第一章 ③

 三人もの夫をとりこにして嫁いだのだ。さぞかしようえんわく的な妖女に違いないと思っていたのだが、虫ひとつ殺せなそうなせいでたおやかな香淑のようぼうは、榮晋の想像とはあまりに違い過ぎていて──。

 いや、そんなはずがない。と、榮晋は心の中によぎったためらいを振り切るように、かぶりを振って言を継ぐ。

「中身と見た目が相反する者など、いくらでもいる。期待が持てるではないか? 呂萩、お前も嘉家でさまざまな噂を耳にしたのだろう?」

「……はい。榮晋様が集められた噂と同じものを……」

 呂萩の声を聞きながら、榮晋は香淑について集めた噂を思い返す。

 ──三人の夫を次々と呪い殺したという『夫君殺しの女狐』についての話を。

 香淑と結婚したひとり目の夫は、香淑をめとった途端、それまで社交的な性格だったというのに、人が変わったように他人を寄せ付けなくなり、香淑だけをそばにはべらせるようになったらしい。

 挙句の果てには、正気を失い、我が身を貫いて自刃した。

 それでも残された婚家の者は夫に先立たれた香淑の面倒を見ようとしたらしいが、今度は兄を追いかけるように弟が亡くなり、結局、一家は離散。

 実家に戻った香淑を喪が明けると同時に娶った二人目の夫は、結婚してひと月経つかどうかの頃に、前触れもなく首をったという。

 しかも、二人目の夫にも死なれた香淑が実家に戻るや否や、それまで富み栄えていた嘉家は、見る影もなく没落していった。

 それだけではない。

 三度目の結婚では、婚礼のなかに賊が押し入り、一家を皆殺しにしたという。だというのに、香淑はせいさん極まりない血の海の中、ただひとり無傷で気を失っていたそうだ。

 噂が噂を呼び、我が身を美しく保つために子どもの生き肝をっているらしい、などというこうとうけいなものさえある。

 役所の書類で確かめられた確実なものから、ちまたに流れる噂まで、榮晋は香淑に関しての情報をできうる限り集めた。

 そして、確信したのだ。香淑こそが、榮晋が長年求めてきた存在に違いないと。

 れんな花のような容貌は榮晋の想像のらちがいだったが、一目見て悪女とわかる女ならば、あやめる前に疑われて、三人もの夫を亡き者にできまい。

 おどろおどろしい噂とは真逆のはかなげで清楚な容姿は、かえって期待が高まってくる。

 きっとあの美貌でこれまでの夫達をたぶらかしてきたに違いない。いや、そうでなくては困る。

 心の奥底に湧いた疑念を封じ込めるように、榮晋はこぶしを握りしめた。

「あの花嫁こそが、求めていた者に違いない。手を尽くして探し求めたがあったというものだ」

「ですが……」

 呂萩が深いしわが刻まれた顔をしかめ、気遣わしげな声を上げる。

「嘉家からここまで花嫁様をお連れいたしましたが、旅の途中、それらしい気配はまったく感じられませんでした。ごくふつうの……。いえ、むしろ控えめな気質のようにお見受けしましたが……」

「相手は女狐だ。本性を隠すなど、お手の物なのだろう」

 呂萩の懸念をあえて強い声音で退け、榮晋は椅子から立ち上がる。

 今頃、ひとりきりの部屋で、香淑は何を考えているのだろう。丹家の富を吸い尽くす算段か、榮晋をろうらくするれんくだか……。

 まさか、生娘のように震えているはずはあるまい。

「だが……。いつまでも、借りてきた猫のようでは困るな」

 扉へと歩み寄りながら、榮晋は呟く。

「早く、真実の姿を現してもらわねば──」

 榮晋が心のうちに秘める願いを、成就するために。

 どうやったら香淑の本性が見られるだろう、と榮晋は思案する。

 正体を知っているのだと告げてあざけってやれば、怒りと驚きで本性を現すだろうか? それとも、最初は素知らぬふりをして、泳がせてやったほうが正体を現すだろうか?

 可憐な面輪の裏側にどんな本性が隠れているのか。一刻も早く化けの皮をがしてやりたい。

 そう思うだけで、心の奥にいびつな熱が宿る。幾度もの絶望にとうにしていると思っていた心がこれほどはやるとは、自分でも予想外だ。

「ようやく……」

 思わずこぼしかけた吐息を口元を片手で覆って隠し、己を𠮟しつする。

 気をゆるめるのは早すぎる。榮晋の切望がかなうかどうかは、すべて、これからの行動にかかっているのだから。

 早く、香淑の正体を知りたくてたまらない。だが、焦りは禁物だ。

 この計画だけは、何があろうとも決して失敗させるわけにはいかない。

「……まずは、『夫君殺しの女狐』のお手並み拝見といこうか」

 抑えつけようとしても速まる鼓動を感じながら、立ち上がった榮晋は扉を押し開け、足早に部屋を出た。


    ◇ ◇ ◇


 ばたり、と入室を請う声も何もなく、乱暴に扉が開けられる。

 寝台の上で正座して榮晋の訪れを待っていた香淑は、はじかれたようにぬかずいた。

 扉を閉めた榮晋が、寝台へと歩んでくる気配を感じる。寝台の前に置かれたついたてを、榮晋が回り込んだところで。

「だんな様。不束ふつつか者でございますが、どうか幾久しく可愛がってくださいませ──」

 震えそうになる声を押さえつけ、新妻としての口上を述べる。が、榮晋からは何の言葉も返ってこない。と。

「つまらんな」

「え?」

 予想だにしない言葉に、ほうけた声が洩れる。思わず身を起こした香淑の視界に入ったのは、不機嫌極まりないはくせきの美貌だった。

「型通りの口上で、わたしをろうらくできるとでも? 見くびられたものだな。それとも、若い男なら、その美貌でたやすくたぶらかせるとあなどっているのか?」

「ろ、籠絡など……っ! そんなつもりは決して……っ!」

 榮晋が何を言っているのかわからない。香淑が美貌の主である若い榮晋を籠絡するなど、できるはずがないというのに。

 香淑の言葉に、榮晋がいらたしげな声を出す。

「四度目の初夜など、お前にとってはお笑い草だろう? それとも、わたしを今までの夫達と比べて、悦に入りたいとでも?」

「そのようなこと、決していたしませんっ!」

 榮晋のちようろうに反射的に言い返す。

 そもそも、比べようにも香淑には何の経験もないのだから。

「わ、わたくしはただ、花嫁の務めを果たしたいと……っ」

 香淑のほうが年上とはいえ、自分からこんなことを言い出すなんて恥ずかしくてたまらない。

 視線を伏せ、かすれた声で告げた途端、不意に肩をつかまれた。驚く間もなく、視界が反転する。

 ぼすりっ、と背中に布団が当たり、榮晋に押し倒されたのだとようやく気づく。

 反射的に身をよじって逃れようとした時には、寝台をきしませ、榮晋が香淑の上に馬乗りになっていた。

 息がかかるほど近くに、白皙の美貌が迫る。

 しかし、香淑を見下ろす闇色のひとみには、新妻に対する優しさも、初夜に対する情欲もうかがえない。

 まるで買い上げた品物を検分するかのような、冷ややかなまなざし。

 形良い薄い唇が、温度のない声を紡ぐ。

「花嫁の務め、か。はっ、殊勝なふりをすればわたしが乗ってくるとでも?……まあいい。そのほうが本性を現しやすいというなら、お前の思惑に乗ってやろう」

 左手を香淑の顔の横につきひざちで馬乗りになった榮晋の右手が、押し倒された拍子に乱れた夜着のすそを割って忍び込む。

「っ!?」

 膝から太ももへと肌をで上げる手のひらに、香淑はびくりと身体を震わせた。自分のものではないあたたかな手のひらが肌にふれる感覚に、無意識に身体が反応する。

「……っ」

 しゆうと未知の感覚に、香淑は思わず固く目を閉じた。

 心臓が壊れそうなくらい騒ぎ立てている。燃えるように顔が熱い。

 榮晋の手にふれられたところから、身体がけてしまうのではないかと不安になる。

 未知の体験に恐怖がないわけではない。

 だが、それを押しのけて心に湧き上がるのは、今度こそという、祈りにも似た願いだ。

 先ほどの冷ややかな声とまなざしが噓ではないかと思えるほど、榮晋の手は優しい。

「ん……っ」

 思わず声がれた恥ずかしさに、顔を背ける。

 あらわになった首筋に、榮晋が顔を寄せた。熱い吐息が肌をくすぐる。

「まるで、初婚の娘のような初々しさだな」

 つやのある声がを震わせた。かと思うと。

「ひっ!?」

 がぷり、と首筋に歯を立てられ、香淑は悲鳴をほとばしらせた。

 きようがくに目をみはって振り返った視線の先にあったのは、観察するようなまなざしで見下ろす、榮晋の面輪だ。

「初々しい花嫁を演じる必要など、どこにもない。そんな演技に誘われて、わたしがお前を抱くとでも?」

 はくひようまとう声音に、冷水を浴びせかけられたように急速に身体の熱が冷めていく。

 太ももにふれていた榮晋の手が離れ、首筋にふれる。

「ひっ」

 薄くついた歯型を辿たどる指先にいやおうなしにかつての夫達の記憶がよみがえり、香淑は思わず悲鳴をこぼして身体をこわらせた。

「いや……っ」

 唇だけで、声にならないかすれた悲鳴を紡ぐ。途端、榮晋のまゆがきつく寄った。

「嫌? 誘っておきながらずいぶんだな。それはこちらの台詞せりふだ」

 嫌悪を隠しもせず、榮晋が吐き捨てる。

「そもそも、わたしはお前とむつむ気などない」

 ずくり、と不可視のやいばが、無造作に香淑の胸に突き立てられる。

 結婚話が持ち上がった時から、覚悟していた。

 きっと自分は、お飾りの妻として迎えられるのだろうと。

 けれども。

 せめて、形ばかりの妻であったとしても──。

 誰にも明かさず、胸の最奥に隠していた願いを嫌悪とべつで踏みにじられた痛みが、形となってこぼれ出る。

 じわりとあふれた涙に、榮晋の端麗な面輪がぼやける。にじむ視界の中、見開いた榮晋の目の奥に、しまったと言いたげな罪悪感がよぎる。

 だがそれはほんの一瞬で、まるで仮面で本心を隠すように榮晋が腹立たしげにぼうをしかめた。

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