第53話 異世界からの転移者2

 俺の名前は向井義彦26歳。日本人である。高校を出て調理師学校に2年通い、卒業後は近くの大きな会社の社員食堂で働いていた。

 ブラック企業ではなかったが、給料は低く、入社したばかりの俺は雑用係で日々先輩達に追い回されていた。

 そんなある日、俺は社員寮からチャリでコンビニに行き、最近覚えた発泡酒とアイスを買って帰る途中、交差点でトラックに轢かれたのだった。


 気がつくと俺は草原にいた。あたりを見回すと向こうのほうに城壁に囲まれた都市のような物が見える。

 俺の格好はTシャツに、短パン、踵を踏んづけたスニーカー。

 他には何も無い。ポケットには財布と携帯。

携帯は圏外である。

 ここって異世界?三途の川も無いし、血の池も無い。天国が草原だという話も聞いた事が無い。

 これが噂に聞く異世界でないとしたら、なんだろう。


 ガサガサという音がする。そちらに目を向けるとそこには緑色の小鬼がいた。

 手にはナイフを待ち俺の方に寄ってくる。もし異世界なら、チート能力とか魔法とかがあるに違いない。

 小鬼に掌を向けてファイアーと言ってみる。なにも起こらず、小鬼はナイフで切りつけてくる。

 俺の腕が裂けて血が吹き出す。同時に猛烈な痛みが襲いかかる。

 ヒュウと自分が息を吸い込む音がして、俺は後ろを振り向いて悲鳴をあげながら逃げ出したのであった。

 腰が抜けなかったのは幸いであった。

 どの位走り続けたのだろう。無意識に城壁の方に向かって走ったのか人工の物と思われる道に出た。

 喉は張り付いて、心臓は破裂しそうだ。道に出たのでもう追って来ないかと振り返ると未だ追ってきているし、しかも3匹に増えている。


 死にたく無いの一心で俺はデスレースを続けた。

 意識が朦朧としてきて何も考えられなくなってきたとき、後ろから何かが近づく音がして、ギャッという声がした。

 人の話しが聞こえて振り返ると馬に乗り、鎧をつけて抜き身を持ったオジサンが血振りをしている。

 小鬼達は道に倒れており、胸の当たりを切って小さな石のような物を取り出したオジサンは小鬼の死体を道から蹴り出す。

 俺に何かを話しかけるが、何を言っているのかさっぱりわからない。

 俺が喋る言葉も通じないようだ。


 オジサンが手に布を巻いて止血してくれ、ついてこいという身振りをする。

 俺は拒否する事などできるはずもなく、馬の後をついて街に向かった。

 街に着いた俺は教会のような所に連れてゆかれた。

 オジサンと神父だか司祭だかがしばらく話をしていてオジサンは俺を残して出て行った。

 オジサンとはその後一度も会ってない。


 俺は教会の裏にある小屋のような所に連れてゆかれた。そこには藁と毛布のようなものが置いてあり、横には井戸もあった。

 腕の傷は神父様が呪文を唱えて治してくれた。

 この世界には魔法があった。俺は使えないみたいだけど。

 俺は神父様の荷物待ちをしたり、用が無い時は街を流れる川の浚渫工事の人足をしたり、教会の畑を耕したりと言葉が通じなくてもできる仕事をしていた。

 体は辛かったが、寝るところがあり、古着ももらい、満足できるような食事では無いが、神父様も同じ物を食べているし、飢えることなく凍える事なく過ごせたのだ。

 少し言葉が分かるようになって知ったのだが、この街はスパインという国のヤンセンと言う名前らしい。

 文明的には地球の中世くらいだが、異世界ファンタジーの定番、魔法があってドラゴンのいる世界だ。


 2年が経って、日常生活会話くらいはできるようになった時、神父様に呼ばれこれからどうしたいかと聞かれた。

 信仰心も特に無いようだし、このまま教会にとどまっても死ぬまで今の生活が続くだけだから、それは決してお前の為にならないと。

 元々料理人だったので、できればその仕事をしたいが、自分は外国人なので街の人の喜ぶ料理が作れるか自信が無いと言った。

 教会の料理を見ている限り、味付けは塩だけ。ジャガイモみたいな芋と蕪とニンジン、オートミールみたいな物と、なんだかわからない肉、黒いパン位しか食材も無いようだ。


 数日経って、ある宿の下働きの仕事を紹介された。住む所はやはり小屋のような所だが、いちおう寝台がついていた。

 普段は掃除や洗濯、清掃や薪割りなどが仕事で時々料理もさせられる。安いがきちんと給料も出るそうである。

 餞別だと言って神父様が銀貨2枚をくれた。

この2枚の銀貨を貯めるのにこの方はどれだけ苦労をしたのだろうと思うと涙が出て止まらなかった。

 いつか返そうと誓ってありがたくいただいた。


 新しい生活は決して辛くは無かった。前と変わらない生活だったし、主人は無口だが、下男だけ酷い食事を与えるような男ではなかったからだ。

 一年たって仕事に慣れた頃、この宿の料理は決して美味いとは言えないが、ひと工夫すればもう少し何とかなるのではと考え始めた。

 旨み的なものが、肉そのものから出る物と根菜から出るものだけで圧倒的に少ないのだ。

 砕いた骨の髄を長時間煮込めばトンコツ的な出汁が取れそうだが、薪で煮炊きするのでは燃料代がかかりすぎてお話にからない。


 キノコは市場で売っているので、何種類か買って干してみた。ドンコのようには行かないが、それなりに出汁の取れるものもあった。

 川で取れる小魚も売っていたので、煮て干した煮干しを作ったがイマイチだった。

 薄い塩味で煮てカチカチになるまで天日干ししたらまぁまぁ使える物ができた。

 魚醤を作ろうとしたが、なにか得体の知れないものができて、臭いと主人に殴られた。

 麦芽から水飴を作ってわずかながら甘味も手に入った。

 異世界転移者の定番、マヨネーズは既に誰かが発明していたが、酢も卵も高級品であり、とてもうちの宿で使えるような物では無かった。


 ちょっとした工夫で旨くなった料理を食べて人から喜ぶ顔を見ていると嬉しくなった。

 元々料理が好きで調理師学校に行ったのかと言われるとそうだと断言出来ない俺だったが、

この世界に来て初めて、料理人になった気がする。

 王都の高級な料理店とは比較するべくも無いが、比較的料理の美味い宿として少しずつ知られるようになった。

 主人が教えてくれと言うので、煮干しの作り方や出汁の取り方なども教えた。

 秘密にする程の物では無いと思ったし、秘密にしたところで、俺が店を持つようなことは無いし、他の店や宿からヘッドハンティングされるとも思えなかったからだ。

 今の宿が繁盛する方が嬉しい。その後主人が給料を少し上げてくれた。

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