悪魔の森へ追放された悪役令嬢は、魔王となって復讐を遂げる

春風れっさー

1.復讐が始まった日

 王城前広場。そこは今、興奮の坩堝と化していた。

 目を血走らせた人、人、人の群れ。老若男女問わず多くの人が集まり、中心へ向けて熱狂していた。中には罵声を飛ばしている者や、実際に物を投げている者もいる。

 それを高く組まれた見物席から、高貴な身なりの人々が見下ろしていた。恰幅のいい腹を楽しげに揺らす老貴族、扇を広げ薄笑う口元を隠す貴婦人。その中央には、特に着飾った二人が並んで座っていた。

 一人は金髪碧眼の青年。精悍な顔つきに浮かべた目元は涼やかで、白い肌と合わさって大理石に彫られた名工の彫刻を思わせる。周囲の貴族と比べても一際豪奢なベストを着た彼は目を細め、残忍に口元を歪めていた。

 その隣にいるのは桃色の髪をした小柄な少女。髪はクルクルと丸まって羊のようで、瞳は萌える草原のよう。隣の青年に負けず劣らず豪華なドレスに身を包んだ少女は小動物のような愛くるしい顔に似つかわしくない、嘲るような表情でクスクスと口元に手を当てていた。


 その視線の先にあるのは演劇の舞台めいた処刑台。

 立っているのは跪かされた壮年の罪人と血塗られた斧を持った処刑人。そして壇上の前で泣き叫んでいるのは、罪人と同じ赤毛を持った少女だった。


「いやぁ! お父さまぁ!!」


 鉄の首輪が嵌められ擦り切れた襤褸布で包まれたような格好は、彼女もまた罪人であることを示していた。琥珀の瞳から涙を流し壇上へ向かってひたすら叫ぶのは、兵士に囲まれ両肩を押さえつけられた彼女にはそれしかできないからだ。元は美しいのであろう整った顔も、今は悲痛に歪み見る影も無い。

 そんな少女の前で、処刑人の斧が振り上げられる。


「お父さま、いや、お願い、やめてぇぇぇっ!!!」


 だがそんな叫びも虚しく、斧は無慈悲に振り下ろされた。血飛沫が上がり、丸い物が転がり落ちる。


「あ……あぁ……」


 一瞬にして枯れ果てたかの如く少女の哀叫は止まった。呆けたように口を開けた少女の前、処刑台との間に広げられた台に出来たての生首が生々しい水音と共に置かれる。

 台には他にもいくつかの生首が置かれていた。妙齢の女性。髭面の男。そして、幼い少年。


「お父、さま、お母さま、叔父さま……ゲオルグ……」


 呟かれたのは、家族の名前。

 少女と血の繋がった、一族の人間たち。

 彼女の――愛すべき唯一の家族たちだった。


「反逆を企てたナハティガルの一族はここに断罪された!! 諸君らの血税を横領し愚かしくも国家転覆を目論んだ悪人たちは滅び去ったのだ!!!」


 金髪の青年が見物席で立ち上がり、高らかに謳う。よく響くその声は民衆へと届き、湧き上がらせた。


「クリストフ殿下万歳!!」

「見たか悪党共め、死んで当然だぜ!!」


 死人に投げるにはあまりに無慈悲な言葉が生首に向かって吐きかけられる。言葉だけでは無く、石や卵を投げつける者までいた。見るも無惨に汚れていく生首を、生気の無い眼差しで見つめる罪人の少女。

 それを青年と、その腕にしな垂れかかる令嬢は愉快げに見下ろしていた。


 青年はクリストフ・クヴィーク。この国の王太子。

 そして罪人の少女はルーツィエ・ナハティガル。

 大罪人として処刑されたナハティガル侯爵の娘にして、クリストフの婚約者だった令嬢だ。



 ※



 何故こうなったのか。

 それは十年以上時を遡る。


 時の王家は王権の揺らぎに危機感を抱いていた。

 長年の貯蓄によって力を増し発言力を強めた古い貴族たちはまるで言うことを聞かず、長年続いた戦争で王府の軍は痩せ衰えて威厳を保てない。野心を持って属国となった南の領地は何をしでかすか分からず、民衆まで懐疑的だ。

 このままでは内乱による王国の崩壊すらあり得かねない状況。

 故に王家は、それを婚姻で解消しようとした。


 古くからの名家、ナハティガル侯爵家。その長女と第一王子の婚約。

 近親であり王家の予備である公爵家を除き、当時の最有力貴族であったナハティガル家を王家に取り入れることで王権を盤石な物にしようという画策だ。

 ナハティガル家にとっても悪い話では無い。王家への発言力が強まれば後の代の為にもなる。それに代々が民衆のことをもっとも優先する気質であるナハティガルは王国の不安定な現状を憂いていた。民の混乱が収まるならばと、その婚姻に頷いた。

 しかしそこに葛藤が無かった訳では無い。愛情深い侯爵は娘を政略の道具として扱うことを最後まで迷った。その決断を後押ししたのは、他ならぬ娘……ルーツィエ本人だ。


「私が家の為になるならば、喜んで王子の元へ赴きましょう」


 侯爵一家は涙を流しながら抱きしめあい、ルーツィエを王宮へ送り出した。


 誰もが納得ずく。利点だらけの婚約。

 しかしただ一人納得がいかなかった者がいる。

 第一王子にして後の王太子、クリストフその人だ。


「気に入らない。俺より下賤なクセに、大きな顔をしやがって」


 ルーツィエはまだ幼いとすら言える年頃ながら既に美しく、聡明だった。侯爵家の教育を受け現状を正しく理解し、礼儀作法にも精通している。将来の妃教育も飲み込みが早い。貴族令嬢として完璧と言えた。教師や法衣貴族たちもこぞって褒め称える。

 一つ上のクリストフとしては面白くない。わがままに育ったクリストフは勉強が大の苦手で、癇癪を起こしては周囲の大人を困らせていた。それ故敬遠され、必要が無ければ近づく者もいなかった。一人なら別にそれでもよかったが、そこにルーツィエが現われた。自分とは正反対に大人に褒められる子どもが王宮にいる。しかもそれが婚約者だ。クリストフがルーツィエのことを嫌いになるには、充分な動機だった。


「寄るな、汚らしい赤毛女! どうせ王妃の座だけが目当てなんだろ、この尻軽め」


 以来クリストフはルーツィエのことをいびり続けた。婚約者同士の義務として週に一回開かれるお茶会で、クリストフはルーツィエのことを面罵し辱めた。時には紅茶を浴びせられドレスを台無しにされることもあったという。

 ルーツィエはただ黙ってそれを耐えた。自分の発言一つが王国を揺るがしかねない自覚があったからだ。それにもし婚約解消となれば、折角自分を送り出してくれた家族に申し訳が立たない。それに王家と侯爵家では流石に王家の方が分がある。万が一侯爵家に責任を被せられたら、一族が窮地に追い込まれるかもしれない。それだけは避けたかった。

 だから誰にも告げ口せず、ルーツィエは堪え続けた。大人になれば分別がつき、自然と収まることを祈って。

 しかしその態度がクリストフには澄ましていると取られ、より怒りに油を注いだ。二人の断絶は決定的な物となった。

 そんな日々が十年続いた。


 どうにかルーツィエと婚約解消できないかと悩むクリストフに、接近する影があった。

 それが子爵令嬢ヨハンナだった。


「ご機嫌麗しゅう、クリストフ殿下。会えて嬉しいですわ!」


 小さな茶会にて出会ったヨハンナは溌剌とした、クリストフの出会ったことのないタイプの娘だった。クルクルとした桃色の髪に、小動物めいて愛らしい表情。甘えるような仕草で、ボディタッチも多い。それは女から見ればあざといと切り捨てられるような態度だったが、クリストフは気に入った。しかもクリストフへの好意も隠さずにぶつけてきた。それまで疎まれることの多かったクリストフはすぐにヨハンナを好きになった。

 そして勢いで、婚約者がいるにも関わらず肌を重ねることもしてしまった。


「婚約解消ですか? でしたら、私にお任せください」


 クリストフが抱えている悩みを打ち明けると、絡めた腕に胸を押しつけながらヨハンナは言った。


「何? だが簡単にはできないぞ。いたずらに破棄しようものなら、ナハティガルが黙っていない。王国はまた不安定になってしまうと父上に怒られてしまう。それは避けたい」


 勉強が苦手で未だに公務からも逃げ出すクリストフとて、その程度の現状は理解していた。自分の婚姻に何が求められ、何を期待されているのかくらいは。自分が将来継ぐ王国が問題だらけというのも避けたかった。しかし一番は、厳格な父王に叱られたくないというのが理由であったが。

 しかしヨハンナはクリストフの挙げた問題に妖しい笑みを浮かべて答えた。


「えぇ、殿下の有責で婚約破棄した場合はそうでしょう。ですが、ナハティガルが不正を……いえ、反乱を企てればどうでしょう」

「何……だがあの家がそんなことをするとは思えないが」

「本当にしている必要はありません。でっち上げてしまえばいいのです。殿下の擁護があるのなら、確度の高い証拠を偽装できますから」

「しかし、ナハティガルに味方する貴族も多いだろう。それに結局、婚約破棄した後に貴族の後ろ盾が無くなれば王国は揺れてしまう」

「でしたら、私を選んでください」


 ヨハンナの唇は三日月のような弧を描いた。


 ヨハンナの子爵家は近年併合した南の領地、その筆頭だった。

 王国貴族としては新興で、格も低い。筆頭であるヨハンナの実家も子爵家程度だ。しかし外国との貿易で金だけはあった。そして野心も。

 子爵家は金をばら撒き、ナハティガル派の貴族を切り崩した。それは簡単に進んだ。貴族の中には厳格で清廉なナハティガル家に辟易としていた家が多かったからだ。貴族に生まれたからには特権を使って私腹を肥やしたいという腐った貴族家は、金で簡単に裏切った。中には証拠の偽装に手を貸す家もあった。

 ナハティガル家が王家に協力し、王都や国境の治安維持に注力していたのも痛かった。おかげで水面下で行なわれる貴族家の離反に気付かない。こうして、ナハティガルは密かに孤立させられた。


 そして、事は起きた。

 宴席で突如として刺客がクリストフに斬りかかったのだ。しかしヨハンナが咄嗟に庇ったことで、刃はドレスを掠めただけに終わる。刺客は即座にその場で取り押さえられ、ヨハンナは王太子を守ったという美談を讃えられた。刺客は捕らえられて尋問された後、ナハティガルの名前を吐いた。

 当然、全てクリストフとヨハンナたちの仕込みである。


 ナハティガルの一党は反乱を企てた罪で捕らえられた。国王が病床に伏して意識が無かったのも間が悪かった……否、だからこそクリストフは事件を起こしたのだ。水面下で孤立させられていたナハティガルを庇う物は誰もおらず、不自然な早さで一族郎党の処刑が決まってしまった。

 クリストフは微笑んだ。いけ好かない婚約者を零落せしめた上に、ナハティガルの領地が手に入ることに。慣習から反逆者の領地は公領として召し上げられる。領民思いのナハティガル領は富んでいた。絞り上げれば莫大な利益が出ること間違いなしだ。そして美談によって可愛いヨハンナを新たな婚約者とすることもスムーズに進む。良いことづくめで、クリストフは笑いが止まらなかった。


 しかし唯一、誤算があった。

 肝心のルーツィエだけは処刑台に乗せられなかったのだ。


 王妃、つまりクリストフの母が庇った為だった。王妃はルーツィエの教育係も務め、彼女を大変に気に入っていたのだ。彼女はルーツィエの無実を訴え、王太子妃教育で拘束していたことも理由に、安易な死刑宣告を退けた。

 ルーツィエだけを守ろうとした動きが、王妃の妙だった。王太子であるクリストフに政治的権力は劣っていたが、親である故に完全に無視もできない。だが法律の上でも王権に選ばれた王太子の方が上であった。それでは侯爵家全体を守り切ることは不可能。絶妙な力関係で為せるだけの精一杯が、ルーツィエの命を守ることだった。


 だがこうまで追い込んだ人間を生かしておくわけにもいかない。

 死刑にはしないという言質だけとって、クリストフは母の言を無視して強引に刑罰を定めた。



 ※



 そして今、それを国民たちに向けて告げた。


「ルーツィエ・ナハティガルは追放刑に処す! その追放先は――悪魔の森とする!」


 その言葉が響いた瞬間、民衆からは悲鳴じみた声が上がった。


「悪魔の森! 恐ろしい魔獣の住処!」

「立ち入った者は誰も出てこないという……!」


 それは国の北方にある、鬱蒼と広がった深い森のことだった。

 更に遠くの、雪掛かった山脈までの間に横たわる森林。開拓すれば、王国は広大な領地を得られるだろう。

 だが、できない。その森へ立ち入ればそれきりで、外へ戻ってきた者はいないからだ。


「迷い込んだら最後、生きて帰ってきた奴はいないらしいぜ」

「それだけじゃないわ。時折魔物が近くまで降りてきて、人や家畜を襲ったって噂だってあるわ!」

「騎士団もこれまで何度も派遣されたが、誰も魔物に敵わなかったという……」


 悪辣なる魔物が住む森、故に悪魔の森。そう名付けられた恐るべき土地はいつしかその名を口にするだけで王国民を震わせる程の存在になっていた。

 そんな場所へ追放というのだから、王太子にルーツィエを生かす慈悲はサラサラないと断言できる。王妃は抗議したが、死刑にはしないという約束を守ったということを盾に押し切られてしまった。実際、領民の前で公開処刑されるよりは罪が一等軽い。死ぬと確定した訳では無いからだ。

 だがまず間違いなく、死ぬ。


「ルーツィエよ、何か最後に言うことはあるか?」


 勝ち誇った表情のクリストフが、兵士に押さえつけられたルーツィエを見下ろしながら言った。俯き、涙を落とし続けるルーツィエはポツリと呟く。


「……さない」

「ん?」

「許さない!」


 弾かれるように上げられた顔。そこには黒く刻まれた涙の跡と、憎しみに燃える双眸があった。

 見開かれた瞳に最早かつての優しさは存在しない。あるのは心を焼き尽くさんとする憎悪の炎だけだった。


「お父さまに罪は無かった! お母さまも、叔父さまも、当然ゲオルグも! 国に尽くし、民に寄り添った善良で誇り高い貴族だった! なのに!!」


 喉をから血を吐かんばかりの勢いでルーツィエは叫んだ。貴族令嬢として嫋やかに育てられた彼女が出した、生涯初めての大声。あらん限りの力で呪いの言葉を吐きつける。


「クリストフ!! お前だけは絶対に許さない! 私はみんなを殺した貴方たちを絶対に許さない! 受けた恩を忘れて罵るお前ら国民も同罪だ!」


 ナハティガル家は公共福祉に尽くし重要施設への寄付なども積極的に行なっていた。反乱の濡れ衣が着せられる前までは民衆もそれを頼りにしていたのだ。だというのに処刑が決まった途端掌を返して罵声を浴びせる浅ましさを、ルーツィエは決して許すことができなかった。


「死ね、死ね、王国の人間はみんな死んでしまえぇっ!!」


 赤毛を振り乱し呪詛を叫ぶルーツィエに対し、クリストフは醜い物を見るように顔を顰めるだけだった。


「なんと恐ろしい。皆の者よ、これが悪女の正体だ!」


 大仰に手を広げて言うクリストフに、民衆は同調する。湧き上がる歓声にクリストフは頷き、刑を執行した。


「王太子クリストフの名において命じる。反逆者の娘を悪魔の森へと連れて行け!」

「ほら、来い罪人め!」

「……申し訳ありません、ルーツィエ様」


 二人の兵士がルーツィエの身柄を引き上げる。


「クリストフゥゥゥ!!」


 叫びも虚しく、無力なルーツィエは連れられていく。

 それが国民たちの見た貴族令嬢ルーツィエ・ナハティガルの最後だった。


 悲劇だが、それでも王国の長い歴史を見ればありふれた出来事だ。将来の歴史書にもこの処刑は、精々が一行程度で綴られるだけに終わるのだろう。


 だがこの出来事こそがその王国の長い歴史を終わらせるきっかけになる。

 そのことを、まだ誰も知らない。

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