3.襲来

 執務室でクリストフは重い溜息をついていた。

 目の下には深い隈ができている。

 このところ、不気味な歌の所為で満足に眠れていないからだ。

 しかも寝たら寝たらで、必ずあの化け物たちに襲われる夢を見る。凄惨な光景、恐ろしい化け物、そして最後には必ず自分が襲われて、飛び起きるのだ。なので結局、碌に眠れない。

 睡眠不足でクリストフは疲弊しきっていた。そしてそれは、クリストフだけでは無かった。


「失礼いたします……」


 力ない呼びかけで兵士長が入室する。その兵士長にも隈が刻まれていた。

 不気味な歌は王城の全員に聞こえるワケでは無かったが、クリストフ以外にも聞こえる者はいた。

 例えば兵士長。例えばヨハンナ。他にも何人かの兵士や侍女にも歌が聞こえ、怯える夜を過ごしていた。城に勤めているという以外に共通項は無く、まったくの原因不明であった。


 クリストフは思い至らない。歌が聞こえる者に共通する事柄が、ナハティガルの処刑に立ち会っていた者だということに。

 クリストフにとっては、遠くどうでもいい出来事だからだ。


「なんだ、一体。くだらない用事なら今すぐ下がれ」


 入室した兵士長に、クリストフは苛立たしげに応じた。眠れていない所為で常にイライラしている。


「は……しかし、いよいよ民衆の不満が頂点に達しているといいますか」

「何かあったのか」

「城門前の広場で抗議活動を」


 兵士長曰く、不気味な歌に対して何もしないどころか衛兵を減らして治安悪化させた王家に対して訴えを起こす運動を始めたのだとか。治安改善を求める旗を持ち、百人以上の民衆が広場に集まっているそうだ。


「兵を出して解散させろ」

「より反発も大きくなると思いますが……」

「構わん。むしろ暴動が起きたら鎮圧する大義名分が立つだけまだマシだ」

「はっ……」


 兵士長は了承し引き下がっていく。退室したのち、クリストフは椅子に身を沈めて額を揉んだ。


「クソ、なんでこんなに問題が起こるんだ……」


 不気味な歌に民衆の好き勝手。兵士の行方不明も解決していない。ドッと湧いた問題の数々に、クリストフは辟易としていた。


「よりにもよって父では無く俺の代に……はぁ」


 忌々しげに溜息をつくクリストフ。

 確かに原因不明だが、その原因が自分にあるかもしれないとは露ほども思っていない。


「歌と行方不明はともかく、民衆バカ共がうるさいのはすぐ解決できる問題か。うん、やはり解散など生温いことは言わず多少殺して躾けるべきだな……よし、そうしよう」


 そう決断しクリストフが身を起こしたところで再び扉が開かれた。

 一言も無しとは無礼な、とクリストフは顔を顰めたが、現われたのが兵士長だと見ると手間が省けたとばかりに口を開いた。


「丁度いい、兵士長。やはり民衆を解散させるという話だが……」

「それどころではありません、陛下!」


 兵士長の表情は緊迫していた。ただ事では無い。


「な、なんだ。外の民衆が何かしたのか」

「それならば可愛いものです! ……王都近郊に魔獣の群れが現われました!」

「ま、魔獣だと?」


 魔獣。それは悪魔の森近辺に出現すると言われる化け物の総称だ。

 クリストフもその名は知っているが、実物は見たことが無い。それどころか実在を疑ってすらいた。

 しかし、そんな奴らがまさか。王都と悪魔の森は遠く離れている。だが妙な胸騒ぎがして、クリストフは椅子から立ち上がった。


「じょ、状況を確かめに行くぞ」

「はっ!」


 王城から飛び出し、王都の外壁へ向かう。すると、地平線から雲霞の如く押し寄せる化け物たちの群れが見えた。


「何という数だ……」


 兵士長が息を呑む。凄まじい数だ。恐らくは王都に詰める兵士の数を超えている。魔獣一体一体の強さがどれくらいかは分からないが、もし兵士よりも強ければ……。絶望的な予測に兵士長の額を冷や汗が伝う。


「陛下、とにかく一度兵を出して威力偵察を……陛下?」

「あ、あ……」


 隣のクリストフに声を掛けるが返事は無い。訝しんだ兵士長が目を向けると、そこには魔獣の群れを指差し目を剥いて怯える国王の姿があった。


「な、何故だ」


 クリストフは迫り来る魔獣たちの姿に見覚えがあった。魔獣など興味の欠片も無かったというのに、何故それを知っているのか。


どうして夢と・・・・・・同じ光景なんだ!?・・・・・・・・・


 それは悪夢で見たものとまったく同じだったのだ。悪夢で現われ恐ろしい所業を行なっていた化け物たち。恐ろしい光景がフラッシュバックし、クリストフは戦慄する。

 夢の化け物たちの正体は魔獣だった。

 だとすると、いやまさか。


「ひ、ひぃ……!」

「陛下?」

「も、戻る! 王城に戻るぞ!! 兵士たちを全員連れてこい!!」

「陛下!?」


 そう言ってクリストフは逃げるように王城へ戻った。広場ではまだ民衆が抗議活動をしていたが、兵士たちの圧力で蹴散らし全て無視して城の中へ飛び込んだ。城門を固く閉ざし、命令を飛ばす。


「兵を集めて防御を固めさせろ! 奴らを城の中へ入れるな!」

「お、お言葉ですが陛下。それならば王都の防壁で防衛するべきでは……」

「駄目だ! それでは無理なのだ!」


 クリストフは泡を吹くような勢いで兵士長の提言を否定した。何故なら夢では兵士たちの決死の防戦虚しく魔獣に侵入されてしまう。何度も何度も見た光景だ。だったら全兵力で城に引きこもった方が、まだ目があるというものだ。


「し、しかしそれでは民衆が……」

「放っておけ!」


 兵士長の意見は全て無視し、とにかく防御を固めさせる。

 そして、その時が訪れた。外から耳を塞ぎたくなるような悲鳴の数々が上がったのだ。

 気になってクリストフは演説用のバルコニーから見下ろす。


「ひぃぃぃ!」

「ば、化け物だぁ!!」

「うわぁぁぁぁ!!」


 城門を軽々と乗り越えて侵入してきた魔獣に民衆は逃げ惑う。

 多頭の猟犬に二階ほどの大きさに達する巨大熊。鉄の甲殻を持つサソリ、牛を丸呑みできそうな大蛇は牙の先から毒を滴らせている。

 あまりに恐ろしい存在を人々は恐れ、我先にと建物の中に避難する。だが家屋の薄壁程度なら簡単に打ち破れる魔獣たちから逃げ延びる術は無い。簡単に捕まり、そして凄惨な光景が繰り広げられた。


「ぐええええ!!」

「あ、足がぁ! 俺の足がぁぁ!!」

「いや、やだ、食べないでぇ!」


 魔獣たちは民衆を襲い、容赦無く喰らった。殺し、肉を食い、骨を啜る。魔獣たちは嬉々として捕食しているように見えた。まるで久方ぶりのご馳走にありつけた子どものようだ。劈く悲鳴と断末魔。酸鼻極まる光景と血を浴びて赤く染まる魔獣たちの姿に、王城からそれを見ていた全員の顔が青ざめた。


「あ、あれが魔獣……」

「戦っていたら、俺たちも……」


 兵士たちも震えていた。無理もない光景だ。盗賊や他国を相手にするときとは違う。相手は常識の通じない化け物なのだ。怖じ気づくのも当たり前だった。そして国の中でもっとも堅硬な王城の造りに感謝した。ここならば魔獣といえども簡単には入ってこられまい。


「た、助けてぇ!」

「開けてください!!」


 やがて民衆の中で生き残った者たちが城門前へと殺到した。門を叩き、中に入れるよう懇願する。

 兵士長はバルコニーでそれを見下ろすクリストフへと伺いを立てた。


「へ、陛下。如何いたしますか」

「絶対に入れるな! 魔獣が入り込んでしまうだろう! 登ってきたら矢を射かけてでも追い払え!」


 クリストフは即座に見捨てた。平民如きを気遣って万が一があってはならない。城門を乗り越えるのも駄目だ。その肉に釣られて魔獣が侵入したらどうすると言うのだ。


「わ、分かりました」


 兵士長も素直に頷いた。一応は聞いてみたが兵士長個人としてもクリストフの意見には賛成だった。最初の戦ってみるという気持ちは魔獣の恐ろしさを前にすっかり萎んでいた。

 兵士長は城門に閂をかけて絶対に開けさせないようにして、城壁に手をかけて無理矢理登ってこようとする者には矢を射かけたり槍で突いたりして下に叩き落とした。

 そして城門前広場も、魔獣の波に呑まれた。


「ひぃぃぃ!」

「ぎゃああぁぁぁっ!!」


 上げる悲鳴と血飛沫。兵士たちは目を逸らし、耳を塞いだ。クリストフも恐ろしくなって、バルコニーから踵を返す。


「陛下、どちらへ!」

「部屋だ、部屋! お、お前たちで防衛しておけ!」


 呼び止めようとする兵士長からも逃げるように、クリストフは一目散に部屋を目指した。

 残された兵士長は、命令通りに防衛に当たるしか無い。


「ええい、やむを得まい。だが幸い、王城の壁は街の外壁よりも強固な造りだ。矢や武器の貯蔵も充分にある。兵士も集まっているなら、防衛は有利……んん?」


 そこで兵士長は異変に気付いた。魔獣共の動きがピタリと止まっていた。正確に言うのならば、哀れな民衆を捕食はしているものの、城壁を登るようなことはせず静止している。

 まるで待てをされた飼い犬のように。


「一体、何故……」


 考えても答えは分からない。

 兵士長にできるのは、すぐに死戦にならなかったことに胸を撫で下ろすことだけだった。

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