第28話
体育祭の日がやってきた。
今日に備えて早めに眠り、昨日から食事には油分などを控えて頭がクリアになっている。
グラウンドを囲むようにたくさんの椅子が並べられて開会式が始まる。
保健委員会に入っていた蓮は救護室の影でそれを遠巻きに見ていた。
「蓮は並ばなくっていいのか?開会式くらい出たいだろ?」
「あ、大空先生。僕はここで見てる方が日陰だし楽なんで良いんですよ。それにわざわざ開会式に出たい人間なんていないですよ。」
「そういうもんか?」
「そういうもんなんです。」
開会式が終わり、各自のクラスのスペースに戻ると生徒たちはついにイベントが始まったとザワザワし出す。
自分のクラスは救護スペースとは反対にあったが完全に孤立している人物が見えた。
――小岩井孤立してるじゃん。
仕方ないな、なんて思って保健室の先生と2人きりだった救護室のベンチから重い腰をあげる。
一瞬小岩井の元へ向かおうと思ったその時、自分の思考に一抹の不安が生まれた。
――これ、僕がしつこく話しかけてるから他の人が話し掛けるタイミング無いんじゃないのか?
話に行きたい気持ちをこらえて見守ることが正解であると考えた蓮はもう一度ベンチに腰を下ろして救護スペースから見守り続けることにした。
――ちょっと観察してみるか……。
開会式が終わり30分ほど経つと、女生徒3人組が小岩井を囲むように立つ姿が見え始める。
――お?友達チャンスか……?
横を見ると大空先生もそれを見ていた。
先生なりに小岩井を心配しているのだろうか?訝しげな表情でその方向を見つめる。
すると女生徒たちは5分もしないうちにその場から離れていった。
ちょうど借り物競争の知らせが鳴る。小岩井が出場する種目だ。
――応援しに行くか……!
招集場所に向かい小岩井を探す。
競技の集合場所となれば当たり前のように人が多く、その中から小岩井を探すのは不可能かと思ったが孤立している人間というのは案外目立つらしい。
圧倒的負のオーラを纏う少女を簡単に見つけることができた。
「小岩井!頑張れよ!」
蓮は出来るだけ近くに近付いて、聞こえるように応援の言葉を投げ掛けたが、少女は一度もこちらを向くことは無かった。
――む、無視された!?と、とりあえず応援するか……。
蓮のそんな気持ちを知らずに彼女はスタート地点へと向かう列に紛れて行くのだった。
借り物競争は結局難なく行ったようだったが結果としては5人中の4位。
てっきり誰にも借りることが出来ずにそのまま終わってしまうのでは無いのか?なんて思ったがそれは杞憂に終わった。
自分の過保護ぶりが少し恥ずかしくなる。
励ましついでに声をかけに行こうとした時だった。
さっき小岩井に話しかけていた女生徒3人組が蓮の事を待ち伏せるように立っていた。
気弱そうな見た目の少女が真ん中に立ち、あとの二人は腕を組んだり腰に手を当てるなどして、「話しかけてやっている」というようなオーラを醸し出しながら話している。
まるで東大寺の阿吽の像みたいな貫禄すら感じるふてぶてしさだ。
きっと二人が蓮をいじめていたメンバーの一部だから、余計そうやって大きく見えるのだろう。
「植田くん……。ちょっとええかな?」
「ちょっとってどれくらい……?僕次が終わったら1500だからさ……」
「まぁ、10分もあれば終わるわ。」
――まぁ10分なら間に合うかな……?
蓮は話を聞くことにした。
「植田くんって小岩井さんと仲良いやんな?」
「まぁ仲良いっていうか……、まぁ仲良い……?」
付き合っているのかと言われたら何とも言えないため、簡単に間柄を説明するなら「仲がいい」の一言に尽きる。
蓮は三人組の真ん中の子がなんだか申し訳なさそうな顔をしていることに気が付いた。
「ど、どうしたんだ?大丈夫か?」
思わず心配してしまう。
「あのね?植田君……。」
少女は勿体ぶって話し始めた。
「な、なに?」
――こ、これはもしかしてモテ期!?
ちなみに全然違った。
「中学生の頃小岩井さんってみんなから避けられてたんだ……。」
「ちょっと待て!?そんな重たい話を10分で終わらせようとしてるの……!?」
少女は聞こえてないのか聞こえていないふりなのか話を続ける。
「良くない噂が沢山あって……、それで誰も小岩井さんに話しかけれなかったんだ……。」
「え……?そ……、それじゃあ小岩井と仲良くなりたい的な話?」
「ううん。そうじゃなくって……、このまま仲良くしてたら植田くんも……」
後ろの2人組の女子たちはヒソヒソと何か話している。
ようやく小岩井にも女友達ができて、高校生らしい青春が始まるのかと思えば即座にそれは否定されてしまった。
「中学の時からえんこーしてるーとか、裏では悪口が絶えないとか、……結構噂になってとるよ?」
後ろに隠れてた女子の片方がそう言い出すともう片方の女子が、「そんな淫らな性悪女と一緒にいると植田くんまで悪い噂広まっちゃうかもよ?」という脅しのようなことを言ってきた。
2人の顔を見るが、真ん中の女生徒と違い悪びれた顔もせず、この状況を楽しんでいるようだった。
きっとイタズラ気分でそんな話をしているのだろう。
小岩井がこの女生徒と話していた事を思い出した。
恐らく同じような話を向こうにもしたという察しがつく。
ここまでの話を整理するなら「小岩井と関わるのを辞めれば虐めるのをやめてあげよう」という話なのだろうか。
「つまりはあの子と仲良くするなら悪い噂流すぞーって事ね?」
「そうとは言ってないけど勝手に流れちゃうかもねって話。」
真ん中の気の弱そうな女の子は俯いて喋らなかった。この子は一応申し訳なく思っているのだろうか?
後ろの二人はニヤニヤしながら蓮の返事を待っている。
損得で考えるのなら、これ以上虐められないことはまだ始まったばかりの学生生活においてとても魅力的なことであった。
もうあんな思いは二度としたくないし、こいつらが元凶とわかった今首を引き裂いて殺してやりたい。
泣いて許しをこわれるまで永遠に頭をふむつけて、泣かれてもそのまま蹴飛ばし続けてやりたい。
きっと小岩井へのこの恋心だって永遠ではなく、一時的な感情であり、前にも感じたように結婚もしなければ卒業まで小岩井と付き合っているかなんてわからない。
――今ですら付き合ってるのか分からないのに……。
自分でそう言いながら笑ってしまいそうになる。
これまでの自分であれば「迷ったときは『何をすべきか』を考えるべきだ」と考えていた。
けれど今は違う。
もう逃げないと決めたから。
「いいよ。」
そう一言言った途端、二人は顔をぱぁっと明るくする。
「ひとりぼっちは辛いけど、ふたりぼっちは案外楽しいからね。」
そのまま表情の固まる阿吽像。その姿が少し滑稽で噴き出す様に笑ってしまった。
正直この返事には迷いがなかったわけではない。
もともとの知り合いがいるわけではないこの学校で、この誘いを断ると本当に友達は出来ないことも十分にあり得る。しかし、自分がそうしたかったのだ。
そして自分のこの考えを後押しする新たな悟りが自分の中にあった。
女子生徒が「あんた後悔するよ!?」と言葉をなげかける。
「どうせどっちでも後悔はするから!」
これまで迷ってきたときはこの言葉の下で合理的な方を選んできた。今回は合理的とかじゃなく、初めてできた友達を見捨てられないという感情的な判断をした。
それでもこの言葉は自分を肯定も否定もせず、心に存在し続けた。
きっとこの判断も間違いの中の一つで、どうせ後悔をするのだろう。
――どうせ後悔するんだから好きな方で……!
怒り口調のアナウンスがグラウンド中に鳴り響く。自分の名前を呼ぶのが聞こえた。
「あ!ごめん!行ってくるわ!応援よろしく!」
朝11時頃。
周りは静まり返っておりみんなの注目はスタート地点に集まったランナーへ向けられていた。
――1500とかほかの競技と並行してやるもんだろ!?めっちゃ注目されてんじゃないか!?
心の奥底では注目されたくなかったから選んだ競技ではなく、ただ挑戦してみたかったため選んだ競技であると理解していたのだろう。
今になって注目する事が発覚したが、この種目を選んだことに対する後悔はひとつもなかった。
スタート地点には全学年のクラス毎に代表、計20人が集まっている。
我先にとコース内側の最前列を奪い合う。
――スタートする前から既に勝負は始まっていたのか……!
そんなことは全く無かった。
学年やクラスごとに場所は決められていたため、そんなことで気張る必要は全くないようで、スタートの準備を促すアナウンスがなる。
スタート地点に並ぶとレースが始まる直前特有の静かながらにビリビリとした空気感が漂う。
始まる。
結果的に今日のためとなった夏の思い出。
それを胸に、加速する鼓動とスタートのコールを待つ。
努力をしたとは言い切れないが、やれることはやった。
「位置について〜!よーい!スタート!」
――は、速くね!?
もったいぶることも無く、流れるように抑揚もなくスタートの合図がされた。
蓮はスタートダッシュこそ出遅れなかったが、早速列の後方に位置してしまう。
これまで練習として走っていた距離が長かったため、1500となるといつもと同じペースではあまりにも遅かった。
格好つけて女子たちと別れて、いざスタートしたらこのザマとはあまりにも格好が悪すぎる。
蓮は急いでペースをあげる。
焦る。
劣等感。
体が覆うように動かない。
色んな負の気持ちが巡り巡って、余計に体力を消費するのを感じた。
――ダメだ……ダメだ……!ヤバい……急がなきゃ……!
頭がいっぱいになり焦りながら、息を荒らげながら必死に、でも冷静にペースを上げていく。
二秒もすると自分の中の冷静さが「落ち着いて、膝あげて、顎引いて……」とアドバイスをしてくれる。
必死に抜いて10位の位置に着き、そのまま一週目の終わりのコーナーまでやってくる。
――あと2週……!急げ!
2週目最初のコーナーに差し掛かると、順位は7位になっていたが、あと一周半で4人抜くのは難しそうだった。
――せめて……、頑張ったのに……!
自分を呼ぶ声が聞こえた。
自分自身で気が付かないうちに俯いていたようで、前を見ると視界が開けた。
その開けた視界の先で、出入りを制限するコーンに片手を着いて前のめりに叫ぶ彼女がいた。
「植田ァ!植田ァ……!!頑張れェ!頑張れー!」
応援団よりさらに最前にいる小岩井。
きっとクラスに友達のいない彼女が最前列を取って応援しに来るというのは、とても勇気がいることなのだろう。
頑張らないといけない。
まだペースを上げられる。
そう思い、落ち着きながらも必死に足を動かす。
そして焦っていた気持ちが急にやる気と出来る気に変わっていく。
――大丈夫、大丈夫、大丈夫。
さっきまで焦りが重りのように後ろから体を引っ張っていた。しかし今は彼女や皆からの歓声と応援が背中を強く押してくれている。
背筋を伸ばし少しだけ胸を張る。
膝をいつもより高く上げて引いた踵はちゃんと蹴りあげる。
肘をちゃんと引いて前の順位のやつを抜くことだけを狙う。
――いける!いける!いける……!
1人、また1人と抜いていく。あと1週。
順位はもう覚えていない。ただ前には人がいた。
あと200m、ついさっき抜いた人が必死に追いかけてくるのがわかる。
自分もあと少しであることが分かり、負けじと全力で腕と足を振るう。
前に見えるのはあと一人。
後ろからの猛追を受けながらも自分も必死に走り抜ける。
もう休みたいって思っても「あとちょっとだけ……、あともう少しだから……、あとちょっと……!」と無理やり体にムチを打って膝を上げて走る。
喉が切れそうなほど声を荒げる小岩井に体を引っ張ってもらうっているような感覚。
あと一歩あと一歩がいくらでも続く。
――もう少しで……。
パン!
銃声と歓声が鳴り響く。結果、届きはしなかった。
それでも自分なりの全力だった。
「順位は……!?」
走り終わると100mのつもりの速さで1500mを走り切ったため、頭がぼーっとしてうまくたっていられなかった。そのままコーナーの内側に入り倒れこむ蓮。
頑張って息を整える。
幸いにも昼休み直前の種目だったため誰も休憩を妨げる人はいなかった。
順位が気になったが顔を上げる気力すらなく放送が鳴るのを待った。
一分ほど時間が経つと放送が鳴りだす。
「一着、熊田充君。二着...。」
体を横にしているため地面と視線が一緒になっている。
いつもと地面との距離が違い、反響の仕方が違うからか二着に呼ばれた自分の名前が聴きなれた名前なのにやけに耳に入ってきて嬉しさが込み上げてくる。
人の少ないグラウンドの中で見上げる空は彩度を加工したのではと思うほどにとても青く、魚眼レンズで撮ったんじゃないかというほど広い。
「よかったぁ...。」
誰にも聞こえていないのに、蓮はそう呟いた。
蓮は客席側にある救護テントへ向かってフラフラになりながら歩く。
小岩井が小走りでこちらに向かってくるのが見えた。
「植田!」
駆け寄って来た小岩井は蓮の体中についている砂や小石を払いながら小さく「ありがとお」とつぶやいた。
「なんの礼だよ。」と尋ねると、彼女は「フフン」と笑ってはぐらかす。
髪の毛についた砂を払ってくれていると、なんだか頭を撫でられているみたいで恥ずかしくなり、それから先は聞けなかった。
この結果が吉と出るかは分からない。
もしかしたら明日から一位じゃなかったことに腹を立てて怒られるかもしれなければ、明日になればこれまでの事なんて何事もなかったかのように話しかけてくれる人が出てくるかもしれない。
けれど今はそんなことどうだっていい。これまで心の中で虐められないようにするためだとそう思い込んでいた。しかし今、そうじゃないことが分かった。
「ごめん小岩井……。」
「なに……?」
相変わらずの関西弁の小岩井。
「逃げないためとかじゃなくって、ただ楽しかったや……。」
これまで感じてきたたくさんの鬱憤や、羞恥心や、劣等感、努力や後悔だって、すべてが今に繋がっていた。
あの時サボった授業も、あの時蹴られた痛みも、罵られた屈辱も、何度も車や電車へ飛び込もうかと悩んだあの日々だって、全てに意味があった。
いつか小岩井は「死にたいくらい辛いことはあっても、報われるほど嬉しいことなんて然う然う無い」と言っていた。
けれど今はそんな報われるような気持ち。
ただ楽しかった。嬉しかった。
――小岩井も同じ気持ちだといいな。
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