人魚野郎

篠崎亜猫

人魚野郎

「小町、人魚になったぽい」


送られてきたメッセージを見て私は渋い顔をした。送り主は乾という男で、欠点と言えば持ち前の妄想癖と髭やら髪やらでマリモみたいになっている頭部以外にないと評判の学内一心優しい青年である。私は乾の次に心優しいと自負しているので、丁寧に液晶をタップして「寝ろ」と送った。

3秒後に既読が付き、5秒後に電話がかかってきた。


「本当だって。小町は人魚になったんだよ」

「そうかそうか。粥を食べ生姜湯を飲み永遠に眠れ」


小町とは我らが研究室のマドンナである。記録ノートにも重要書類にも筆ペンで文字を書くという変わった性質を持ち、インクを含んだ筆先のような黒髪も美しく、目は細くて肌は白い。ぽってりした唇が艶やかで、どこまでも古風な破廉恥さを纏っている女性だった。


「本当なんだって」


乾は哀れっぽく私の同情を引こうとした。しかし私は鋼鉄の意思でそれを跳ねのけ、「風邪だね。羽毛布団送ろうか」と実家の母親みたいな声を出してやる。


「夏に送るなそんなもの」

「うるさい。破廉恥な妄想と熱中症で脳が茹って死ね」


暫く私たちは互いにしか通じないハイブロウな冗談たちを酌み交わしていたが、飽きたらしい乾が「もういい。家行くわ」と言ったところで電話は切れた。私は黙りこくるスマホに虚しく「来んな」と叫んだ。


乾は本当にやってきた。

私は乾と入口で格闘し、玄関で格闘し、廊下で格闘してその巨体と無言の迫力に敗退し、彼を部屋に上げた。


「して、何故小町嬢が人魚になったなんてデマを私に吹き込む」

「デマじゃねえよ。これ見ろ」


乾のジーンズのポケットから出てきたのは小瓶であった。コルクで栓のしてある、小さくとも立派なやつである。


「ある日俺の部屋の前にボトルメールが来たんだ」

「それはただの置き配だろう」

「でもそのとき小瓶は海水に濡れていたし、謎のコンブがくっついてたぜ」

「ふむ」


小瓶には便箋を丁寧に折りたたんだものが入っていて、「I LOVE YOU」と筆ペンで書かれていた。確かに小町嬢がここ数日音信不通なのは、まぎれもない事実である。しかし突発的に人魚になったとはにわかに信じがたい。


「俺、初めて告白されたんだ」


乾は巨体を縮ませながら呟いた。


「これに応えなきゃ男じゃないよ」


かくして我らは無謀にも、深夜の海に野郎二人で繰り出すこととなったのである。

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人魚野郎 篠崎亜猫 @Abyo_Shinozaki

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