第30話

《side魔狼》


 あの日、どうして私はあの子から目を離してしまったのでしょう。


 私たちは常に狙われる存在で、誰も私たちを守ってはくれないと言うのに。


 保護してくれる人はいました。

 愛してくれる人もいました。


 だけど、私たちは長く生きる種族です。


 いつまでも一つのところに留まり続けることはできません。


 それでも私は良いと思っていました。愛してくれたあの人との大事な子を大切に育てていけるだけで、孤独ではないのですから。


 そんなささやかな幸せすら許されない……。


 どうしてこの世界はこんなにも残酷に出来ているのですか?


「ふふ、ごめんね〜。君がフェンリル種だって気づいてからは、どうやって利用してやろうか考えれば考えるほどに楽しく仕方なくてね。だから、君の娘を誘拐して、王国の獣人国に捨ててきちゃった。ああ、そうだそうだ。場所はね、王国のアザマーン領のダウトって街の近くに発生した瘴気が溢れている場所だよ。早くしないと瘴気に侵されて死んじゃうかもね」


 シルクハットにスーツ姿で、顔にペイントを施した道化師の言葉に怒りを覚えると同時に体は走り出していました。


 我が子を守るためならば、瘴気の中であろうと毒の沼であろうと飛び込んでみせます。


「ふふ、本当にいいねぇ〜母の愛を利用するって、僕って本当に悪だなぁ〜」


 何日もかけて、私は全力で駆けて、瘴気が溢れる場所を見つけては飛び込びました。


 最初は魔力の障壁を張って瘴気を凌いでいたけど、何日も食べずに走り続けた影響は確実に私の体を蝕んでいきました。


「アオ、どこにいるの! アオーーーーーーー!!!!」


 虚しく響く私の遠吠え、私はあの子を救うことが……。


「お母さん!」

「アオ!」

「素晴らしい! 本当に素晴らしいよ、君! 母の愛というのは、それだけ強いんだね。瘴気で体も心も蝕まれているのに、それでも意識を保っているんだもん感動しちゃうな。だけど、それじゃあ面白くないんだよね」


 娘の首を掴んだ道化師の女は、つまらない、そんな理由で娘の首を……。


「バイバイ!」


 ーーーグギッ!


 それは娘の首が折れる音……。


「あっうああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


 もう理性などいらない。

 

 穏やかに生きる人生もいらない。


 こんな世界なんて滅んでしまえばいい。


 あの人も、アオも、もう誰もいない。


「いいね。さようなら、魔狼ルリ。あなたはとても綺麗で素敵な犬だったよ」


 私は崩壊する理性の中で道化師だけは絶対に許せなくて、体を切り裂いた。


「残念。君は強いけど、僕には届かない。僕を捕まえれる存在はいないよ」


 切り裂いた姿は霧となって消えてしまう。


 それが最後の理性で、私はそのまま瘴気に飲み込まれました。



《sideソルト》


 冒険者ギルドの仲間たちに調べてもらった魔狼の居場所に辿り着く。


 魔狼に対して、俺ができることはいつも通りだ。


 成人したフェンリル種の強さはドラゴンゾンビや、ワイトキングなどよりも遥に上位になる。


「あれにゃ!」


 ミーアと共に岩陰から、魔狼の姿を捉える。


 青い毛並みの巨大な狼が、瘴気によって体を侵され、意識を暴走させている。


「お母さんなの!」

「やっぱりあれが母親かいな」

「もう、瘴気に侵食されて命もあぶなそうにゃ」


 かなり危険な状態であることは間違いない。


 苦しそうに血を吐きながら、理性を失った顔で魔物を襲って喰らっていた。


「アオ、お母さんに会いに行こう」

「わかったの! 主人、いいの?」

「ああ、言っただろ。俺がお母さんに会わせてやるってな」

「わかっとるんか? あれは神話に出てくる化け物やぞ! 人がどうこうできるものやないで!」

「ハニー様、わかってます。ですが、出来ることはしたいんです」

「にゃはは、本当にソルトは良い男にゃ。わかったにゃ。私が時間稼ぎをしてやるにゃ」

「私やないやろ。ウチらでや」


 ミーアとハニー様も一緒に立ち上がる。


「危険ですよ!!」

「乗りかかった船や」

「そうにゃ。それに私らもAランクの意地があるにゃ」


 二人はカッコ良く笑う。

 二人は本当にいい女だな。


「ありがとうございます」

「ありがとうなの!」


 これから何が起こるのかわからない。

 だから、周辺の人たちには距離をとってもらった。

 もしも、俺たちが倒れた時には報告をしてもらわなくちゃならない。


 でも、魔狼が動けなくなるほど倒せるか、立ち去るまでは近づかないようにお願いをした。


「アオ、怖くないかい?」

「怖くないの! お母さんに会うの!」

「ああ、わかった。行こう」


 俺はアオと手を繋いで、魔狼の元へと歩み寄る。


「神話より続く魔狼フェンリルよ。貴殿は何故暴れ回る!」

「ウオーーーーーーー!!!!」

  

 こちらの呼びかけに対して応えることはない。

 母親なら、人型になれるかと思ったが、完全に理性が飛んでしまっている。


「お母さん! アオはここにいるの!?」

 

 アオの呼びかけにも反応はない。

 体に入り込んだ瘴気の量が多いんだ。


「今から俺は聖属性魔法で、フェンリルの中に取り込まれた瘴気を浄化する。アオはお母さんを呼び続けてくれ。ミーアとハニー様は、アオを護衛しながら、フェンリルの気を逸らして時間稼ぎをお願いします!」

「天下のAランクが時間稼ぎしかできんとはな!」

「仕方ないにゃ! 攻撃を喰らったらひとたまりもないにゃ!」


 俺は三人に瘴気の対策として強化バフ魔法オーバーオールを施す。

 

 全ての能力が上昇するだけでなく瘴気に対する浄化を同時に行える優れものだ。

 この魔法が発動している間は全ての能力が上昇して、さらに瘴気が体に入り込んで蝕まれることはない。


「なんやこれ! さっきまで息苦しかったのに、めっちゃ楽やん。しかも体も軽いで!」

「本当にゃ! こんな魔法、聞いたことがないにゃ!」

「苦しくないの! 息がしやすいの!?」

「三人に補助魔法をかけました。魔法を発動している間、お願いします」

「ホンマに面白いな! これならやれるで」

「本当にゃ! 任せてほしいにゃ!」


 なんとか戦える準備はできた。


 あとは、俺が上手く浄化を成功させられるだけだ。


「呪文を詠唱する! ディスエンチャント、エリアクリーン、ヒール」


 今回の魔法は、アオの母親である魔狼を救うための魔法だ。


 だから、浄化を行いながら、瘴気によって侵されて、蝕まれた魔狼の体と心の回復を行う。


 暴走する心の沈静化、瘴気に侵食された体の浄化、そして、傷を負った体の回復。


 三つの魔法を同時に使わなければならない。


「大人しく子供を迎えに来るだけやったら良かったのに、悲しいことやで!」

「本当にゃ! 私たちはお前を傷つけたくないにゃ! にゃいけど、街を守るために戦うにゃ!」

「ラビットキックや!」

「瞬猫!」


 どちらも戦闘を始めて、ヒットアンドアウェイで魔狼の気を引いてくれる。


 集中しろ。今、大事な場面だ。俺が一つでも魔法を誤れば、魔狼を守ることも、回復することも、元に戻してやることもできない。


「お母さん! お母さん! 主人が助けてくれるから! 戻ってきてほしいの! アオはまだお母さんと一緒にいたいの!!」


 アオの叫びが少しでも、母親に届くように必ず魔法を成功させてやるからな。待ってろよ。

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