Ex.踊る夜

 魔獣には朝も夜も無い。眠らないからだ。

 しかし魔王国にはある。子どもたちがいるからだ。


「おやすみ、みんな」


 王城の一室、寝室に改装した部屋で寝息を立てる子どもたちに微笑み、ルーツィエはそっと扉を閉じた。

今のルーツィエは恐ろしい魔獣の貌ではなく、貴婦人の姿である。穏やかな表情も相まって、王城の廊下を静かに歩く姿はこの国の女王そのものだ。傍にはオイゲンが無言で続き、三歩後ろに付いてきていた。

 二人以外誰もいない廊下。どこまでも静寂が満ちる城内。窓の外には灯り一つ無い、星と風だけの闇が広がっていた。

 もし魔獣の眼ならば、あるいは昼間なら、そこに広がる廃墟の街並みを見ることが叶うだろう。


 魔獣の国、魔王国が成立してから一年と少し。斜陽ではあったが歴史ある大国が消え、突如として恐ろしい魔獣がその土地を占拠した事件からそれだけの時が経つ。

 当然、周辺国は討伐に乗り出した。軍を率い、魔王を討伐せんと意気を上げた。普段はいがみ合っている国々も、相手が魔獣であれば遠慮は無い。手を結び、共に魔王国へと攻め込んだ。

 しかし全て返り討ちとなった。魔獣は強く、歯が立たなかったのだ。人類の勇気と結束は魔獣たちの餌を増やすだけに終わり、国々は受けた痛手を癒やすことに奔走している。


 魔王国も複数の国相手となれば流石にタダでは済まず数匹が犠牲となったが、問題は無かった。

 何せ適当な捕虜を放り込めば、それだけで補填ができる。

 悪魔の森は、今も口を開けて待っているのだ。


 なので、魔王国は平和だった。少なくともルーツィエにとって大事だと思う物は何も損なわれてはいないし、子どもたちも平穏無事に日々を過ごしている。


「あの子たちも、だんだんとませてきた気がするわね。相手するのも一苦労だわ」


 廊下を歩きながら、ルーツィエは後ろに控えるオイゲンへと言った。


「特に勉強の時間が大変ね。子どもは勉強嫌いと聞いていたけれど、そんなことも無いのかしら」

「教師が、貴女だからでしょう」


 一見は不機嫌に聞こえる程、低い声での返事。前を歩くルーツィエからは見えないが、その顔には仏頂面が浮かんでいるのだろう。

 それでも虫の居所が悪いワケではなく、それが彼の平素であることをルーツィエは知っていた。だから彼の答えに微笑んで問い返す。


「あら、それはどういうことかしら」


 魔王国に大人はいない。ルーツィエとオイゲン、それと魔獣だけだ。

 別に生きていくのに不足は無い。食糧の備蓄なんて腐るほどあるし、無くなったら魔獣に狩猟採集させてくればいい。住まいは王城があれば事足りた。服は……たまにルーツィエが自分の羽根で編んでいる。

 衣食住は足りている。となれば、後は将来を見据えた教養だ。

 なのでルーツィエが教壇に立ち、子どもたちに教育を施していた。王妃に気に入られるほど成績優秀だったルーツィエには造作も無い。しかし予想外にみんな意欲的で首を傾げていた。そういうものだろうかと。だが、オイゲンとしては疑問でも無いようだ。


「勉強嫌いでも、母が付きっきりとなれば喜ぶものです。親子とは、そういうものでしょう」


 その返事に、ルーツィエは目を細めた。


「そう……そうね。確かに……そうかもしれないわ」


 懐かしげに思い返すのは、幼き日の思い出。熱を出した家庭教師の代わりに、母がダンスを教えてくれたことがあった。教師と同じように厳しく指導する母だったが、それでも家族と一緒にいるという浮かれた空気があった気がする。失敗したら手を取って一緒にステップを踏んでくれるのも、嬉しかった。

 連なるように思い出が蘇る。父は忙しそうにしていたが、それでもルーツィエたちの誕生日には必ず領地へ戻ってプレゼントを買ってきてくれた。少し放蕩なところがある叔父だったが、だからこそ悪い遊びとしてサボって釣りに連れ出してくれた。そして自分の後をチョコチョコとついきて、振り返ると蕩けるような笑みを向けてくれる、可愛いゲオルグ。

 もう帰ってこない日々。


「……あら」


 そうして廊下を歩いていると、ルーツィエは広間へと出た。見覚えがある場所だ。


「ホールだわ」


 そこは盛大な夜会などを開く、豪華絢爛な大ホールだった。一面に敷き詰められた絨毯と壁に飾られた絵画、そして豪奢なシャンデリア。国の威信をかけた、正しい贅沢の詰まった場所。

 今は手入れする者もおらず、埃を被っている。そこかしこに飛び散った赤黒い染みもそのままだ。

 それでも見ていれば、在りし日の光景が瞼の裏に浮かぶようだ。


「懐かしいわ。よくここでパーティーを開いていたわね」


 ルーツィエがクリストフの婚約者だった頃、ここではよくパーティーが開かれていた。国中の貴族が集い、豪華な宴席に興じていたものだ。ルーツィエも次期王妃として、何度か参加していた。

 その時を思い出すかのように中央でクルクルと回りながら、ルーツィエはオイゲンへと問いかける。


「オイゲンは見たことあるかしら。城兵だったのでしょう?」

「一度だけ。扉の横に立っているだけでしたが」


 オイゲンは外れかけた扉の傍をチラリとだけ見る。貴族でも何でもない彼には、それ以上の思い出はない。


「あぁ、いつも立っていてくれる人。あれってずっと直立不動で、大変そうと思っていたのよね。実際、どうだったのかしら?」

「大変ですね。特に、あくびを噛み殺すのが」

「ふふっ!」


 冗談めかした答えに噴き出すルーツィエ。オイゲンは基本真面目だが、時折こういうことを言う。それがまるで生真面目だった父と不真面目だった叔父を合わせたかのようで、ルーツィエは楽しかった。


「ね、オイゲン」


 ルーツィエは手を伸ばす。


「踊りましょう?」

「……え」


 オイゲンの鉄面皮が崩れ、呆然と驚きの声を漏らした。

 あどけない表情にルーツィエはクスリと微笑む。


「こんな夜なんだもの。誰かと踊りたいと思ってもいい。そうでしょう?」

「しかし私は……ダンスなどやったことも」

「別に気にしないわ。咎める先生だって、ここにはいないもの」

「平民ですし……」

「今ここに、貴族も平民もいないわ。みんな死んだから」


 一つ一つと言い訳を告げるオイゲンを、一つ一つとルーツィエは封じていく。

 それでもオイゲンは拒否しようとした。


「ですがやはり……」

「……踊りたくないの?」


 シュンと眉根を寄せるルーツィエ。オイゲンは罪悪感にグッと喉を鳴らし、俯いた表情で踊りたくない最後の理由を告げた。


「……私は貴女を、悪魔の森に追いやった男ですよ」


 目を瞑る。すると今でもあの時の光景を思い出せる。

 泣き叫び、恨み言を吐き続ける赤毛の少女。その小さな体躯を、無慈悲に連れ去っていく自分たち。先輩の男があまりに容赦無く引っ張っていくので、逆らえない自分も追従せざるを得ない。それがどんなに間違った行ないか、分かっているというのに。


「……まだ気にしてるの。許すと言ったのに」

「ナハティガル家がどれだけ国に貢献していたのか、私は痛いほど分かっていました。私も、ナハティガルが寄付した孤児院で育ちましたから」

「あら、そうだったの」

「はい。流行病で私以外全滅しましたが、それでも感謝の念を忘れたことはありません。今の自分があるのは、ナハティガル家のおかげです」


 だというのに。

 それでも自分はその最後の生き残り、ナハティガル家の愛娘を悪魔の森へと連れて行った。


「本意では無かったのでしょう」

「命令に逆らえなかったのは確かです。それでも、やったことは変わりません」


 ルーツィエを重罪人と罵倒し、嬉々として追放した先輩兵士。その後兵士長へと成り上がった男のように、手のひらを返してルーツィエを憎むことはできなかった。

 それでもそれは心情だけのことで、実行した行為は変わらない。

 自分は、恩人を殺したのだ。

 例え生きていたのだとしても、その事実は不変だった。


 拳を握り込み、絞り出すように激情を吐露する。


「自分は大罪人です。だから、貴女と踊ることはできません」


 その後罪の意識に耐えきれず、オイゲンもまた悪魔の森へと身を投げ出した。後を追うことで、せめてもの償いにしようとしたのだ。


「それでも私は、今、生きている」


 ルーツィエは震える握りこぶしに手を添えた。オイゲンが顔を上げると、すぐ目の前に翡翠の瞳がある。

 ほとんど密着した距離で、ルーツィエはオイゲンを見上げた。


「この身は魔獣と成り果てたけれども、生きている。そして、復讐は遂げた。……貴方のおかげよ、オイゲン」

「っ、女王様」

「今は、二人だけよ」


 指を絡め、手を取る。二人はホールの中心で見つめ合った。

 オイゲンは観念した。


「……ではルーツィエ様。お見苦しいでしょうが」

「もう、いいって言ってるのに」

「ちなみに曲は」

「あら、目の前にあるでしょう?」


 そう言うと、ルーツィエはその喉で旋律を奏で始めた。

 精神を歪める、魔の歌。しかし今は、そんなおどろおどろしい響きなどどこにも無かった。

 祭りを思い起こさせるような陽気なリズム。伸びやかで透き通るような声がホールへと響き渡る。導かれるように、オイゲンは恐る恐る一歩を踏み出した。

 ぎこちないステップで、一歩、また一歩。


「……あぁっ、すみません!」

「ふふっ、大丈夫よ」


 失敗したステップにもルーツィエは笑いかける。

 不思議なことに、会話をしても歌は続いていた。


「早く、早く、遅く。早く、遅く……そう、良い感じよ」

「難しい、ですね。こんなのをこなし続けたルーツィエ様はやはりすごい」

「でしょう?」


 褒められて、ルーツィエは微笑む。それはまるで童女のようだった。

 作法など関係ない。自由なステップを踏んで二人は踊り続ける。舞踏会に出るに稚拙で、しかし村祭りにしてはあまりに華やかだった。


「私ね、きっと憧れていたの」

「何にですか?」

「こうして、素敵な人と一緒に踊ること。だってアレ・・は、近づくことすら無かったもの」


 苦い記憶を思い出し、ルーツィエは顔を顰める。自分を蛇蝎の如く嫌うアレ・・は、ダンスに誘うようなことはしなかった。どんな華やかなパーティに出ても、ルーツィエはただひっそりと壁の花になるしか無かったのだ。


「だから、実はこうして踊るのは初めてなのよ」

「……そうでしたか。では、私と変わりませんね」

「ええ、そうなのよ」


 いつの間にか二人の姿は変わっていた。

 ルーツィエは半人半鳥に。オイゲンは竜に。

 翼を広げ、魔獣たちは異形の舞いを踊った。人の命を容易く奪い去る爪でステップを刻み、肉を喰らう口で笑みを浮かべる。

 どんな姿となっても、二人の見つめ合う視線の熱さは変わらなかった。


「ね、オイゲン」

「何でしょう、ルーツィエ様」

「ずっと一緒にいてくれる?」


 頬に差した赤みは、羽根の色が映っただけだろうか。

 オイゲンは頷いた。


「はい。この命ある限り永遠に、女王様」

「……そう。まぁ、今はそれでいいわ」

「?」


 プイと顔を逸らすルーツィエに、オイゲンは長くなった首を傾げた。


 夜は更けていく。

 血と静寂の中で、それでも二人は笑顔だった。

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悪魔の森へ追放された悪役令嬢は、魔王となって復讐を遂げる 春風れっさー @lesserstella

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