第二章 ④
榮晋は向かいに座る道玄を、期待を込めて見やる。
「道玄。わたしでは香淑の本性を見抜くことはかなわなかった。お前ならば、本性を見抜けるか?」
榮晋の問いに、道玄が眉を寄せて頷く。
「確かに、さっきの話だけじゃあ何とも言えんな。会ってみて……。必要とあれば、多少手荒なことをしてもいいってんなら……」
「女に手を上げるのは趣味じゃねぇんだがなぁ」とぼやく道玄に、榮晋は、「かまわん」と即答する。
「お前さえよければ、今すぐにでも──」
腰を浮かせかけた榮晋に、道玄が困り顔で頭を
「わりぃ。実はこの後、急ぎで出かけなけりゃいけねぇ用事があるんだ」
「今度は、どこで妖退治だ?」
だからこそ、媚茗を滅ぼすことはできないと言いつつも、こうして慶川の町に
もし、道玄と出会っていなかったら、とうの昔に自暴自棄になり、生ける
榮晋の問いかけに、道玄は言葉を濁した。
「あー。おいおい、そうなればいいっていうか……」
大きな手でがしがしと頭を搔く。
「
「それ、は……」
とっさに言葉が出てこず、榮晋は言葉を途切れさせた。
道玄が榮晋のために蛇の妖に効くという妖刀を求めてくれているのは、明らかだ。
「わたしは、お前にどう礼をしたらよいのだろうな? 花嫁のことといい、今回のことといい……。どれほどの礼を尽くせばよいのか、わからん」
正直に告げると、豪快な笑いが返ってきた。
「馬鹿言え! やっぱり、まだ
大声にうつむいていた顔を上げると、道玄が明るい笑顔を榮晋に向けていた。
「オレはまだ何にもしてねぇだろうが! 心配すんな、見事、媚茗の奴を退治した暁には、丹家が
手酌で杯を
「覚悟しとけよ。その時には、この卓に収まりきらねぇほどの高級料理を並べて祝宴だからな。酒瓶の林を立ててやるから、たっぷりの銭を用意しておけよ!」
「……ああ」
ぞんざいな口調の裏にひそむあたたかさに、榮晋は口元をほころばせて頷く。
「お前と祝杯を交わせる日を、楽しみにしている。どうか、気をつけて行ってきてくれ」
「もちろんさ。
「わかっている。せっかく手に入れた花嫁なのだ。逃げられるわけにはいかんからな。お前が帰ってくるまでは大人しくしていよう」
逃がす気など、欠片もないが。
「……おいおい、仮にも花嫁に対する言い草じゃねぇだろ、それ……」
ふたたび料理に箸を伸ばしながら、道玄が
榮晋は微笑んだまま、あえて答えない。
道玄を、もちろん信頼している。
だが同時に、道玄が『アレは無理だ』と告げる媚茗から逃れられるただひとつの方法が、教えられて以来、胸の奥でずっとずっと、渦巻いている。
もう、丹家の直系で残っているのは榮晋ひとりなのだ。遠い他州で暮らす限り、媚茗は姉には手を出せない。
ならば。
後は、榮晋が死ねばいい。
むろん、媚茗はどんな手段を使ってでも、榮晋を死なせぬだろう。
実際、媚茗の呪われた加護がある限り、刃物だろうが、毒だろうが、榮晋を傷つけることは
榮晋の嫁取りを不承不承だが媚茗が了承したのも、丹家の血を絶やさぬためだ。
それを、榮晋は逆手に取った。
「道玄。好きなだけ食べてくれ。
椅子から立ちながら告げると、骨付きの豚の足にかじりついていた道玄が「んぁ?」と視線を上げた。
「全然、食べてねぇじゃないか。そんなんで身体がもつのかよ?」
「この後、屋敷で取引相手と会って、食事をする予定があるのでな。お前は好きなだけ食べていろ」
榮晋はあっさりと噓をつく。屋敷で取引相手と会うのは確かだが、食事の予定はない。
媚茗に絶えず精気を吸われている自分が、男としては
だが、どうにも食欲が湧かぬのだから、仕方がない。
ああ、早く。と榮晋は
早くこの忌々しい呪いから解放されたい、と。
道玄に背を向けて歩む榮晋の胸の中で、
あの時の道玄のしかめたひげ面も、苦々しい声も、昨日のことのように思い出せる。
『妖から呪われた加護を受けた人間が、そこから抜け出す方法? そりゃあ、その妖自体を封じるか、滅するか。でなけりゃあ……』
──聞いた時、己の心に宿った
『同等かそれ以上の力を持った妖に殺されるか、だ』
◇ ◇ ◇
「待って!」
がさり、と茂みの向こうに隠れようとした少年を、香淑はとっさに呼び止めた。
「待って、その……」
うまく言葉が出てこない自分に
庭に下りた香淑は、茂みから少し離れたところで足を止めて
「こんにちは。わたくしは香淑というの。昨日、丹家に来たばかりで、何もわからなくて……」
できるだけ、柔らかな声を意識する。
「ひとりで心細い思いをしていたの。よかったら、茂みから出てきて、おしゃべりをしてくれない? わたくし──」
先ほど見えた幼い顔立ちを思い描くだけで、口元に自然と笑みが浮かぶのを感じる。子どもは好きだ。無邪気な笑顔を見ていると、香淑の心まで
本心を乗せた言葉は、するりと唇からこぼれ出た。
「わたくし、あなたとお友達になりたいの」
「とも、だち?」
がさり、と声とともに、少年の迷いを表すように茂みが揺れる。
姿が見えぬままの少年に、香淑は大きく
「そう。この家には、親しい人はまだいないから……。あなたが、わたくしのひとり目のお友達になってくれない?」
「友達に!? うんっ、もちろんいいよ!」
はずんだ声とともに、
香淑の前まで駆けてくると、少年はにっこりと微笑んだ。
「ぼく、晴喜っていうんだ! お姉さんは、香淑っていうの?」
「ええ、そうよ」
間近でふりまかれる笑みがまぶしい。お姉さんと呼んでもらえる年ではないのだが、晴喜の言葉を否定するのもどうかと思い、笑顔で頷く。
人懐っこい晴喜の笑顔を前にすると、こちらまで自然と笑顔になってしまう。
「ふうん」と頷いた晴喜が、くりくりとした目を真っ直ぐ香淑に向ける。
「じゃあ、香淑が榮晋のお嫁さんなんだよねっ!? ぼく、榮晋のお嫁さんが来たら、お気に入りの場所を教えてあげようと思ってたんだ! こっちこっち!」
「えっ? あの……っ!?」
香淑の戸惑いを意に介さず、きゅっと手を握った晴喜がはずむような足取りで庭木の間を歩いていく。その勢いに香淑もついて行くほかない。
晴喜に手を引かれるまま、香淑の部屋がある棟の角を曲がったところで。
「あ……っ」
ふわりと鼻をくすぐった香りに、香淑は思わず声を上げた。
「どうしたの?」
立ち止まった晴喜が小首をかしげる。
「ごめんなさい。ちょっといいかしら?」
晴喜が頷くのを待つのももどかしく、
つやつやと厚みのある濃い緑の葉の間に、一重の白い花びらが、初夏の陽光の中で自ら光を放つようにきらめいている。
「香淑?」
梔子の木の前で凍りついたように動かなくなった香淑に、晴喜が不思議そうな声をかける。
「その……」
答えかけて、ためらう。香淑が見つめているのは梔子の木の一点だ。そこだけ、ぱきりと枝先が折られていた。
梔子の枝を折ったのは誰かと晴喜に尋ねたところで、知るはずがないだろう。
「なんでもないの。いい香りだと思って……。待たせてごめんなさい」
「ううん」
あっさりとかぶりを振った晴喜が、ふたたび香淑の手を引く。
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