第32話

 魔狼の体に入り込んだ瘴気を浄化するために、使った魔法によって俺の前には、子供を抱えて途方にくれる美しい女性が座り込む姿が映し出されていた。


 その目の前には男性が倒れていて、死んでいるようだ。


 男性は獣人のようで、その姿は無惨なものだった。


 集団で暴行を受けたように全身がボロボロになっている。


「ごめんなさい。私があなたを愛さなければ、こんなことにはならなかったのに」


 子供を抱え涙を流す女性は、何度も男性に謝罪をしていた。どうやら女性の旦那さんで、母娘を守るために死んだのだろう。


 それから場面が変わって、今度は母親が娘を守るために、多くの迫害と戦っていた。子供に見えた布で巻かれた姿は子犬で、子犬を抱き抱える女性に異常性を感じた村人が追い立てていた。


 それは何度も繰り返されていた。

 騙して母娘を引き離そうとする者。

 母親の体を目当てに襲う者も大勢いた。


 その度に母親は娘を連れて必死に逃げた。


 次第に、娘が子犬から獣人の子供に成長して、一つの村に落ち着くことができた。

 それは短い期間ではあったが、母娘にとっては幸せな時間だったのだろう。


 だけど、記憶の中に現れた真っ黒な存在によって、母娘は引き裂かれ、娘を探すために心を消耗していく母親は、次第にこれまでの全てを悲しいものだと変換して、世界を呪い始めた。


 最後に娘が殺される姿を見せられて、呪いは絶望に変わっていった。


 そこからは暴走して精神は定まらなくなった。


「旦那さんを殺され、安心して暮らせる場所もなく、アオを奪われた。あなたが心から欲しい者は……」


 俺は目の前で暴れる魔狼に近づいて、彼女の心をギュッと抱きしめた。


 彼女はずっと一人で戦ってきたんだ。


 旦那さんを失い。多くの迫害を受け。最愛の娘を奪われた。


 その傷は簡単に癒えることはないかもしれない。

 だからこそ、一人でもいいから味方になってあげたい。


「俺はどこかの領主じゃないから、あなたに永住の地を与えられないかもしれない。だけど、俺が死ぬまで共に冒険者として支え合うことはできます。もしも、あなたが仲間を欲しいと思ってくれるなら、冒険者として、あなたの仲間になることを許してくれませんか?」


 旦那さんの前で泣き崩れる女性に、俺はそっと手を差し出した。


 それは彼女が辛いことを経験し始める一番最初の光景だと思ったから。


 暴れて、全てを絶望する前の彼女に少しでも支えとなってあげたい。

 彼女たちが穏やかな日々を過ごせる場所を作ってあげたい。


 彼女の望みは、ただ穏やかに死にゆくことだから。


「そう言って! あなたも私を騙すのでしょ!?」

「すぐには信じてもらえないと思います。ですが、あなたを止める娘さんのことは信じてもいいんじゃないですか?」

「えっ? 娘? あの子はもう死んだのよ?!」

「それは否定します。ちゃんと目を開けて、目の前で戦っている相手を見てください」


 俺は語りかけながら、彼女の心にヒーリングとクリーンによる浄化をかけ続ける。心を落ち着かせ、瘴気を吹き飛ばし、心に少しでもアオの言葉が届くように。


「お母さん! 戻ってきて! 私はここにいるよ! ご主人様がお母さんを治してくれるから。お願い!」


 アオの声が大きくなって、魔狼の心を刺激する。


「あぁあああ!!! 本当に!!!」

「はい。あなたの娘さんは生きています。そして、あなたを助けて欲しいと俺に願いました。だから、俺があなたを救います。あなたの体も心も傷を負いすぎた。だから、リジェネレイト! 俺の魔力が続く限りあなたに癒しを」


 最後の魔法をかけると景色は、元の戦場へと戻っていた。


 アオと戦っていた魔狼は、動きを止めて穏やかな顔に戻っていた。


「お母さん」

「アオ、よく無事で」


 母娘が再会できてよかった。


 これで……


「あ〜あ、そんな綺麗な終わりじゃ、面白くないんだよな〜」


 どこからともなく現れた女は、シルクハットにタキシード、ピエロを思わせるペイントを顔に施して仮面をつけていた。


「お前は誰だ!?」

「ふふ、やっと会えたね。ソルトさん。あなたがずっと邪魔をしてくれたから、僕は何一つ研究の成果が得られなくて困っているんだ。だから、この結末だけは変えさせてもらうよ」


 そう言って掌を広げて、再会を喜ぶ母娘に向けられる。


 何か魔法を放つ! 


 防ぐための魔法を行使しようとするが、すでに大量の魔力を使い果たしていた。


 もう魔法が使えない!


「くっ!?」

「親子共々死になよ」


 魔力が放たれる……。


「舐めとったらあかんで!? ラビットキック!!」

「そうにゃ! 私らだって、吹き飛ばされただけで終わると思わないで欲しいにゃ!?」


 ミーアが親子の前で魔法障壁を展開して、放たれた魔法を防いで吹き飛んでいく。


 さらに、魔法を放って無防備な道化師をハニーさんのキックが直撃した。


「ぐっ!? 獣人風情がよくもやってくれたね!」


 ダメージとしては大したことはないのだろう。


 だが、二人のおかげで時間が稼げた。


「アオ! 最後の道は自分で切り開け!」


 アオが神話級の種族だというなら、戦う力を持っているはずだ。

 

 敵が何者なのかわからない。


 だけど、今のアオは特別な存在で、俺がかけたバフ効果も付与されている。


「ご主人様の命令なの! 嬉しいの!」


 命令をしたつもりはないが、アオは倒れそうな母親をその場に寝かせてピエロに襲いかかった。


 その動きは俺が見た誰よりも強くて、勇猛果敢な姿に驚かされる。


「くっ!? 君がまさかここまでの力を持っていたとはね!? 母親の方は弱って僕には届かなかったのに!? チッ!?」


 ピエロは、そのまま来た時と同じようにどこかに消え失せた。


 あの魔法はもしかして時空属性なのか? 俺は意識を失う寸前に敵の属性を考えながら、安堵して意識を手放した。

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