第13話
その日の夜から蓮はランニングをすることにした。
午後8時。
電気をつけずに薄暗い玄関で母にバレないよう、ランニングシューズへ履く。
「あら?どこか行くの?この時間に?」
「あ……、んや、まぁ、走りに行こうかなって……。」
「……ふーん。そう。だらしない体してるもんね。」
「いやいや、僕も腹筋割れてるから……!一つに……。」
母がボケで言っているのか分からなかったためとりあえずボケて返して見せた蓮。それを見て母は嘆息を漏らす。
「それは割れてるって言わないでしょ。……次からはもっと早い時間に行くのよー。十一時にはチェーン締めるからね?」
「おっす……。」
いつもは夜に家を出ることを嫌がる母であったが今日は意外にもすんなりと外に出られたことに蓮は驚いた。
――気が変わらないうちに早く家出るか……。
一人では何をすればいいのか分からなかった蓮はとりあえず体力が無いことには話にならないと考えた。そして5キロの勝負の倍の距離である10キロを走る蓮。
夜道の川の傍を走り、携帯のアプリで実際に走った距離とタイムを測定してみる。
外の空気はまだ少し冷たくて、雨上がりのせいかアスファルトの匂いが少しだけした。
心地良い。
結果のタイムは一時間と少しと、決して良い成績であるとは言い難い結果だった。
「長距離とかどうやってタイム伸ばすんだ……?アスリートのイメージって言ったらトレーニング器具?筋トレすんのか?」
自宅への帰り道。ネットで長距離選手が鍛えるべき筋肉とそのトレーニング方法を調べ実践してみるも、すぐに結果が出るはずもなく悶々とする。
――こんなのでサックに勝てんのかな……?
携帯を触りながらそんな愚問愚答を繰り返す。
頭では「勝てるわけない」なんてことは分かっていたが、心の奥底では「勝てるかもしれない」の数パーセントの渇望が渦巻く。
勉強以外にこんな真剣になれたのは初めてで、走っていると不思議と笑顔になってしまう。
蓮は顔に伝う汗を自分の服の裾で拭くと、時間が許す限り目一杯走ることにした。
「うおおおおおお!待ってろよォサック!!」
蓮が走り始めるようになって一週間がたった頃。蓮のタイムは十キロを52分で走りきるようになっていた。
その話を学校で聞いた小岩井は相変わらず頬杖をつきながら驚嘆する。
「めっちゃ速なってるやん……!やっぱ植田は足速いねんなー、ライバルって言われるだけあるで!」
気持ちの良い小岩井の称賛を一身に受け蓮は胸を張り鼻を伸ばす。
「まぁね!さすがは僕って感じだな!」
「まぁそれでも江川くんより遅いけどな。」
「おい!水を刺すこと言うなよ!?」
あの江川への宣戦布告から蓮は彼と話すことがめっきり減っていた。
廊下ですれ違う時にも横目で睨み合い、挨拶も特にはしない。
それでも蓮はそんな関係を本当にライバルになれたようで楽しく思っていた。
「そういえば、植田、遊び行こうって言ってたけどどこ行くん?」
「あー、そうだなーどこかいいとこある?」
「ええ、しらんよ?」
蓮は暫く悩んでいると、少し前にできたアミューズメント施設を思い出す。
「この間出来たスポーツ出来る、あそこどう?」
小さく唸りながら30秒ほど考える仕草をとる小岩井。
「ええで、でも混んでそうやない?」
「まぁたしかに……。おっし!んじゃ来月の創立記念日に行こう!きっと空いてるはず!」
そうして蓮は小岩井との実質的デートの約束へこぎつけたのだった。
その日の夜また蓮はいつものように走りに外へ出た。
最近は走れば走るほど体力ができて、徐々に記録が伸びていが、
「あれ……?今日はタイム縮んでないや……。」
蓮のスマートフォンには52分の記録が映し出されていた。
何となく嫌な予感がする。なんてまるで映画のようなことを考えてしまう。
――まぁあと二ヶ月あるんだ……。大丈夫。
そんな予感は当たったるようで翌日も翌々日も、一週間経った今もタイムは変わらず52分。今日に限っては54分だった。
結果は良くならない一方で時間は刻一刻と迫っていた。
六月下旬のある日の昼休み。
うだつが上がらない蓮の嘆息を聞き、小岩井は心配そうに蓮の顔をのぞき込む。
「……、どないしたん……?パンひとつ食べたろか?」
「ん?小岩井は弁当忘れたのか?」
「んや、足りなかっただけやで。」
「食べとんのかーい」
「いっこ食べよか?」
「パン三個のうち一個って三分の一だぞ?図々し過ぎるだろ!」
小岩井は蓮のツッコミを聞いてケラケラと笑う。
「んで?どないしたん……?」
「タイムが全然縮まんなくてさ……。走れば走るだけはやくなったあの頃に戻りたいよ……、アハハ」
蓮がわざとらしく乾いた笑いをする。
横から普通にチョココロネを奪い取って食べ始める小岩井は「普段から菓子パンばっか食べてるからじゃない?」と言い切る。
「うぐぐっ……!ぐうの音も出ない……。」
「出とるやん。」
実際問題食生活がよろしくないのは事実な気がする。こういった部分から少しづつタイムが伸びていくのだろうか?
「でもお母さん朝早くからいないし、忙しい時間に頼めないぞ……。」
「自分で作りーや?」
「弁当とか作った事ない……。」
「んあ?昨日の残りと卵焼きだけ作って入れたらええねん。夕飯はよく作ってるんやろ?」
蓮の家は父が単身赴任の母子家庭で、夜遅くに帰る母のために蓮が夕飯をよく作っていたことを小岩井は知っていた。
「……。早起き面倒臭い……。」
「こいつ言いよったな!?」
睡眠に対してストイックな蓮は、どうしても睡眠時間だけは譲りたくなかった。
蓮は小岩井の反応につい笑ってしまう。
呆れた様子で小岩井は蓮に提案をした。
「パン買うお金くれたら弁当作ってあげんで?」
「ま!まじで!?」
「おん。まじまじ。」
蓮の中で『絶対にありえないものあるある』のトップ3へランクインする事のうちの一つが現実で起きようとしていることに、蓮はまるでツチノコを発見したかのように興奮をする。
言い出しっぺの彼女も蓮の喜ぶ様子を仰々しいと思いながら、つい頬が緩んでしまうようだった。
「植田はお昼代いくらくらい貰っとるん?」
「週に千五百円貰うから三百円くらいだな!」
「ん、ええやろう!」
彼女は慎ましい胸を張ってエッヘン!と鼻を鳴らして見せた。
その日の夕方。
いつもの嫌いだった夕焼けが雲に覆われてよく見えない。
帰りのホームルームが終わると、一斉にみんなが帰宅する。
蓮が江川の後ろを通って帰ろうとすると、タイミング悪く江川も椅子を引いて立ち上がった。
「うわっつ……!」
「ああ……、ごめん植田。」
にべもなくそういう江川に運が悪かったと思い、蓮も「びっくりしただけだから大丈夫だ!」と行って帰った。
灰色に染まる世界で蓮と小岩井は2人で帰る。
「植田はなんか入れて欲しいもんある?」
「やっぱ筋肉と言えばタンパク質!卵だろ!」
「脳筋すぎやろ!」
そんな会話をして帰り、家に着くとすぐにいつもの様に走りへ出かける。
リズミカルに息を吐きながら考え事をするのが蓮の日課になっていた。
小岩井の弁当を心待ちにする。
そしてふと、帰り際に江川とぶつかったことを思い出した。
――最後にアイツと話したのいつだっけ……?
そんなことを考えながら蓮はどんよりした厚い雲を見つめた。
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