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チャイムである。

「はいはい、今開けま~す」

 玄関のドアを開けると、約束通りに累がいた。一日の学業を終えてきたとは思えないほど、今朝と変わらない様子である。もっとこう、学校にいたらくたびれるものなのではないか。

「……累ちゃん、ちょっとじっとしててね」

「はい?」

 猫背はちょっと前かがみになり、累の黒髪に浮く桃色の花をつまんだ。

「良い髪飾りだ」

「桜の花……いつのまに載っていたのでしょうか」

 猫背は桜の花びらをしばし見つめる。

「今夜の酒の肴はこれにしよう」

「捨ててください」

 猫背は口を尖らせたが、それでも素直に、外の風に桜を流した。小さな桃色は小さくなって町並みに溶け、すぐ見えなくなってしまう。

「掃除は順調でしたか?」

「いや~、舐めてもらっちゃ困る。ちゃんと掃除したよ」

「そうですか、ではお邪魔しますね」

 累はローファーを脱いで猫背宅に上がる。廊下を抜けて居間に入ると、ぐるっと部屋を見回した。

「……猫背さん」

「どう? 綺麗になったでしょう」

「全ッ然まだまだ汚いじゃないですか。こんなんで掃除した気になってるんですか?」

 得意げだった猫背は想定外に指定されて面食らう。

「で、でも歩くスペースはあるし……」

「普通の部屋は歩くスペースを選択するまでもなく、全フロアが歩くスペースなんですよ。まったく……ウチの部室よりずっと汚い」

 長いこと汚い部屋で暮らしていると、「綺麗な部屋」の基準も狂ってしまうようである。猫背としては一生懸命掃除して、部屋が幾分か綺麗になったように感じていたのだが、累からしてみればまだまだ汚部屋の域を出ていないという評価のようだった。

「最低限、同じものは一ヵ所にまとめましょう。そうですね……一番散らかってる数が多いのは書籍類なので、まず本から片付けますよ」

 いつの間にか家主よりも主導権を握った累がテキパキと掃除を始める。

「勝手に部屋をひっくり返して良いのかい? とんでもないものが出てきちゃうかもしれんよ?」

「この部屋の散らかり具合が既に未曾有なので、何が出てきたって今更ですよ」

 つくづく、しっかりしてるなぁと思う。あと弁が立つ。意外とユーモアのある子だった。


「コーヒーでも飲んでく?」

「いただきます。ありがとうございます」

 累が猛烈な勢いで掃除をしたので、部屋はそれなりに片付いた。本来の機能が取り戻された食卓に、二つのマグカップが置かれる。猫背が淹れたものだった。

「そういえば一階の花屋さん、チューリップが綺麗でした。もう春ですね」

 累はコーヒーを一口飲んでから言う。

 猫背の住んでいるアパートは、花屋の二階に設けられていた。春ともなれば、冬を越した褒美と言わんばかりに、色鮮やかな花々が店頭に並ぶ。

「春だねぇ。累ちゃんも高校三年かぁ。早いもんだ」

「そうですね。部活も引退のときが近づいています。ちょっと寂しいですね」

 累は剣道の全国大会に出場するほど部活に熱心だった。

「………………」

 累はしばらく部屋を様子を眺めていたが、ふとある物が目に留まった。

「猫背さん、あれってインテリアですか?」

「んん?」

 熱心にコーヒーを冷ましていた猫背が顔を上げる。

 累が指し示すベッド脇の壁には、一枚の紙が貼られていた。紙にはたくさんの円が描かれており、その円の中には様々な単語が記されていた。

 そして複数の円同士は交差する直線や曲線で繋がれており、蜘蛛の巣のような様相を呈していた。遠目から見れば路線図のようである。

「探偵もののドラマで、主人公の探偵がやってるの見たことあります。お洒落ですね。そういう家具ですか?」

「う~ん、前者は合ってるけど後者は違うかな」

 累が猫背に向き直る。

「ちょっと解決したいことがあってね。あれはそれ用。インテリアじゃなくて、ガチだぜ」

 猫背は得意げにコーヒーを一口飲むと「あちっ」と仰け反った。

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