第17話

 虐めとは、いじめる側が思っている何十倍も虐められる方は傷ついているものである。


 これは体感とかではなく、単純に回数を考えてのことだ。


 誰かが笑う度、話し声が少し聞こえる度に、自分の話をしているのではないかと不安になる。


 実際に聞こえてしまうと、恥ずかしさと、何も出来ない惨めさ、その惨めさをまた恥ずかしく感じて余計苦しくなる。


 疎外感。劣等感。


 悶々と続く負の連鎖。


 これが苦しさの所以。


 きっと本当に虐めているやつはクラスの全員なんかじゃなくて、ほんの三、四人くらいだろう。クラスの人口を考えればおおよそ十分の一かそれ以下だ。にもかかわらず全校生徒が、全世界が敵に見える。


 ゴミに少し埋もれたキーホルダーをポケットに入れると、蔑みの声と、憐み声が聞こえる。


 無心になって自分の席に戻る途中、体育の時間に突っかかって来た幾名が分かるように舌打ちをした。


「おかえり。何しとったん?」

「ああー、先生に無断で学校出てたの怒られちゃってさ!」


 蓮はそういうと大袈裟に笑った。


 ――まず、出来ることからやらないと……。


 自分は小岩井と一緒に居たい。けれど、今いじめの標的である自分が小岩井と一緒にいるということは、小岩井も標的になる可能性があるということだ。


 ――だから、僕は責任を取らなきゃいけないんだ……。


 すでに小岩井もいじめられているかもしれない。だがこんな思いを小岩井にさせてはいけない。


 蓮はひたすらに彼女に声をかけた。


 極力考える時間を与えないために、話が途切れないように、浸すら喋る。


 喋り続け、しゃべらせ続け、周りに見せつけるように笑い続けた。


 無理に自分の心が少しずつ擦り減る音がした。


 ノコギリで木を削るような、機械が負荷で悲鳴をあげているような、そんな音。


 自分で笑いながら「どうしてこんなに笑ってんだ?」って思う始末。


 けれど、もし、いじめられ始めていることに小岩井が気付いた時……。


 彼女がまたあのフェンスの向こう側に立つことを考える。


「笑え、笑え、笑え、笑え!」


 夜八時。


 蓮はいつものように人気のない川沿いの道を走っていた。


 ランニング用のアプリには、計測された53分台のタイム。


 最近は徐々にだがタイムは伸びていた。しかしこのタイムは最近の中では比較的遅い方だろう。


 何もかもがうまくいかない。


 自分がすることなんて全部が無駄で、毎日休むことなく走ったからと言って劇的に結果が変わることは無い。


 きっと自分をいじめたやつらは、今頃ソシャゲをしながら風呂に入ってたりするのだろう。


 きっと江川は今頃部活から帰って飯でも食っていることだろう。


 現実が残酷であることは何となく分かっていた。


 何かがダメだからと言って、代わりに何か能力がアップするわけでもない。


 そんなことは分かっていた。


「だめだ……。悩むな……走れ……!」


 蓮はもう一度走り出す。


 家に帰るころには、まさに足は棒になっていた。タイムは一時間ちょうどを示す。


 いつかタイムは伸びるのだろうか?


 今のままで成長できるのだろうか?


「出来るといいな……。」


 それを信じるほか蓮に道はなかった。


 相変わらずタイムが縮まることもなければ、虐めはエスカレートして行く。そんな中、学校は期末試験一週間前を迎えた。


 皮肉なもので、瘴気が漂っていそうだったクラスも蓮という共通の悪口のテーマが出来たことでまとまりが産まれた。


「植田……。今日も独りなんか……。」


 相変わらず一人浮く体育の時間に先生が「そろそろ友達作りーや。」と呟いた。


 蓮をダシに生まれる周りのクスクスと嘲笑う様な声は、いつになっても慣れない。


 蓮は傷付いていないかのように笑って見せた。


 ある日の昼休み。


 あれから弁当箱をなくした小岩井は2日ほど本格的に落ち込んでいたが、今は普通だ。


 弁当箱がないため結局蓮はパンを買いに行く毎日。


 そんな中クラスの男子生徒たちに廊下で声をかけられた。


 体育館で揉めた連中とは違う生徒たち。


 神妙な面持ちをする彼らに蓮は「どうしたんだ?」と声をかける。


「あの……。俺たち……。応援してるから!」


 生徒のうちの一人がそう言った。


 蓮はその言葉に感激することもなければ、逆上して怒ろうとも怒らなかった。


「嗚呼……、どーも。」


 単純に信用出来ない。その一言に尽きる。


 きっとどこかで嘲笑う誰かに「言いに行け」と、絆されていたのだろう。


 例えそうでなくても、何もせずに「可哀想だ」というだけの目を向けるコイツらは、嘲笑う人たちと同様に見える。


 男子生徒たちは「お、おう……。頑張れよ……!」と言ってその場を離れた。


 ――アイツら何がしたかったんだ……?


 前までの蓮であればおそらく、彼らを信用して頼るということをしていたかもしれない。けれど蓮自身知らず知らずのうちに「いじめられっ子気質」になっていた。


 昼休み。


 いつものように座席を移動させることなく、二人は黒板の方向を向きながら食事をする。


「……?植田……今日パン一個なん?」

「え?」

「パンの数……、前まで三個あったやん。コスパ重視の謎のパンとかあったし。」

「ああ、最近食べんのも面倒臭くてさ……。腹が減った時だけ食うようにしてたんだ……。夏バテかな?」

「ご飯食べんのも練習の一つやで……!はむっ。」


 小岩井は手を合わせながらそう言い、口の中へ米を頬りこむ。すると普段仏頂面の彼女は少しだけ頬を緩ませて笑みを隠しきれないといった表情をしていた。


 おいしそうに食べる彼女を蓮は羨ましそうに見つめた。


 蓮は小岩井の後ろにある窓へ目が移る。


 七月も二週目に差し掛かり、夏を告げるかの様に入道雲が遠くにできていた。


「あの雲の下は雨凄いんだろうな。」


 そうつぶやく蓮の視線を小岩井は追って、入道雲を見つける。


「そんなん考えたこともなかったわ。」

「たしかに。僕も。」


 蓮は可笑しなことを考える自分を鼻で軽く笑った。

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