7



「若者の時間軸は早いねぇ。トラブってから一月足らずでメンバーを換装しようとするなんて」

「そんなことがあったんですね……その早川さんって人、メンタル弱いんですね」

「うん、それもあるんだけど……」

 あれから二日が経った。月曜の放課後である。

 猫背宅に招かれた累がマッピング用紙を覗き込む。猫背は紙にペンを走らせ、鳴村から得た情報を書き加えていく。

「「新歓」、「音痴」、「音信不通」……と。私としては、急に音痴になったって話が気になるかな」

 猫背はペンのキャップを締め、満足げに頷いた。

「人間なら日によってパフォーマンスに差が出るっていう論はその通りだと思うんだけどね、歌声ってそんなに変わるのかなぁ」

「変わるんじゃないですか? 剣道の試合でも、日によって結果は違いますし」

「一年以上盤石だったバンドが急にっていうのが気になる。それに早川が音信不通にあったっていうのも、ね」

 猫背は人間が音痴になる要因について考える。音痴になる要因?

(そんな理由、そんなにいっぱいあるかなぁ)

「本気で捜査をするなら、その早川って人の住所を特定して観察するべきなんですかね」

「甘いね累ちゃん。住所くらいおさえてある。鳴村から聞いちゃった。それに」

 猫背は不敵ににやりと笑う。

「ガチで捜査をするなら住所を特定したうえで、ゴミ袋の中とかを漁るべきなんだよ。その人の生活が出るし、人はなにか隠したいものがあるときはそれを棄てたいもんでしょ?」

「うわ……(引)」

「ま、流石にそこまではしないけどね。そんなに興味ないし、義理もない。やれる範囲で行動するさ」



「……とは言ったものの」

 偶然近くを通りかかったのならしょうがない。翌日、猫背は噂の早川の家の近くにいた。

「まさかウチと最寄りの本屋との間に奴さんのアパートがあるとは思わなかったよね」

 買い物の帰りであったが、猫背は足を止めた。

 住所を聞いたときは大して意識していなかったが、早川の家は猫背の家からそう遠くない位置にあるアパートだった。

 キャンパスの周囲は大量の集合住宅がひしめき合う居住区となっており、圧倒的な収容人数を誇る区画となっている。大学に通う膨大な人数の学生を住まわせるためだった。

 生徒にとって、大学の周りとは意外と狭いものだ。

(あそこか……)

 部屋番号までは聞いていないが、猫背は件のアパートを発見した。見た感じ普通の建物である。

(さてさて、カーテンが紫に光ってたりしないかな……)

 そんなものがあればとっくに周辺住民から通報されているだろうが。

 時間に余裕があるので、それとなくアパートの周りをうろうろしてみる。不審者に思われないように、一周だけにしよう。

 ———と、思っていたところで。

(あっ)

 アパートの外壁に設けられた階段から、何者かが降りてくる。猫背は不信な動きを見られないように近くの塀の影に隠れた。猫背であるので、そんなに高くない塀の影にもすっぽりと収まることができる。猫背も悪い事ばかりではない。

 猫背は降りてきたアパートの住民を見てハッとした。

 早川だ。

(おいおい嘘でしょ……)

 想定外の収穫である。猫背は早川の様子を注視した。

 金髪で、背の高い、やや痩せ気味の男……それが、SNSに貼ってあった集合写真から得られた早川の外見の特徴だった。

 しかし今、猫背の視線の先にいる張本人は、事前の情報とはずいぶん違った印象を受ける。

 髪はプリンになって久しいようだったし、目の下には隈がひどい。体型も痩せ気味というよりは、最早痩せすぎといった感じだ。総じて不健康。あの様子だと外出も数日振りだろう。

 早川は可燃ゴミの袋を持っており、それをゴミステーションに放り込むとアパートに戻っていった。

「………………」

 累ちゃんに引かれるだろうなと思いつつ、猫背はカサカサと足音を忍ばせてゴミステーションまで近づく。ゴミ袋の山のてっぺんにある、今しがた廃棄された個体を確認する。

 まぁ、一人暮らしで出るゴミって感じ。畳まれた牛乳パックとか、パスタの袋とか、納豆のパックとか、風薬の紙箱とか、内容物は普通である。

(手がかりになりそうなものは……)

 特にないかも。

 いちおう風邪薬の箱が入っているけど、問題の新歓ライブの前後で早川が風邪を引いていたという証言は無かったのだし。

 長時間ゴミステーションを見つめていると、本当に通報されてしまいそうだ。猫背はその手に書店の袋の重みを思い出し、帰路に就くことにした。

 それはそうと。

(不健康な人間って、あんなに外見に現れるもんなんだなぁ)

 猫背とて、一週間以上振りに外に出るようなときもある。そういうときの自分も、ああいう風に見られているのだろうか。気をつけようと思った。

 猫背は気持ちいつもよりも背筋を伸ばすと、空気清浄機の待つ部屋へと急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る