第3話 終電逃しのサラリーマン

「う、う、うさぎ……?」


 深夜に運動をしていたら、やせ細ったサラリーマンと目が合った。


「この公園に、うさぎがいたのか」


 恐る恐る近づいてくる。


「いや、見間違いかもしれない」


 と頬をひっぱり、目を何度もぱちくりしてからまたこちらを見る。


「やっぱ、いるな。まちがいなく、いる」


 私が逃げないでいると、気持ちの悪い小走りで近寄ってきた。


「みーちゃん♪」


 と私を抱きかかえる。


 誰だみーちゃんって。


「終電逃した俺を、慰めにきてくれたんだねえ」


 ははあ。

 ストレスのあまり、昔飼ってたうさぎと私を同一視しているパターンだな。


「毎日終電帰りでさ、今日は遂に逃しちゃったんだ。会社には戻りたくないし、ホテルに行くのも面倒だし、タクシーは全然走ってないし」


 スーツで芝生の上に座り込む。私はあぐらの上に置かれたが、肉がほとんどなくて痛い。バタバタと彼の膝から逃げると、「待って!みーちゃん!」と必死な声で呼び止められた。

 みーちゃんではないが、振り返ってやる。


「俺、昨日電車にとびこみそうになって。でも『ダメだよ』って声が聞こえてさ。なぜか分からないけど、みーちゃんの声だ!って思ったんだ。そしたら今日は会いにきてくれて、嬉しかった。だから、逃げないでくれ!」


 カップルが遠巻きに、こちらを見ている。関わらない方がいいと、足早に歩き去っていった。

 サラリーマンの髪はぼさぼさで、大きなめがねがずり落ちている。心身ともに余裕がないのはよく分かった。

 自力で生きてくのは、大変だよな。私は同情して、ぴょんとひとけり近づいてやった。


「みーちゃん。ごめんね。怖がらせて」


 サラリーマンはほっとしたのか、そのままばたんと倒れてしまった。

 気絶したのかと驚いたが、安らかな寝息をたてている。

 自分のねぐらで寝ないことにはリスクがある。しかし人間はきっちりしすぎだ。たまには外で寝るのもいい。

 今日は少し寒いので、私も暖をとりたかったところだ。サラリーマンの首あたりにすり寄る。


「みーちゃん……俺……ずっとここにいるよ……会社は、潰れたんだ……上司もライオンにかみ殺されてさ……フフフ」


 寝言だろう。不思議なことに、人間は寝ているときもしゃべる。

 サラリーマンの体の上を跳ねてみたら、思ったよりも楽しかった。

 無心ではねていると、いつの間にか朝になる。


「えっ?だ、大丈夫ですか?」


 散歩や通勤の人がちらほら現れ、倒れたサラリーマンに気づいた女性が駆け寄ってくる。

 私はサラリーマンの脇に挟まっていたが、反射的に逃げる。茂みから、様子をのぞいた。


「聞こえますか?」


「みーちゃん……」


「ど、どうして私のニックネームを?」


 女性の頬が、少し赤くなる。


「……ん?」


 目を覚ましたサラリーマンは、がばっと身を起こした。


「ここはどこですか」


「中央公園ですよ」


「えっ。あ、そうだ。昨日終電逃して、寝ちゃって」


 サラリーマンは立ち上がるが、ふらりと倒れてしまう。


「仕事に、行かなきゃ……」


「やめた方がいいんじゃないですか。一度病院に行った方がいいですよ」


「今日も会議があって。昨日残業して作った資料の、会議が」


「でも、そんな土まみれのスーツじゃ」


「こんなの払っておけば大丈夫です」


「背中も土まみれですよ」


「なんで?」


 みーちゃんのせいです。


「これじゃ、電車にも乗れない」


「今日はもう、帰っちゃいましょうよ。タクシーで。会社にお休みするって電話してください」


「でも……」


「じゃあそんなかっこうで、電車乗って会社に行けますか?客観的に見て、非常識ですよ」


「す、すみません」


 サラリーマンは会社に電話をかける。相手は目の前にいないのに、ペコペコと頭を下げていた。


「できましたか?」


「午前だけ、休みをもらえました。着がえて、少し休んで、出社します」


「ちゃんと歩けないんですから、今日はもう休まなくちゃ」


「いいんです。それより、午前休でもとれたことは、俺にとって大進歩なんですよ。すぐビビっちゃって、いっつも人にヘコヘコしていて……。あなたのおかげです。ありがとうございました」


 言われた女性は「大したことじゃないですよ」と照れ笑いした。


「タクシーがつかまるところまで、お手伝いしますよ」


「いいえ、そんな、申し訳ないです。服だって汚れるし」


「このままおいていけません」


「すみません……。クリーニング代をお渡しします」


「いいんですよ。それより、ランチでもおごってくださいよ。ちょっとお高い、ホテルのランチなんか」


「え」


 おいおい、2人の空気、ぽわぽわしているぞ。うさぎにも分かる。恋のはじまりだ。

 あのサラリーマンはうさぎを捨てずに可愛がったようだし、幸せになればいい。



【今日の人間】

 やせた人間は食べられる部分が少ない。ストレス過多も重なって、肉の質が落ちているに違いない。ああいったものは、食べるべきではない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る