第二章 ③
「わたしを自由にしてくれるのなら、探し出し、娶った
淡々と告げる榮晋を見つめていた道玄が、無言で酒をつぎ、杯を
「そこまで追い詰められてたとはな……。くそっ、オレとしたことが見誤ったぜ……っ」
がしがしと髪を搔き乱しながら後悔の言葉を吐く道玄に、榮晋は苦笑する。
「そう言ってくれるな。お前には深く感謝しているのだぞ? お前に教えてもらったおかげで、わたしにも張り合いができたのだ。こんな晴れやかな気持ちをふたたび味わえるとは、少し前までは想像もしなかった」
「その顔だよ、その顔っ!」
突然、道玄が卓の向こうから勢いよく指を突きつける。
「腹の底が読めねぇ涼しい顔をしてるかと思えば、突拍子もないことを前触れもなくしやがって……っ! オレはお前をむざむざ死なせていいなんざ思ってねえぞっ!」
ぱちくり、と榮晋は目を
次いで唇に浮かんだのは、明らかに先ほどのとは違う柔らかな笑みだった。
「お前は、いい男だな」
「はっ! わかりきったことを言っても、何も出ねぇよ!」
道玄が鼻を鳴らす。が、耳の先はうっすらと赤い。
心に押し寄せた感嘆を、榮晋は素直に口にした。
「お前のその心意気は
榮晋はひとつ吐息して、真っ直ぐに道玄を見つめる。
「わたしは、丹家がかつて交わした盟約──いや、今や『呪い』だな。これを終わらせることができるのは、この方法しかないと思っている」
静かに、だが決然と言い切ると、道玄が吞まれたように口をつぐんだ。
「……犬っころや、ばーさんは納得してるのかよ?」
ささやかな抵抗に、榮晋は苦笑を
「晴喜には伝えておらん。泣いて反対するに違いないからな。呂萩は……納得はしていないかもしれんな。だが、『説得』は受け入れてくれた。何にせよ、丹家の現当主はわたしだ。そのわたしが決めたのだから、何も問題はあるまい。ただ……」
「何だ?」
顔をしかめた榮晋に、道玄が続きを促す。榮晋は吐息とともに懸念を吐露した。
「そもそも、花嫁が『当たり』かどうかが、わからぬ。女狐と呼ばれるだけあって、本性を隠すのがなかなか巧みなようでな。化けの皮を
昨夜の香淑とのやりとりを思い返すと、己の失態に胸に苦い思いが湧き上がる。
一刻も早く香淑の本性を知りたいと焦ったばかりに、失言をしてしまうとは。
香淑の涙を思い出すだけで、罪悪感に胸がつきりと痛む。『夫君殺しの女狐』などにそんな感情を抱く必要はないというのに。
顔をしかめてこぼすと、道玄が
「おいっ!? 初夜早々、花嫁にナニをしたんだよっ!?」
「何もしておらん。ただ、問い詰めたが、涙ではぐらかされただけだ」
「泣かせた!? ほんと何してんだよ、ったく……!」
道玄の責める響きに、思わずぎゅっと眉根が寄る。
「女狐の手練手管に決まっている。が、お前の意見も聞いてみたくてな。それで、朝から訪ねたのだ」
「……いったい何をしでかしたのか、とりあえず話してみろよ」
『夫君殺しの女狐』という
「……あれは、幻術か何かに惑わされたのか……?」
榮晋はいぶかしげに
今、思い返しても、昨夜の自分がどうしても理解できない。
香淑を娶った本当の理由を馬鹿正直に明かす気など、
『夫君殺しの女狐』であることを知っていると明かしてやれば、ふてぶてしく開き直るに違いないと思っていたのに、まさか、本当に傷ついているように涙を流されるとは。
涙を流す香淑を見た途端、失望と罪悪感が押し寄せて──気がつけば、激情をぶつけていた。
あれを幻術に惑わされたと言わず、なんと言うのだろう。
「思いがけず美人だった花嫁に舞い上がって、うっかり口にしたんじゃねぇのか?」
からかい交じりの声に、道玄のにやついた顔を睨みつける。
「わたしが女の
「わりぃわりぃ」
まったく悪いとは思ってなさそうな口調で道玄が
「まあ、あの妖女を毎日のように見てりゃなぁ……。多少の美人にゃ、心動かされまい」
「代わってほしければ、今すぐにでも代わってやるぞ?」
睨みつけた榮晋に、道玄がおどけた仕草で肩をすくめる。
「そいつぁ魅力的なお誘いだが、遠慮しとくよ。オレの男ぶりに
「生臭道士め」
人を食った返事に、榮晋はようやく頰をゆるめる。
ふだんから軽口を
何より、榮晋は道玄の道士としての力量を信頼している。もし、香淑の話をしたのが道玄の以外の者だったら、一顧だにしていなかっただろう。
「……お前の力をもってしても、なんともならんという答えは、変わらぬままか?」
答えを知りつつ、かつて断られた問いをふたたび口にすると、道玄の太い
「オレは自分の道士の腕前に、自信を持っている」
「逃がした妖は、十六年前に一匹だけ、だったか」
以前、道玄から聞いた武勇伝を持ち出し、榮晋はからかうように口の端を上げる。
「ああ。あの時はまだ、お師匠について回る見習いだったからな。まあ、仕方がねえ」
道玄がひげの下でにやりと笑った。
「そこいらの道士に、腕前じゃ負けやしねえ。人に害をなす妖を退治するのに否はないが……」
道玄が重々しく首を横に振る。
「アレは駄目だ。封じるためには根本を叩かなきゃいけねぇが、領域内での力が強すぎる。オレひとりの手に負える相手じゃねぇ。残念ながら、オレは自分の命と引き換えに妖を封じてやるほど、お
道玄の言葉に、榮晋はゆったりと
自分の命が第一だと明言する道玄は、
「さすがに、何百年と丹家に取り
「この呪いを次代に
決然と言い切り、榮晋は薄く笑う。
両親はもういない。誰よりも大切な姉は、遠い他州へ嫁いで幸せに暮らしている。
媚茗は、丹家の血と土地に取り憑いている白蛇の
丹家の外ではさほど力を振るえぬが、その領域内では
──後は、榮晋だけだ。
榮晋さえ、命を絶つことができれば、何百年も昔に媚茗と交わした盟約から逃れられる。血族の中から清らかな乙女を
道玄ほどの実力があっても媚茗を封じることが無理なのなら、
そのために、
『夫君殺しの女狐』と噂される花嫁を。
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