪談ライブに足蹴く通っていたりする。
それから、もうひとつ。
これは現場に着いてみないと確かなことは分からないけれど、今回の葬儀はなんだか普通じゃないような気がする。
オカルト好きの勘が騒ぐ、なんてね。
とにかくあんなに嫌々だった僕だけれど、不謹慎だが今は少しこの旅が楽しみでもあった。
「そもそもなんでうちの旦那とかお母さんは来てないのに、このわたしが来なきゃいけないワケ?こんな僻地にさぁ」
姉の毒づきが鼓膜を刺して僕は我に返った。
姉よ、気持ちは分かるがもう少し声を落としてくれ。先客たちに聞かれちゃうよ。
「叔父さんも来てないのよ!カズあんたどう思う?」
姉が喋るたびに紫煙が僕の顔面を襲った。
受動喫煙反対!
けれど案の定だった。
僕たちは昨夜の19時過ぎ、通夜の途中で到着した。その後に少し遅れて父の妹である叔母と
母が言っていたあの言葉――血を引く立場。
喪主家族を除くと、葬儀の参列者は林業の組合員や会社の上役風なおじさんたち。
ご近所さんと思しき年配の男女が複数人。
本家の親族連中は正直、誰が誰だかさっぱり分からなかったが、分家筋のこちら側は血縁者のみが集められたようだった。
姉が短くなった煙草を揉み消して新たな一本に火を点けるまでの僅かな静寂、先客おじさんたちの話し声がぼそぼそと聞こえてくる。
僕はその声に耳を澄ました。
「……今回で六人目だぁ。この三年でだど」
「元から年寄りの多い町だども、それにしたって多いべや」
「半年前は坂の下の孫。高校生の……」
おっとそれはもしや、この▲▲町での死人の数?高校生までいるの?死因はなんだろう。
若いからと言って命を落とさないとも限らないけれど、それは気になる情報だ。
「やっぱあれだべ?
「ああ、麓のスキー客が熊さ見たって騒ぎだしてな」
「したっけなんもしねぇわけにいがねどもさ、日が悪がったもな」
おお!『ヤマガミさん』て山の神様?!
まさか
それに忌日か。後でスマホで調べておこう。
それにしても方言きっつ!
「……ちょっとカズヤ!聞いてんの?!」
姉が吐き出す煙と煙草臭い息がさすがにウザくなってきた。
帰ったら愛煙家の恋人に、さりげなく禁煙を勧めようと思う。
「その前の年に職員の若けぇのが入ったのが最初だったと思うよ」
「おお!あれ俺はやめとけ言ったんだよ。女の子さ生まれたばっかしではダメだっつって」
「したっけ外の
そこまで言っておじさんたちは会話を中断した。一服を終えて待合室まで戻るのだろう。
こちら側に歩いて来る。
姉も口を閉じた。
今の話を聞いてなんとなくだけれど、数年前に山の禁忌を犯したせいで人死にが続いてる、そう言いたいのだろうと理解した。
今回の本家の件もその内のひとつだと、町民たちは思ってるって感じか。
ますます『因習村』めいてきたじゃないか。
そんなの迷信だと分かっちゃいるけど、オカルト好きには堪らない展開だ。
「……お兄さんたち」
すれ違いざまに突然声をかけられて、思わず肩がびくっと跳ねた。
「この度は大変だったね。いくら葬式だからって、こんな僻地にまで呼ばれてさ」
うぇ。さっきの姉の発言、聞かれてたっぽいな。気まず!
当の姉は完璧な作り笑いで「いえそんなおほほ」なんてやっている。
女性の順応力の高さ、見習うべきか否か。
「けど山神さんも無差別だもの。おたくら分家筋にまで飛び火しちゃなんねって、本家さんも考えてのことだでね」
「分家さんは普段どこにいんの?札幌?ああ、したらさすがに大丈夫だべ」
「告別式の後に町の者さ集まって色々話あっけど。まぁ田舎の迷信だど思って」
言うだけ言って笑顔で立ち去ったおじさんたちの背中に、姉がぽつりと呟いた。
「……なに、今の?」
まったくだった。
無差別――飛び火?
まさか。血縁とは言え僕たちは遠縁で、そもそも林業になんて係わってもいない。
ありえない。関係ない。
今のおじさんたちも深刻な感じではなかったし、それこそ本当に信じているわけではないのだろう。
けれど気になることがある。
僕はポケットからスマホを取り出し検索した。
山神の忌日。
三年前、祖父が心筋梗塞で帰らぬ人となったのは、忌日の二週間後だった。
くだらない。それこそ偶然だ。
いくらオカルト好きだからって、なんでもかんでも結び付けて考えるな。
こちとら、オカルトのネタになる気はないんだよ。
ああ、あんな話、聞くんじゃなかった。
告別式の後、話があるって?
知るかよ、田舎者同士でやってろよ。
ああ、こんな集落に来るんじゃなかった。
「カズヤ、戻るわよ」
姉がそう言って歩き出すけれど、僕の足は、その場に打ち付けられたかのように動かない。
ただ僕は、一日でも早く恋人の待つふたりの部屋に、何事も無く帰りたいと願っていた。
帰ったところで——
了
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