2.悪夢
ルーツィエの追放から十年後。
クリストフは王国国王に在位していた。
ナハティガル家の処刑から程なくしてクリストフはヨハンナと結婚。すぐに懐妊し第一王子ユリウスを出産した。一説によると、結婚以前に既に懐妊していたとも言われている。
それから間を空けず病床だった国王が崩御。入れ込んでいたルーツィエがいなくなったことで心弱らせていた王妃も後を追うようにして死去した。王太子であったクリストフはそのまま王位に就き、以後の十年にわたって君臨し続けている。
そして現在。そんなクリストフを悩ませる問題があった。
「また兵士たちが行方不明になっているのか」
「はっ」
王の執務室で将軍からの報告を聞き、クリストフは溜息をついた。
「これで何度目だ」
「四度目かと。兵士たちがすっかりと怯えてしまっています」
跪いてそう報告するのは兵士長だった。
兵士長はナハティガル家の処刑時、ルーツィエを抑え込んでいた二人の兵士の片割れである。悪魔の森への追放刑も実行し、その勇気を称えられ出世街道に乗った。現在ではこうして王と直接言葉を交わす立場である。
なおもう一人の兵士はルーツィエを追放した罪悪感からか、精神をおかしくして行方不明になっていた。噂では悪魔の森へルーツィエを追って消えたとも。真相は定かではない。
「屈強な兵士たちが忽然と行方不明になるとは、何とも不可解だな」
現在王国で起こっている問題。それは夜に兵士たちが消える怪事件だった。
王都内部、あるいは外壁を巡回する兵士たちが唐突に消息を絶った。誰にも見られることなく。それが合計四度起こった。まったくの原因不明である。
「兵の訓練もただではないのだぞ」
額を揉むクリストフの慨嘆に兵の命を心配する響きは一切含まれていない。彼にとっては折角金を掛けた兵士たちが損耗する事の方がよっぽど堪えることだ。
「今回もやはり行方は分からないか?」
「はっ。痕跡を調査したところ、ある一点で足跡も途絶えておりました。中には周囲に何もない原っぱの上で消えている者も。原因は今のところ不明です」
「本当に忽然と、か。まさか怪鳥に攫われたとでもいうまいな」
「ははは。だとしたら王都周辺に魔物が現われていることになりますな」
「それこそまさか、だ」
クリストフと兵士長はジョークに笑った。
魔物は悪魔の森近辺にしか出現しない。それすらもごくごく稀だ。遠く離れた王都に現われるなどあり得ない。
「大方脱走だろう。このところ王都の中で不気味な歌が響くというからな。それを恐れ、恥じて行方を眩ませたのだろう。情けないことだ」
「まったくです」
王都には他にも怪事件が起こっていた。
王都全体が寝静まるような深い夜。どこからか不気味な歌が響くというのだ。声は美しいが旋律は恐ろしげで、聞いた誰もが震え上がるような歌だという。それを聞いてしまった者は恐怖に駆られ不眠症となり、王家へと陳情を繰り返していた。
しかしクリストフはそちらへの興味は一切なかった。対処をする気も。所詮は平民のいうことだ。無視をしても変わらない。クリストフにとっては自分の懐の痛む兵士の失踪の方がよっぽど大事件だ。
「如何いたしましょう」
「それを考えるのが貴様たちの仕事だろう」
伺いを立てる兵士長をクリストフはにべもなく切り捨てた。
王となったクリストフは万事がこの調子だった。報告を受けても文句を言うだけで大抵は丸投げし、具体案などは出さない。そのクセ王城の内装や宝飾には口を出す為、国の国庫は目減りしていく。なので最近は支出にうるさくなって、無駄な出費を減らす努力はしていた。
「だが、まあ、衛兵は減らして良いだろう」
しかしクリストフの言う『無駄な出費』とは、平民への福利厚生であることが多い。
「その分を王城の警備に回せ。城の防御が減るのは耐え難いからな」
「しかしそうすると街の治安が悪化しますが……」
「構わんだろう。丁度いいじゃないか、不気味な歌だのを呑気に気にしているんだ。暇なのだろうさ」
「はっ……ではそのように」
兵士長は忠実に頷いた。彼としても平民のことはどうでもいい。自身の立身出世こそが第一なのだ。
減った兵力を治安維持から捻出する方向でその話は纏まった。兵士長は退出し、クリストフも寝室へ向かう。
その途中、廊下でクリストフは自らの妻子と擦れ違った。
「父上!」
「おお、ユリウス!」
クリストフは抱きついてくる愛息を抱き上げた。クルリと巻いた金髪の彼こそがクリストフ唯一の子、第一王子ユリウスだった。
じゃれてくるユリウスの後ろから、扇を持ったヨハンナが追いついてくる。子を産んでからの彼女は顔に出始めた老いを隠すため扇を持ち歩くようになっていた。
豪奢なドレスに相応しく小さな宝石の散りばめられた扇で口元を隠し、ヨハンナはユリウスを窘めた。
「こら、ユリウス。仮にも王族の末席なのですからはしたないですよ」
「はぁい、母上」
シュンと項垂れてユリウスはクリストフから離れる。クリストフは恨みがましくヨハンナを睨み、しかし言っていることは正しいため何も言わなかった。
ユリウスが生まれてから十年。二人の夫婦関係は冷めつつあった。二人目ができていない事実がそれを物語っている。しかし二人揃って見栄っ張りなので表面上は仲が良い風を保っていた。
「ヨハンナ、ユリウスに無理をさせていないだろうね」
「あら、陛下。もちろんです。私の息子ですもの」
「そうか、それならいいのだが。まさかまた倒れるようなことにはならないだろうしね」
「えぇ。相応しい教育を、適切に与えていますよ。今も、昔もね」
今も上っ面は穏やかに言葉を交わしながら、瞳では教育方針を巡って睨み合う。自分がそうだったように我慢せず好きなように生きればいいと思っているクリストフと、多少なりとも貴族の計略に通じるヨハンナではユリウスの教育に対する熱意が違っていた。怠惰なクリストフの代わりにユリウスの教師を選んだのはヨハンナだ。国有数の専門家たちを揃えたが、それが原因でユリウスが過労で倒れ、一度王夫婦は激しく言い争った。そのしこりが、今も残っている。
だが今は王城の廊下だ。二人ともそれ以上は何も言わず、ユリウスの手前仲睦まじい夫婦を演じる。
「さぁ、ユリウス。今日はもう寝なさい」
「はぁい。父上、おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
寝室へ行くことを促すクリストフの言葉にユリウスは素直に頷く。親子と言えど王族。寝室はそれぞれ別だ。
クリストフは二人と別れ、自らの寝室へと向かった。
高級ワインを嗜んだのち、豪奢なベッドの上でクリストフは眠った。
そして不思議な夢を見た。
王都が化け物の軍勢に襲撃され、火に巻かれる夢だ。
狼が如き者。小鬼のように醜い者。牛の頭を持つ筋骨隆々な者。人とは思えない恐ろしい形相をした怪物たちが城下を襲い、民衆を殺し回っていた。肉に牙を食い込ませ、血を啜り、骨をしゃぶる。身の毛のよだつ凄惨な光景。
クリストフは恐れ、城門を固く閉じさせた。逃げてきた民たちが入れてくれと懇願して門を叩くが、当然クリストフの知ったことではない。城壁を登ってくるようなら槍で突けと、絶対に王である自分を死守しろと兵士たちに命じ、自分は部屋に閉じこもる。耳を閉じ、脅威が去るまで震えて待つ。
しかしそこへ、恐ろしい羽音が聞こえてくる。
顔を上げたクリストフの目に映ったは、窓の外から飛来する巨大な鳥の化け物。
化け物はこの世の者とは思えない程美しい女の顔で言う。
「苦しみ続けろ、愚かで罪深き王よ。我らの恨みが、お前から全てを奪うまで!」
恐怖のあまりクリストフは失禁して、そこで気絶したのか夢は暗転した。
「うわあああぁぁっ!!」
悲鳴を上げてクリストフは跳ね起きた。聞こえてきた悲鳴に、寝室の前で見張りをしていた兵たちが扉を開ける。
「陛下、何がありましたか!」
「曲者ですか!?」
「あ、あぁ、いや、何でも無い。戻れ」
「しかし、今の声は……」
「何でも無い! 戻れ!」
重ねて言うと兵たちは顔を見合わせ、扉を閉めて見張りへと戻った。まさか夢見が悪くて悲鳴を上げたなどとは、情けなくて言えるワケがない。
「何でも無い……そうだ、何でも無い」
そう、夢だ。クリストフはベッドの上で再確認した。
だがまるで本物のように迫真的な光景だった。あんな化け物見たことなどないというのに、細部まで鮮明に思い出せる。最後に出てきた化け物の顔も。しかしあんな光景はあり得ない。
クリストフの身体は汗でびっしょりと濡れていた。まるで水浴びをした後のようだ。不快げに顔を顰めるクリストフだが、ふとすると汗の臭いに混ざって異臭がすることに気付く。寝間着の下半身を確認し、クリストフは羞恥で顔を赤くした。
「くっ……」
まさかこの歳になって。
怒りと恥辱で顔を充血させるクリストフ。だがその顔色も、次の瞬間には真っ青に変わった。
歌が聞こえてきたのだ。
「なんっ……なんだぁっ」
不気味な歌だった。声の高さからして女性の声だ。しかし美しいとすら言える声だというのに、どこまでも冷たい響きを伴っていた。旋律は鋭い冬風のようだ。
歌詞の言語は分からない。だが胸を掻き毟りたくなるような不安が呼び起こされる、そんな恐ろしい歌だった。
そんな歌が、どこからか響いてくる。
まさか、城下で響いていたという不気味な歌か。
思い至ったクリストフはベッドから飛び起き、先程顔を出した見張りの兵士へと命じた。
「歌を止めさせろ!」
「は? 歌……ですか」
「そうだ! 歌っている奴を探して、引っ捕らえろ! 兵士長を起こせ、総出で探せ!」
困惑しながらも兵士たちは走り、深夜の大捜索が始まった。
しかし城中を探し回っても歌い手は見つからなかったし、歌も止むことはない。どこからか響き、クリストフの耳朶を震わせる。それがまるで呪いのようで、クリストフは肩を震わせた。
総出の捜索も虚しく、歌い手は見つからなかった。歌も、夜が明ける前には止まってしまう。
結局誰が歌っていたのか、分からずじまいで終わった。
それから毎夜、クリストフはどこからか聞こえてくる不気味な歌に震える夜を過ごすことになる。
兵士たちは知らない、見つけられない。
それが王城の屋根に座りし、巨大な影がもたらす物だとは。
影は必ず夜明け前に飛び去った。
巨大な、翼を広げて。
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