そして円環は閉じられた

皐月あやめ

懐かしい話

「これ、ミキちゃんの地元じゃない?」

 ふたり掛けの小さなソファに窮屈そうに寝そべって、クッションを抱きしめながらTVを観ていた同棲中の彼氏が、こちらに首だけを向けて言った。


 ローテーブルには発泡酒が一缶にチーカマが転がっている。

 風呂上がりのわたしはパジャマ代わりのTシャツにハーフパンツという格好で、バスタオルで髪を拭きながら冷蔵庫を開け、白ぶどう味の缶酎ハイを取り出した。


 狭いリビングに足を踏み入れると、彼氏が上体を起こしてソファにわたしが座るスペースを作ってくれる。

 腰掛けながらTVに目を向けると、怪談師がひとり語りする動画が流れていた。


 彼氏は最近、コレ系の動画ばかり観ている。

 わたしも嫌いじゃないから、別にいいんだけどさ。

「この人、ミキちゃんと地元が一緒なんだってさ」

 へえ、あの田舎町出身?この人が?

 動画には三十代半ばくらいの男性が映っていて、画面下にプロフィールのテロップが流れていた。出身地は見逃したけれど、同時に本人が話している。


『僕は北海道の〇〇市っていう町で生まれたんですけどね』

 本当だ。〇〇市はわたしの地元だ。

 あんな田舎から怪談師が出るなんてビックリだ。まあ作品がアニメ化した漫画家もいるし、今どきは田舎とか都会とか関係ないのかも。


 それにしても懐かしいな。

 進学のために札幌に出てそのまま就職したわたしは、もう何年も地元に帰っていなかった。

 お盆休みも年末年始も、一応は実家に「今年は帰ろうかな」なんて連絡を入れるのだけれど、毎回返事は一緒。

「帰って来たってなんもないしょや。こっちから遊び行くから、札幌案内してよ」

 そんなわけで家族には会っているのだけれど、地元の地はしばらく踏んでいないのだった。


『うちの親父が転勤族でね。僕も高校まで道内を転々としてたんですよ。今回は小学校四年生の時に住んでいた、※※町という町で体験したお話しなんですけどね』


「なんだぁ。ミキちゃんの地元の怪談じゃないのか」

 彼氏はそう楽し気に言って、発泡酒を呷る。

 わたしは、わたしは——


 ギクリとした。


 突然、※※町と聴こえてきて、耳を疑った。

 ※※町は海沿いにある漁村だ。

 ◯◯市の比じゃないくらいのど田舎。

 磯臭い小さな集落。小学校はふたつ。

 中学校と高校はひとつずつ。

 住民みんなが顔見知りで、近所の子供たちはみんな〝きょうだい〟の様にして育つ。

 

 なぜ知っているかって?

 それはもちろん、※※町がわたしのだからだ。


 ※※町で生まれたわたしは、そこで小学校五年生までを過ごした。

 北と西にひとつずつある小学校。その周りには同じように古ぼけた団地がそれぞれあって、わたしの家は北側の団地の四階だった。

 少ない部屋数と狭い間取りで、両親と姉とわたしの四人は寄り添うように暮らしていた。


 もちろん部屋は姉と一緒。

 仲が悪かったわけではないけれど、自分だけの『ひとり部屋』が欲しいと思っていた。

 子供らしい可愛い夢だ。


 その夢が叶ったのは、父親の転職で〇〇市に移り住むことになってからだ。

 中古のマンションは、それまでの団地暮らしが嘘のように快適だった。


 当時のわたしにしてみたら〇〇市は大都会。

 キレイな町並み。キレイな学校がたくさんある。空気も磯臭くなくて、楽に呼吸ができた。

 町全体が程よく他人に無関心なところも、都会っぽくてよかった。


 札幌に来てからは、出身地を訊かれたら◯◯市と答えるようにしている。

 彼氏にもそう話してある。

 札幌で生まれ育った彼氏には、ど田舎の漁村出身だなんて知られたくないもの。

 それはわたしのささやかな矜恃だった。


『僕はその頃、団地に住んでまして』


 わたしは缶酎ハイに口をつける。

 缶のフチに前歯が当たって、小さくカチカチと鳴った。

 

『深夜トイレに起きると、何となく居間の方が気になってね。見ると、卓袱台ちゃぶだいの上に誰か立っている』


 ゴクリと酎ハイを飲み込むと、炭酸が弾けて舌と喉がピリピリと痺れた。


『驚いてよく見るとそれは知らない女で、しかも卓袱台に立ってるんじゃなくて、なんと宙に浮いているんですよ——』


 怪談師は声に強弱をつけて、視聴者の恐怖心を煽り立ててくる。

 わたしはゴクゴクと缶酎ハイを一気に呷った。大好きな白ぶどう味なのに、やたらと舌に苦味が残った。


 それから空いた缶を下げにキッチンに立つ。

 そのまま換気扇の下で、わたしは煙草に火を点けた。

 その怪談を聴いていたくなかったのだ。


  ぼそぼそ。ぼそぼそ。

 TVから怪談が漏れ聞こえてくる。

 わたしは無視してわざとゆっくり煙草を吸った。大きく吸い込んだ紫煙をため息と一緒に鼻から吐き出した。


 一服を終えてソファに戻ると、何気なさを装ってまたTV画面に目を向ける。

 ちょうど話のシメに差し掛かったところで、怪談師は声をひそめた。


『どうやらその団地で、昔、首吊り自殺があった……と言うお話でした』


「なに、怖かった?」

 チーカマを咀嚼しながら、揶揄うように彼氏が言った。いつの間にかわたしは、彼氏の腕にしがみついていた様だ。

「怖がりだもんなぁ、ミキティ」

 また揶揄う。

 わたしは彼氏から離れて座り直した。


 別に、こんな怪談なんて怖くない。

 そもそもわたしは幽霊なんて信じていない。

 彼氏が喜ぶからコレ系のネタにつき合ってやっているだけだ。


 だからそうじゃなくて。

 わたしが危惧しているのは、そっちじゃなくて。


 今の怪談の舞台だった団地が、だったとしたら。


 いや、大丈夫だ。

 いくら小さな田舎町だったとは言え、団地はふたつあった。

 あそこに住んでいた時、怖い体験なんてしたことはないし、怖い話も聞いたことがない。

 ましてや自殺の噂なんて。

 それに、今の話が実話だなんて保証はないのだ。作り話の可能性の方が高い。


 ただ、それにしたって。

 最悪だ。聞かなければよかった、こんな話。

 なんて。

 

 動画では怪談師がまた違う話を始めている。

 彼氏が覆い被さってきて、「ミキ……」私の耳元で囁いた。

 上擦った声音と興奮した彼氏の鼻息が睫毛にかかって、その不快さに肌が粟だつ。


 やてめよ、そんな気分じゃないから。

 けれど今は、身体に滲み込んでしまったさっきの話を拭い去りたい。

 だからわたしは、わたしの唇を舐める彼氏の舌を受け入れた。

 それは、酎ハイよりも煙草よりも苦くぬめぬめしていて、ひどく不味かった。





  了



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る