第55話 異世界からの転移者4
ジップの、いや、いまは俺の主人だからジップさんだ。一度ジップ様と言ったら頭を殴られた。マジで痛かった。
で、ジップさんの家のあるパルムの町に向かう途中、一緒にいる妖精のファウとチャウが魔法を教えてくれると言う。
火ぐらいつけられないと不便だし、水を出すウォータが使えると料理人ならとても便利だと言う。
明るくするライトも生活魔法としては優秀なので是非覚えろというのだ。
俺にもそのくらいの魔力はあるらしい。せっかくの異世界転移だ。教えてもらえるならぜひ覚えたい。
弟子入りを希望して、ファウ師匠、チャウ師匠と呼ぶようにしたら、妖精の加護というのを貰った。何かの役に立つかもだそうである。
練習しながら旅を続ける。パルムに着くころには、かまどに火をつけるのと、コップ一杯の水を出せるようになっていた。
限界はあるが、最初は使えば使う程魔力が増えるから暇な時はひたすら練習するように言われる。
ただ、人間は魔力切れを起こすと気を失うので、怠くなったら止めないといけないのだとか。
この旅の途中、この世界に来て初めて風呂に入った。石鹸こそなく、ヘチマみたいなやつで身体を擦っただけだが、涙が出てきた。俺は最近よく泣いている。
米があるなら糠がある訳で、昔はこれを袋に入れて体を擦ってたなんて聞いた事がある。
木を焼いた灰と石灰か何かで石鹸を作っていたとか聞いたこともある。
そんな事を言ってたら、チャウ師匠がクリーンという魔法をかけてくれた。身体も服も全てきれいになる。
習いたければ教えてくれると言う。半年も真面目に練習すれば俺にも使えるらしい。食器を洗ったりにも使えると言っていた。
魔法と言えばジップさん。師匠達によればジップさんは魔法は使えないらしい。
では昨日刀の先から飛ばした炎で大蛇を焼き殺していたあれはなんなのだろう?
謎は多い。見かけから冒険者だと思っていたが、これも師匠達によると表の稼業で、本職は正義の味方らしい。竜を狩って食べるんだそうだ。
さっぱりわからん。パルムについた後は謎職業に実業家が加わった。
謎と言えば、クロエさんが旅の途中、人間になった。
普段はクロエと呼び捨てているジップさんがクロエ師匠と呼んでいる。とにかく見た事も無いような神レベルの美女だ。
師匠達によると元は大魔女で、犬になるらしい。
とにかくわかったのは、この世界には興味を持ったり、知ったりしない方が良い事が沢山あるらしい事だ。
パルムの町に到着。俺のいたヤンセンよりかなり大きいが、国の中ではこれでちょうど中位の町と言う。
町にはダンジョンがあるそうだ。1番嬉しかったのは温泉。公衆浴場も温泉らしい。
ワトソン商会というところに連れて行かれて、商会主のワトソンさんに紹介される。
ジップさんとクロエさんのビジネスパートナーらしい。
ギルドに行き、店を買って、改装の打ち合わせや調理器具や食器の打ち合わせをする。
工事の間に、醤油や味噌を作っているサルサ村に様子を見に行くのに同行する。
今度の旅は、魔法の練習に加えて槍の練習が加わった。
ゴブリンの数匹位倒せるようになっておかないとこの世界では長生きできないそうだ。
俺に剣や槍の才能は無さそうだが、その位なら才能とかは関係無いらしい。
料理はジップさんが作るので、俺の仕事は何も無い。魔法を使い、ひたすら槍を突き続けた。
途中野営をした時、バッグから家が出てきた。
マジックバッグの事は教えてもらったので驚かなかったが、家が出たのには流石に驚いた。
ジップさんとクロエさんが開発したお泊まり小屋だそうだ。ダンジョン攻略などにも役立ち、上級冒険者の間で人気らしい。
久々のサルサ村だ。私達が村に入って行くと村人が集まってくる。
村長がやってきて、私とジップに挨拶する。
こちらもヨシヒコと妖精達を紹介、できた醤油や味噌の味をみてくれということになり、そのまま宴会に突入。
ここはパルムとハポンに続き、私達の第3の故郷と言っても良いほど居心地が良い。
グリーンドラゴンや海竜の肉を振る舞ったりしてとても盛り上がったのであった。
ヨシヒコは前の世界の親が農民だったとかで、米の作り方に詳しかった。私達の知らなかった事なども村人に教えて、すぐに仲良くなっていた。
味噌も家で作っていたらしく、作り方の改良や、溜まりを使った漬物なども指導してくれた。
他にも糠漬け、沢庵漬けなど、こっちにも乳酸菌がいたんだ。ヨーグルトがあるんだから当然だとか言いながら作っている。
納豆も彼が作った。食べたのは私達だけで、他の者は手を出さなかったけど。
醤油蔵や味噌蔵に納豆菌が混入すると全滅するから気をつけるようにとヨシヒコが言うと取り上げられて燃やされてしまった。
居心地が良くて一月あまりも滞在してしまった。そろそろ店の改装も出来上がるし、器材も揃うだろう。
パルムに帰ることにする。
帰路も魔法と槍の練習。朝とか昼飯の時とか時間を見つけて練習している。
何故かジップさん達は握り飯を知らなかった。なんとなく日本っぽいハポンと言う国には無かったのだろうか。海苔はあるのに。
ジップさんが鱒っぽい魚を持っていたので、塩を強くしてシャケ握りっぽいのを作ったらとても褒められた。
この旅の途中、ジップさんの料理の技を盗もうと見ていたのだが、あれは無理。
調味料の加減などもなんとなく使っているとしか思えない。味見もほとんどしないし。
なんでも美味しくするスキルか魔法でも持っているのではないかと疑いたくなる。
豚肉だって、同じものは一つとして無く、それに合わせて調理できるのが理想だけど、そんな事は無理なのでレシピと言うものがある。
だが、その常識の上の世界にいる人達というのもいるのだと痛感した。俺は俺の料理道に精進しよう。
俺的には槍もだいぶ扱えるようになったので、いよいよデビュー戦。
ゴブリンと戦う。向かい合った瞬間全ては忘却の彼方に飛び、体が硬直する。
頭の上から水の塊が落ちてくる。その冷たさで身体と心が覚醒する。
わぁっと叫んでゴブリンに突進。腹に深々と槍を刺す。
最初に刺した時のあの感触を俺は一生忘れないだろう。
ゴブリンは斃れ、俺は槍を手放してその場で嘔吐してしまう。
落ち着くと魔石をゴブリンの胸から取る作業をさせられる。
俺のためにさせられているのはわかっているけど、でも体と心が拒否する。
生まれた時から魔物と戦う世界で育った人間との差だろうか。
そんな俺でも10匹目位には慣れて吐かなくなった。
角のあるウサギと戦った時は懐に入り込まれ腕を負傷したが、何とか倒す事ができたし、ゴブリン3匹を相手にした時も、なんとかなった。
冒険者になるわけじゃないからこんなもんだろうと言われ講習終了。
あとは、パルムのダンジョンの浅層で自主練しても良いし、パルムには槍術を教えてくれる元冒険者の先生もいるそうである。
後日、ジップさんが、マジックバッグをくれた。
マジックバッグは中に入れておけば食材を腐らせる事無く保管できるし、暖かい料理は暖かいまま、冷たい料理は冷たいまま作りたてで保存できるから、店をやるのに便利だろうと言われた。
後で知ったがなんでも豪邸が余裕で買えるほど高価らしい。
前にもらったミスリルの管槍も、中級の冒険者でなければ手が出ない高級品だとか。
相手に必要だと考えれば、惜しまず与えてくれる。懐の深い人である。
俺はこの世界に来た時、なんのスキルも無いと恨んだ事があったが、出会った人は皆俺に優しかった。
それは強い剣の能力や魔法の力などよりはるかにありがたい事であったと今は思う。
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