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 ちょうど十分経ったところで、玄関のチャイムが鳴った。

「はいはい、今開けま~す」

 全速力の十分間だった。何とか着替えて顔を洗ったところで、来客である。

 ドアを開ける。そこには近所の高校の制服姿の、女子生徒の姿があった。アパートの廊下に走る春風に、長い黒髪をなびかせている。

「おはようございます猫背さん」

「おはよう~累ちゃん、毎度ありがとうね」

 累と呼ばれた女子高生は通学鞄の他に、大きな手提げ袋を持っていた。累はそれをドンと玄関に置く。

「これ、母からです。中身はメモが入ってると思うので、それを参照してください」

「いやいや、すみませんねぇ、お母さんにも伝えておいてくださいな」

「………………」

 累は黙って、じっと猫背を見つめる。

「何?」

「猫背さん、最近ちゃんと掃除してますか?」

「し、してるわよぉ」

 累は未だ猫背を見つめる。累は猫背ほどではないものの身長があり、美しく黒い長髪と漆黒の瞳は、見る者に圧を感じさせるものだった。

 それに加え、累の背筋はピンと伸びているのに対して、猫背はひどく猫背だったので、傍から見れば累の身長の方が大きいという有様である。

 累が身をよじって奥の部屋を覗こうとする。猫背は同じ向きに身体を傾けて累の視線をブロックする。

 右。

 左。

 右。

「……今日の放課後、掃除しに伺います。部屋開けておいてくださいね」

「いい! いいって! 申し訳ないって! 日中に自分で掃除するから!」

「そういって猫背さんが掃除を完遂したこと、今まで無いじゃないですか」

 累は髪を揺らしてドアを開け、出ていこうとする。そこでちょっと振り返って、

「では、十六時ころにまた来ますから」

 と言い残し去っていった。

 猫背は累の去った玄関を見つめる。

「しっかりしてんなぁ~……十六とは思えん」


 神使猫背かみつかねこぜ。女。大学四年生。親元を離れて、アパートで独り暮らし。趣味は鼻をかむこと。

 「ねこぜ」は本名である。通称や、ペンネームではない。名は体を表すとはよく言ったもので(あるいは呪いのようなものかもしれないが)、猫背は極めて猫背だった。一七〇ある身長が〇.九倍程度まで縮んでしまっている。

 我が親ながら、どうしてこんな名前を付けたのだろうかと、疑問に思うことも少なくない。

「お米に、魚の煮つけに、鯖缶に、レトルトカレーに、鯖缶に、鯖缶に、鯖缶に、鯖缶多すぎでしょ。おっオクラだ。青物もあるとはありがたいなぁ」

 ガサガサと保冷バッグを漁る。累が届けてくれたそれは、累の母が猫背宛てに持たせてくれたものだった。

 猫背と累は実家が隣同士。娘の年こそ離れているが、両家は良好な関係を築いていた。猫背も幼い頃から、累の母から可愛がられてきたものである。

 猫背が高校を卒業して大学に進学しても、累の母は猫背をよく気遣ってくれ、このように通学中の累に食料を持たせて届けてくれるようなことも度々あった。累母が世話好き・料理好きであるという事情も加味してだが、もはや神使家の母よりも猫背の世話を熱心にしているという有様である。

「さて……掃除、掃除かぁ……」

 食材を冷蔵庫にしまった猫背は、狭い部屋を見回す。

「何週間ぶりかな?」

 猫背の部屋は、それはもう酷い有様だった。紙束や参考書や段ボール、それに服やペットポトルがそこらじゅうに散乱し、足の踏み場も無いほどとっ散らかっている。家具らしい家具は机、食卓、ベッドだが、それらの上にも例外なく雑多な物が敷き詰められており、目も当てられない。床に敷いてあるはずのカーペットは存在を抹消されていた。

「我ながらよくここまで散らかしたものだ。はっはは、愉快愉快」

 累の母が猫背に手をかけてくれるのは、こういう生活力の無さを見抜いているからだろうと、猫背はずっと思っていた。

 とりあえず、服は畳もう。明日着る服すら怪しいのだから。猫背はかがみこんでシャツを拾った。

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