第24話

 もう何日かすれば二学期が始まる。


 午前10時。


 蓮は目標だった記録会が終わったのにもかかわらず、いつもと同じように小岩井と川沿いで待ち合わせしていた。


 けれど今日は二人とも動きやすいジャージではなく、いつもとは違う小奇麗な私服であった。


「おはよ、植田。」

「あーきたきた。おはよー小岩井……。とりあえず熱いし近くのスーパー行こうぜ。」


 ここから近くのスーパーはそこそこ大きなショッピングモールで、田舎者の二人が遊ぶには十分な場所だった。


 フードコートのファストフード店で昼食のバーガーのセットを頼み、二人は話に花を咲かせる。


「んで結局植田は勝ったん?」

「んーまぁ勝ったには勝ったんだろうけど、正式に勝ったわけじゃなくって~。」


 なんとも歯切れの悪い蓮の言い方に若干イライラする小岩井。


 その表情を見て、これまで協力してくれた小岩井には誠心誠意説明をするべきだと思った蓮は記録会での出来事を話した。


「……そっか。まぁ勝負に勝って、試合では~同点?」

「点数制だっけ?」

「うっさいな~。まぁ、良かったんやないの?植田は嬉しかった?」


 相変わらず教室にいる時と同じように頬杖を突きながら尋ねる小岩井。


「」


 蓮は返事をしない。


「植田?」


 勝った瞬間は嬉しかった。火にかけたお湯に気泡ができるように少しずつ感情が沸き上がっていたが、それも沸騰するほど、感情が爆発するほど嬉しくなることなんてなかった。


「まぁ、ちょっとは嬉しかった。」

「なら良かったやん。」

「でも、あんな勝ち方だったからかな?思ったより嬉しくないや……。」


 それを聞いた小岩井は親が子に向けるような顔で微笑んでいた。


「そんなもんやって。死にたいくらい辛いことはあっても、報われるほど嬉しいことなんて然う然う無いんやから……。ちょっとでも嬉しいなら収穫よ。」


 確かにこれまでだって辛いことは何度だってあった。それに対して嬉しいことはいつも他人のような顔をしていて、つかみどころがなく煙を掴むような感覚。


「なんか、それは……、悲しいな……。」


 ――それに辛いときは辛いのに、幸せは感じようとしなきゃ感じれないって……なんだか不公平だ。


 だがもう四、五か月前の話ではあるが自殺志願者がそう話しているのだと思うと、謎の説得力がある。


 きっと沢山悩んだ末の考えなのだろう。


 彼女なりの悟り。


「はぁー、そろそろ夏休みも終わりやな……。なんだかんだ夏休み中ずっと植田とおったなぁ。」

「ありがとうございましたァ!」


 机に両手を突き、勢いよく頭を下げる蓮。


「ええってええって。私も特にすること無かったし!でもまぁ、記録会で走ってるとこくらいは見たかったなぁ。」

「あ、それなら僕が走ってる間の動画取ってもらってたからあるよ!」

「ホンマ!?」


 食いつきの良い彼女に、多少の恩返しのつもりで、長編17分にもわたる動画を見ることにする。


 イヤホンを片耳ずつ使い動画を再生すると、撮影者である内田の応援の声が聞こえる。


「……。ふーん。内田さんに撮ってもらったんや……?」

「ん?そうだけど……。」

「植田は内田さんに応援してもらったん?」

「え、ま、まぁ……。御覧の通り?」


 他に誰に撮影してもらえというのだろうか。


 彼女は不機嫌になり、不愛想に蓮の使っていたイヤホンを取り上げ、スマホを占領する。


「お、おい!僕見れないじゃん!?」

「イヤホンしてるから聞こえへーん!」

「聞こえてるじゃんか!」


 しばらく彼女の動画を凝視する姿を眺めることになった。


 小岩井は動画を見ながら表情がコロコロ変わり、見ていて飽きなかったがしばらくするとジッと止まった。


 不思議に思いその様子を眺めていると、小岩井は静かにイヤホンを取り携帯を返却した。


「どうだった!?結構速かっただろ!多分自己ベストだったぞ!」


 スマホの画面を付けると、そこには江川と一緒に転んでいる場面が映し出された。


 ――きまず……!


 黙り込み、窓の外を眺める小岩井。


 戸惑う蓮は後頭部を掻きながら、「あいつもきっと悪気はなかっただろうし……」と言いどもる。


「いや、悪気がないことは無いやろ……。」


 ――んー何も言い返せねぇ。


「ま、まぁアイツも反省してるさ……!」


 小岩井は申し訳なさそうに思いながら焦っている蓮の様子を見て、深く嘆息を漏らした。


「なんで植田がそんな顔すんねん?悪いのはアイツやろ?」

「そうだけど、でもアイツは友達だからさ……!」


 ただでさえ不機嫌な彼女がさらに不機嫌になる。


「友達って……。いじめられとったら、無視して「話しかけんな」って……っ!」


 小岩井は言い切ることをしなかった。


 小さな声で「ごめん。」と謝る小岩井。その表情は俯いていてうまく見えない。


「……、映画見に行こうぜ!僕映画が千円で見れる券持ってるからさ!」


 小岩井が小さく頷くのを確認して、その場の空気から逃げる様に二人は席を立った。


 夏休みが終わる。


 この夏は本当に楽しかった。


 好きな子とずっと一緒に入れて、何かに一生懸命になれて、大切な勝負にも勝てた。


 こんなに空が晴れていても気持ちが晴れないのは、きっと僕がいじめられているからなのかもしれない。


 夏休みが終わる。


 彼女が隣にいて、二人でこんなにも楽しそうに笑っているのにも関わらず、ふと思ってしまう。


 ――ずっと夏休みならいいのに……。


 まるで学校までの日数が、自分の世界が終わる日までのカウントダウンのような気がして、蓮はただ漠然と生きづらさを感じていた。


 千円券を使って観た映画はゾンビ映画で、ゾンビまみれになった世界で過ごす主人公。最後には主人公とヒロインが結ばれて終わる。


 二人はなんだかんだでゾンビを倒して新世界のアダムとイブになった。


 B級映画かと思ったら終わり方が神話だった。


「衝撃のラストやったな!」


 さっきまでのバツの悪そうな表情から一変して小岩井はやや興奮気味に映画の感想を述べる。


「確かに衝撃的だった。まさか主人公とヒロイン以外全員死ぬなんてな……。主人公の親友が「殺されるくらいなら!」って言って自分から死ぬのはマジで怖かった!」

「隊長が『またあの世で会おうぜ!』って言って犠牲になるのもかっこよかったな!」


 二人は歩いてまたフードコートでだべる。


 その日は結局走ることもせずただ談笑だけをして解散した。


 午後七時。薄暗くなってきた帰り道。


 空は紫がかってきて、本格的に夜が始まろうとしていた。


 ふと思う。


 学校のみんなが、小岩井以外いなくなったらどうだろう。


 小岩井と二人でだべって、眠って、喋って、誰も傷つかない。何にも怯えない世界。


 きっとそこは天国だ。


 永遠に夏の青空に照らされる。


 そんなことを考えているとゾンビ映画を思い出した。


「あの世ってあるのかな……?」


 電車を待つホームで考えた。


 あと三日で夏休みが終わる。


 快速急行の通過する列車が汽笛を鳴らしながら近付いてくる。


 やけにまぶしいライト。


 蓮はそんな電車と神妙な面持ちで、にらめっこをするように睨み合う。


 その電車の先頭が目の前を通過するのと同時に強い風を浴びせられた。


 ――ここで飛び降りたら、僕の物語はハッピーエンドなのかな。


 何も考えなくて済むように、蓮はイヤホンを付け耳をふさぎ、大音量で音楽を流した。


 普段音楽を聴いてこなかった蓮は最近、小岩井に勧められたプレイリストを気に入って何週も聴いていた。


 歌詞から「もし生きていたなら良いことあるかも」みたいな歌詞が流れてきた。


 小岩井がフェンスの外にいたとき、蓮がかけた言葉だった。


 けれど、彼女は「死ぬほどに辛いことはあっても、報われるほど嬉しいことなんて然う然う無い」と言い切っていた。


 彼女は何を思って「生きてやろう」と思ったのだろう。

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