第3話『上官とエラー』
かつて、機巧人形にまだ人権が適用されていなかった頃。
彼らは武装や戦闘機、戦車等と併用した軍事用無人兵器として利用されていた。
人の代わりに戦争に使える駒として使われていたのだ。
近年、彼らに人権が適用されてからは、軍事利用も同時に禁止となった。
しかし人と違って、成人として造られた場合に記憶を持たず、人より遥かに頑丈である点などから、未だ兵器としての利用価値は高い。そうして兵器として育てられた機巧人形は、戦争が終われば極秘裏に処分される。
だが──回収されず、処分されない個体もいないではない。
今、ジニアの目の前に立つ機巧人形の男は、まさに回収漏れの個体だった。
黒い髪に黒い目。見た目からは実直そうな印象を受ける男だ。
機巧人形の見た目と中身が一致するわけもないが。
「俺はエラーと言います。……寿命は、持ってあと数日でしょう。だからそうなる前に、技師の方に壊して貰わなければならないと上官が説明してくれました」
ジニアは家にエラーを招き入れながら、いつも通り告げた。
「条件は一つだ。お前が過去に別の人間──その上官から命令を受けていたとして、ここでは私の命令が絶対だ。それだけは従ってもらう。──おい」
「はい」
呼ばれて、ジニアの少し後ろに立っていたエリスが答える。
「エラーとやらにこの家での過ごし方を教えてやれ」
「わかりました。……ではエラーさん、私に着いてきてください」
「エリスさん、ですね。俺は何をすればいいんでしょうか」
差し伸べられた白い手を取り、エラーは首を傾げた。
エリスは淡々とした調子で返した。
「この家に滞在するなら、家の仕事はこなしてもらわないといけません。たった数日とのことですが、私が教えますので。よろしくお願いしますね」
◆
「エリスさん、この花は何でしょうか。……俺は何をすれば?」
青いディスコアスターの様な花弁を持つ花を見下ろし、エラーが問う。
「これはユリの一種です。ジニアさまが育てているわけではありませんが、家の外観を良く保つために手入れをしています。エラーさんは撒水をお願いします」
エラーは手渡された水入りのじょうろを物珍しげに眺めていた。
大丈夫だろうかと思わなくもないが、水やりに説明は要らないだろう。
──と、エリスが別の花の手入れをしようと、エラーから目を離した瞬間。
パァン! と凄まじい音がして、エリスはばっと振り返る。
見れば、じょうろの先が切り落とされており、エラーは何事もなかったかのように、一本のユリに対してだばだばと水を注いでいた。
「……エラーさん、どうしてじょうろを壊したのですか?」
「こちらの方が効率が良いと思ったからです」
「ジニアさまのものを壊すのはダメですし、それに、一輪の花にそれだけ水をやっても意味がありません。むしろ、水が多すぎると枯らしてしまいます」
「そうなのですか。……それは、大変失礼致しました」
自らの非を認め、エラーが深々と頭を下げる。
エリスは僅かに眉を落として、分かりにくく困った表情を作った。
その後も、エラーはやることなすことの全てを失敗に終わらせた。
その度にエリスは注意をして、エラーは謝った。
「水の色が黒くなってきました」
「あ。エラーさん、それはお茶の出し過ぎです。渋くて飲めませんよ」
「エラーさん、その掃き方では埃を散らすだけです」
「……すみません。どうにも力の制御が下手で」
「それは──ジニアさまのお気に入りの上着。破ってしまわれたのですか」
「申し訳ございません。洗濯も、俺には向いていないみたいです」
◇
そうして、四日が過ぎた。
機巧人形同士で気が合うところがあるのか、エリスとエラーは仲良くなった。また、たまにエラーがエリスを眺めているということもあった。
お互いに機巧人形の友人というものを持っていなかったからだろう。
エラーが仕事を教わる代わりにと戦争中にあった話をエリスに聞かせると、エリスはジニアの方をちらっと気にしながらも、その話に耳を傾けていた。
しかし、エラーは生活の中で徐々に動きを悪くしていった。
力加減が難しいのも、各パーツの寿命が近付いていたからのようだった。
エリスも段々と教えることを諦め始め、エラーは簡単なことだけやるようになった。今は倉庫から薪を持ってきて、暖炉にくべるという手伝いを行っている。
ジニアはそれを横目に、エリスの淹れた紅茶を飲んでいた。
「…………」
彼女も最初は紅茶を淹れるのが下手だったものだが、一緒に暮らすうちにどんどんと上達していき、今ではジニアよりも美味しく淹れるようになった。
エラーにも時間さえあれば、そうなっていたのかもしれない。
……まあ、それならば、この家で給仕させることもなかったはずだが。
エラーは薪を一本ずつ暖炉に入れながら、ぱちぱちと燃える火を眺めている。
髪色と同じ、真っ暗な瞳の中に、煌々と炎が灯っている。
エラーの隣を通りすがったエリスが、不思議そうにその様を見下ろす。
「何か、気になるものでもありましたか?」
「…………」
そこで何を思ったのか、エラーは炎に向かって手を伸ばした。
──エリスが咄嗟にその腕を掴み、ぐっと引っ張る。エラーは驚いたような表情でエリスの方を見上げ、自身の手のひらとを交互に見た。
「エリスさん」
「火は危ないですから、触ってはいけませんよ」
エリスが諭すように教える。
「今、どうして俺の手を取ったのですか」
「どうしてって……エラーさんのことが心配だったからですよ」
「…………」
──と。エラーが唐突に、左手に持っていた薪を振りかぶった。
「……エラーさん?」と、何が起きているのか分からずにエリスが呟く。
エラーはその体勢のまま躊躇するように数秒停止し、しかし、そのまま思い切り薪を振り下ろした。エリスがぎゅっと目を瞑る。
バキッ──と鈍く乾いた音が鳴って、折れた薪の半分が宙を舞い床に落ちた。
エリスは頭に受けたはずの衝撃がないことに驚き、ゆっくりと目を見開く。
そして「──あ」と様々な感情の入り混じった声を零した。
そこにあったのは、銀灰の髪に真っ赤な血を散らし、エラーから自らを庇うようにして立ち塞がるジニアの姿だった。
「……どういう、つもりだ?」
ぽたぽたと頭から血を滴らせながら、ジニアがふらりと立ち上がる。
目が細められ、無表情に近いエラーの顔を睨み付ける。
「以前から、思考プログラムがエリスさんに対し、『好意』というエラーを吐いていたからです。俺は彼女を壊さないとならない」
「それは……どういうことですか?」
ジニアに向けられたのであろう言葉に、静かな怒りを感じさせる声でエリスは返す。
エラーは何の感慨もない瞳でエリスを眺め、告げてきた。
「好意を抱いた相手はいずれ弱点になるから消せと、上官からの命令です」
ぞっとするくらいに冷え切った声だった。
しかし、その真っ暗な瞳を前に、ジニアは一切退く素振りを見せなかった。
「……そうか」と短く告げ、続けて。だが、と言葉を翻す。
「ここは戦場ではなく私の家だ。お前に弱点があろうがなかろうが知ったことではない。先に伝えていなかったのは私の落ち度だが──勝手な真似は許さん。二度とこれを壊そうなどと考えるな。……いいな?」
エリスを瞥見し、ジニアが苛立たしそうに告げる。
彼が本当に怒っている様子は珍しく、エリスはジニアをじっと見つめていた。
「…………」
エラーは言われたことに対し、言葉ではなく頷くことで返した。
それからばつが悪そうに後退り、ジニアから距離を取ると、そのまま歩いて部屋を後にした。どこか人間らしい挙動だと、エリスは思った。
ジニアが鼻を鳴らし、エリスの方に振り返る。
はっ、とエリスは浮つく意識を取り戻し、ジニアの頭に手を伸ばす。
「あ……ありがとうございます。ジニアさま。お怪我が……」
ジニアは、ばしっとその手を払って、言い聞かせてくるように口を開いた。
「お前も、勘違いはするな。そいつがお前を壊そうとしたのは、人間の命令があったからだ。お前も私に命じられれば、機巧人形の一つ、壊そうとするだろう」
「……はい、ですが」
「ですが、だと? いつからお前は私の言うことに逆らう気になった?」
「はい」
エリスが言い直すと、ジニアは満足したのか、彼女から視線を外し踵を返した。
「着いて来るな」と言い残し、頭の傷を押さえながら部屋を出て行く。
エリスは命令を守りながらも、着いて行きたそうにその背中を見つめていた。
「……ですが。私は、ジニアさまを傷つけられたことが、許せなかったのです」
そう、誰にも聞こえないくらいの声量で、ぼそりと呟いた。
◆
エラーが廊下で転がっていたのは、その翌日のことだった。
朝から外に出ていたのだろう。彼の靴の裏には土が付いていて、その手には青い花が一輪、大事そうに握られていた。
エリスはジニアと一緒にエラーの機体を処置室に運んだ。
まだ辛うじて生きてはいるようだった。
しかし、限界がすぐ側まで近付いていることは疑いようもなかった。
処置台に乗せられて、そこでエラーはやっと口を動かした。
「……すみま、せん。ご迷惑を、おかけして」
ジニアは大きく溜め息を吐くと、「全くだ」と吐き捨てた。
「これから、お前を壊すことになるが。最後に言い残すことはあるか?」
暫しの沈黙を挟んで。エラーは告げた。
「…………。では、エリスさんと少し話をしてもいいでしょうか」
「…………ふん。構わん。私は部屋に戻る。話し終わったら呼べ」
「分かりました、ジニアさま」
ジニアは二人を残し、さっさと処置室を出て行った。
「ありがとうございます。ジニアさん」
「…………」
エリスは前日のことを思い返し、エラーに厳しい目を向ける。
「……昨日のことは、すみませんでした。エリスさん」
「悪いと思っているなら、私でなく戻ってきたジニアさまに謝ってください」
ふっと返された言葉は素っ気ない。
「それは……そうですね。分かりました」
しかし、素直にエラーが謝ったことで、エリスは毒気を抜かれた。
前日のことを引きずっていたことを恥じて、口ごもるように相槌をうつ。
「……はい」
「エリスさん」
「なんでしょうか」
「エリスさんに色々と教わる日々は、これまでの人生で最も楽しい日々でした」
「……そう、ですか」
「これまでずっと戦場で働いて。俺の価値はそこにしかないと思っていました。しかし、銃の代わりにじょうろを持って、ティーポットを持って、箒を持って。……何も上手くはいきませんでしたが、それでも俺は楽しかったのです」
「…………」
「俺は兵器として生まれました。だから、兵器として死ぬと思っていました。相手を壊すことだけが生き甲斐で──いつからか俺自身、そうあるべきものだと思い込んでいた」
「……私には、分からない世界のことです」
エリスが申し訳なさそうに告げると、エラーは仕方ないと言わんばかりに目を瞑った。もしかすると、瞼を開けていることすら限界だったのかもしれない。
「そうですよね。すみません、変な話をしました。……最後に、俺の手の中にまだ花はありますか。もう首も指先も動かせなくて、分からないのです」
「あります。ジニアさまが折らないように運んでくれました」
「では、エリスさんに受け取って欲しいのです」
「……どうして、ですか?」
「どうしても好きになった方との別れの時は、こうするものだと、教わりました」
教わった、というのはかつての上官のことだろう。
エリスが「……ですが」と躊躇っていると、エラーは再び口を開いた。
「俺は知っていました。エリスさんが、俺のことを好きじゃないことも」
「…………」
「俺の目に映るエリスさんの目と、エリスさんの目に映る俺の目は似ても似つかなかった。……だから、これは俺の一方的な片思いです。それでもいいので、どうか受け取って貰えませんか」
懇願するような響きで、エラーは告げる。
「……分かり、ました。大事にしますね」
エリスがそう返して花を手に取ると、エラーは軽く口角を上げて笑った。
彼が笑ったのは、この五日の間で初めてのことだった。
──なぜだか、エリスの胸がちくりと痛んだ。
「これで、思い残すことはありません。ありがとうございます」
「……分かりました。では、ジニアさまを呼んできますね」
エリスが立ち去り、一時的に一人になったことを気配で知って。
「……良かった。これで、俺は……全ての命令を全うできました」
そう、エラーはどこか満足げに呟いた。
エリスがジニアを連れて戻ってきた時には、彼の意識は途絶えていた。
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