第4話
入学式の日から一ヶ月が経とうとしていた今日この頃。男たちにとって大事な日が始まった。
ある者にとっては現実を突きつけられる苦行で、ある者にとってはクラスカーストをあげることが出来る希望で、ある者にとってはライバルと決着をつけるための機会である。
そのイベントは通称『シン体力測定』と学内では呼ばれていた。
この学校では身体測定と体力測定が二、三クラス毎、同日に行われる。そのため女子と体力測定を合同で行う事になっていた。
要は『シン体力測定』とは身体測定と体力測定のフュージョンで生まれた造語なわけだ。
朝のホームルームが終わると、クラスを移動して男女ともに更衣室へ向かう。更衣室内の男子は中学時代の身長や、今日は朝ごはん食べすぎたなんて話をしている。
これだけ保険をかけるのも理解出来る。
男子にとって今日という日は、今後の学園生活のアオハルが決定する日と言っても過言ではないのだ。
運動ができる人間かどうかが判明し、異性へのアピールの場にもなり、自分の身長が背の順の時に毎回比較されるアイツと白黒つける機会になる。
そして陰キャにとってはその逆の印象がレッテルとして貼られる日になるのだ。
女子は知らん。
体操服になって体育館へ、ボランティアの時同様に二クラスが集まった。
男子はメラメラと闘志を燃やし、女子は「自信なーい」など予防線を張る。小岩井は相変わらずのボッチのようだった。
――ともいう自分もぼっちだった……。
「それじゃあG組は先に外で五十メートル走から始めるからなー。」
体育教師のその大きな掛け声を元に、生徒は二手に分かれて身体力測定が始まった。
靴を履き替えて校庭へ集まる生徒たちは、出席番号順に男女二列ずつで並び始める。
蓮には今日、とある目標があった。
――心理学の本によると、運動すると気持ちが大きくなってコミュニケーションによるストレスが少なくなる。らしい……!
――つまり今日この瞬間は友達が作りやすい一つのきっかけになるということ……!遂にこのボッチ生活も……!
そんな計画を立てていた。
出席番号で並ぶと男子の中で三番目だった蓮はすぐに走る順番がやってきた。
隣に座る坊主頭の男子生徒は何やら落ち着かない様子で甲斐甲斐しく準備をしている。
なにをそんなに準備しているのかと思ったが、男子生徒がとある方向をチラチラ気にしていることに気がついた。
その方向に目をやると女子の列で、一緒に横に並ぶ小岩井の姿があった。
「なんで同じ列なんだよ……。」
「はぁ?しゃーないやん出席番号やねんから……!」
もう一度男子生徒方を見るとソワソワしている様子で話しかけるのはなんだか申し訳ない。そう考え蓮は小さくため息を漏らした。
そんな蓮の心情はつゆ知らず、蓮たちの列の番が来る。すると途端に視界の端にいた男子生徒が視界から消え、しゃがみ込んでしまった。
何事かと思って目線を送ると、その男子生徒のポーズに思わず二度見してしまう。
――……!?く、クラウチングスタート……だと!?
思わず小岩井の方を見ると、彼女は肩を震わせながら顔を背けて必死に笑いこらえていた。
大空先生が笑いながらスタートの合図を送る。
結果は蓮が6.3秒で、隣にいたはずの坊主頭と小岩井は7.9秒だった。
――いや、お前は遅いんかい!
蓮はついそのクラウチングの男子生徒にツッコミを入れてしまうのだった。
走り終わるとその生徒はようやく落ち着きを取り戻したようで、遂に蓮はその男子生徒に話しかけようとする。
その時だった。
背中を丸めて明らかに気落ちしていた生徒は途端に背筋を伸ばし、人差し指を突き立てて蓮に向けた。
「お前!ライバルやから……!」
たかだか体力測定には大袈裟なライバル宣言。
――コイツはこのタイムでどうして僕にこんなことが言えるんだ?
そうは思ったが、お巫山戯を一切感じない真剣な眼差しを見て蓮はツッコミを入れられずに「お、おう!」とだけ返事をする蓮。
その後も体力測定で何かと突っかかってくるこの生徒。反復横跳びや握力ならわかるが、長座体前屈にも挑んでくる始末だ。
ガタイが特別良いわけではないがそれを筋肉がカバーしており、実際に近くで見てみると血管が浮きでて見える。体脂肪率が異様に低そうだ。
恐らく名前順の出席番号で自分のひとつ後ろであるため、江川朔というのは彼のことなのだろう。
読み方は知らない。
「え、江川君?な、なんでそんなにライバル視するんだ?」
「さっくって呼べ。親しい奴は皆そう呼ぶ。」
――あれ?これが友達って奴なのか?
あだ名で呼び合う仲というのがこれまで居なかった蓮は、内心嬉しさ半分と困惑半分の複雑な感情に見舞われる。
「んで?サックはなんで僕の事ライバルって呼ぶんだよ?」
「ただのライバルやない!心の友と書いて『ソウルメイト』……!よろしくな!相棒!」
――何だこのいかにも絵に描いた陽キャは……!?まさかコイツ高校デビューか……!?
ライバルじゃなければソウルメイトでもなく相棒らしい自分は、彼に拳を向けられて、思わず拳で返事をしてしまった。
「んでんで?お前は今点数なんぼなんよ?」
「んえ?」
そう尋ねるとすぐに江川は肩を組んで来て記録表の点数を確認した。
「まぁまぁやなー。俺同じくらいやな。ハンドボールとか、握力は俺の方が上やな……。お前左手の方が握力高いけど左利き?」
「んや、右利きだけど……。」
説明もなくただ点数の開示だけさせられて、サックの真意がわからず蓮はただ呆然とし、立ち尽くすことしか出来なかった。
最終的には「俺は長距離だからシャトルランで挽回するんやから覚悟しとき!」とだけ言われてそのままどこかへ行ってしまった。
シャトルランを行う前に出席番号順で身体測定が行われ、自分の身長と体重が明らかになる。
中学三年生の時、身長は165cmと平均的な身長であったが、高校一年生となった今168cmにまで伸びていたことを表には出さなかったが嬉しくなる。
「んじゃ植田君。次はー……小岩井さん呼んでくれる?」
「分かりました……!」
身長が一年で3cmも伸びたと誰かに報告したくて、でも報告できる相手が小岩井しかおらず、蓮の小岩井を呼ぶ足はいつの間にか小走りになっていた。
体育館につくと、生徒たちは握力や反復横跳びなど各自で出来る種目をバラバラに行っていた。
握力測定の機械の前で、相変わらずぼっちの小岩井を見つける。
「小岩井ー!」
「ん?あー、次か。」
「小岩井!聞いてくれ!身長去年より3cm伸びた!」
異様な蓮のハイテンションに彼女は戸惑いながら平然を装って「へーよかったやん。」と答える。
「次小岩井だってさ!」
「んー……。」
そういうと小岩井は片手を自分の頭に乗せて、もう片手を蓮の頭上へと持ってきた。
「思ったより差、あるんやね。」
蓮は動揺させられたことに少しだけ悔しくなり、仕返しをしてやろうと小岩井の頭の手の上に手を被せ「お前はちっさいもんな!」と言って見せた。
彼女は「私、女の子やから……!」と言ってもう片手を被せ返してくる。
手に伝わる熱、柔軟剤の香り。鼓動の加速が止まることを知らない。
自分が人生で初めて母以外の女性の手に触れていることを自覚して言葉がうまく出なくなる。
隠しきれなくなった動揺を見て、小岩井は笑って嬉しそうに身体測定の待つ教室へと向かっていった。
悔しいとは思ったが、それは負の感情ではなかった。
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