10
*
薬局は十時開店である。その遅さが恨めしい。
「はぁっくしょ」
空気清浄機だけでは、花粉症に太刀打ちできない。猫背は今朝起きてから、くしゃみをしてばっかりだ。
薬の残量に気を配らなかったのが運の尽き。花粉症の薬が底を尽いていた。昨夜、寝る前に服用したものが最後。その効果も切れてきて、くしゃみと鼻水が止まらない。
(ぬかった……我ながら詰めが甘い)
くしゃみと鼻水と涙で、勉強どころではない。猫背は薬局の開店時間まで、空気清浄機に抱きつきながら過ごした。
本来なら春特有の暖かな香りを感じるところであろうが、鼻詰まりで嗅覚が壊滅しているので何も感じない。
駐車場はガラ空きである。猫背は開店時間と同時に店に着いた。花粉症の薬を二箱買い、店を出たところで一回分を服用する。ペットポトルの水で薬を押し流す。
「っぷはぁ~……生き返った」
これであと八時間は大丈夫。プラセボ的な効果で、もう鼻が通ってきた気がする。猫背はマスクを付けなおすと、帰路を歩き出した。
(……む?)
ふと気になって顔を上げれば、対面から見覚えのある顔が歩いてくる。プリン頭にやつれた顔。
早川だ。
心なしか先日に目撃したときより、目の下の隈が酷くなっている気がする。
向こうは猫背のことを知っているわけもなく、無言で脇を通り過ぎる。そしてそのまま、猫背がさっきまでいた薬局に入っていった。
こんな場所で早川に遭遇するとは意外だった。やはり大学の周りは意外と狭い。
猫背は早川の家の位置を思い浮かべる。この薬局は彼にとって最寄りではないはずだった。何か別の用事のついでだろうか。
早く空気清浄機のある自室に帰りたかったが、こうなってしまっては引き返せざるを得ない。猫背は薬局まで戻り、怪しまれない程度にその周辺をうろついた。
春の陽気の中、待つこと数分。レジ袋を提げた早川が出てきた。真っ直ぐ帰路に就くようである。
すれ違いざま、猫背は目聡く袋を盗み見る。
人類のプラスチックの加工技術は素晴らしい。袋の中の商品のパッケージがうっすらと透けて見えた。
(風邪薬……)
非常に気になる買い物である。
しかし尾行をしても怪しまれるだろうと思ったし、なにより屋外の花粉に耐えられそうにもなかったので、猫背は家に帰ることにした。
歩きつつ考える。
やっぱり早川は風邪を引いていたのか。思い返していれば、先日彼のゴミ袋を確認したときも風邪薬の箱が捨ててあった気がする。新歓ライブから二週間弱。風邪が長引いているようだった。
(いや待て。このまえに鳴村が言っていたことを思い出せ)
ライブのときは早川は元気そうに見えたと、鳴村は言っていた。実際声量だけは出ていたらしいし、薬で症状を抑えていたのかもしれない。
音程が外れるという異常だけがあったということ。風邪で耳を傷めたのだろうか?
そこまで思い至って、猫背は別の懸案事項を思いついた。
(いやいや、気にするところはそこじゃないな。もっと気になることがある)
問題なのは、早川が何故、風邪を引いたことをメンバーに黙っていたのかという点だ。
別に風邪を引いているならその旨を伝えるべきだろうし、それで歌に影響がでるならそれを言うべきだろう。単に風邪をひいてしまっただけならメンバーも彼を責めないだろうし、むしろ心配してくれるかもしれない。
それでは何故、症状を秘匿していたのだろうか?
歌が下手になって、その原因をメンバーに問われても、口を閉ざし続けているという。
猫背は常々、人間が隠し事をするときというのは、概して二つのパターンがあると考えていた。
それ即ち。
(法に反することをしたときと、倫理に反することをしたとき)
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