11
*
「……っつあ~……両鼻が通ると脳に酸素が廻るわぁ」
猫背は伸びをする。背骨がゴキャゴキャと鳴った。人体から鳴る音かこれ。
薬局から帰ってきてからは、ひたすら勉強をしていた。学徒の辛いところである。昼は納豆を一パックだけ食べた。
あれだけ高かった日は今やすっかり西に傾いており、室内を橙色に染め上げていた。もう夕方かと思う反面、冬であれば今頃はとっぷり日が暮れているだろうと思えば、相対的にまだ早い時間だ。
勉強していれば時間は長い。ドラマを見ていると短い。時間とは薄情すぎるほどに相対的な生き物である。
ちょうど息抜きでもしようかと考えていたタイミングで、時計代わりに机上に置いていた携帯に通知が来る。
見れば、累だった。
猫背はメッセージに既読を付ける。
『今からそちらに伺えませんか』
『おいで~』
要件も聞かずに二つ返事。
『ありがとうございます』
チャットはそれだけだった。
数分後、鳴るチャイム。猫背が玄関のドアを開ければ、通学鞄を抱えた累が立っていた。
「いらっしゃい。今日はどうした……」
言いかけ、猫背は言葉を止める。
息を切らした累からは、常のような涼やかさが無かった。普段であれば学校終わりの放課後であっても疲れを見せない累であるが、今日はいかにも疲労困憊といった雰囲気であり活力が感じられない。
自慢の黒い長髪も少し乱れている。
「だいじょぶ? とりあえず上がって」
「……ありがとうございます」
累は確かでない足取りで部屋に入ると、いちおう部屋が片付いているかを確認して、
「ベッド借りて良いですか?」
と、猫背の返答を待つより先にベッドの方へ向かった。
「おぉおぉ、本当にどうした。熱ある感じ?」
「……ちょっと、学校でトマトを食べ過ぎてしまいまして……薬を飲んだんですが、それの副作用で頭が重くて重くて……」
累は制服のままベッドに転がる。
「このままだと、帰りのバスで絶対に寝過ごします……ちょっと仮眠したいです」
「……オッケー。なんぼでも寝な。いっそ泊まってっても良いよ」
猫背が言い終わるより先に、累は寝息を立て始めた。
三十分ほど経っても、累はぐっすり眠っている。猫背は音を立てないように部屋の隅で本を読んでいたが、存外面白くない作品だったのでそれを閉じてしまうと、足音を忍ばせてベッドに近づいた。
累は穏やかに眠っている。猫背はその顔を覗き込んだ。
累は全国大会に出場するほどの剣道女子である。普段の彼女は飄々としつつも隙が無く、常に周囲を観察して物事を言うような、そんな子であるというのが、猫背の認識だった。
それに対して、今、目の前で眠っているのは、警戒心も何もない、普通の女の子である。
「………………」
そんな累の顔を見ていると、昔のことを思い出してしまう。
まだ先輩も後輩も無かった過去。苗字の違いももしかしたら認識できていなかったかもしれない。表情を作らずに眠っている累は、昔のままの姿のようだった。
互いの家の距離が近かったから、よく一緒に遊んだものである。
(昔は本当の姉妹みたいに懐いてくれてたな……)
累が猫背に対して敬語を使い始めたのは何時ごろからだったか。
猫背は累の前髪を除け、額を撫でる。彼女の頭を触るのも数年ぶりである。
瞬間、累が目を見開いた。
「うおぉっ」
「ありがとうございます。生き返りました」
一瞬で目覚めた累が、ベッドから上体を起こす。猫背は一気に目を覚ました累に若干心臓を跳ねさせながらも「そ、そう、良かったね」などとぼそぼそ言う。
「本当にありがとうございます。危機を脱せました……では、私はこれで」
「あぁ待って待って」
鞄を持ち上げてさっそく帰ろうとする累を、猫背は静止する。
「その髪で外歩くつもり?」
「あ……」
累は思い至らなかったという風に自分の毛先を手繰る。長い黒髪は睡眠によって乱れ、枝毛が何本も跳ねていた。
「こっち来て。梳いたげるから」
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