第52話 異世界からの転移者
充分湯治もしたし、ドラゴンの肉も10トン単位で手に入れた。
お金もたっぷり稼いだし、人助けも悪人退治もした。なんと濃い旅行だったのだろう。
さすがに三月も空けていると家が恋しくなる。
往路と違う道筋で帰宅する事にした私達であった。
途中、ヤンセンという小さな町の宿に泊まった時の食事がなんとも言えない懐かしい味がした。
そう、これはハポンの味付け。味噌も醤油も使っていないが、出汁を中心に構築された素材を活かすための料理。
私が考えているとジップがバッグから醤油を出してかけている。
私もかけてもらう。うん、これで良し。後からでなく、作る途中で加えて加熱していれば角が取れてさらに良くなっただろう。
そんな事をしていたら調理場から料理人が出てきた。
考えてみればかなり失礼な事をしているので謝罪するようかなと思っていると、私とジップを無視して醤油の小瓶を手にして匂いを嗅いでいる。
そして料理人はおもむろに泣き出した。
さすがにプライドを傷つけられて泣いているとは思えない。醤油の瓶を抱きしめているし。
椅子に座らせ落ち着かせてから話を聞く。
彼の名はヨシヒコ・ムカイ。異世界転移者と言うものらしい。
なんでも他の世界に生きていたのだが、トラックとかいう魔物に殺されて気がついたら5年前にこの町の外の野原にいたらしい。
普通は転移をするとチートという力を与えられて世界の王になったりするらしいのだが、彼にできたのは前の世界で仕事にしていた料理だけ。
言葉も通じず、剣も魔法も使えず、魔物と戦うなんて全然無理だったそうだ。
町の住人に助けられ、言葉を覚えて、料理人として一旗あげようと考えたけど、塩と酢位しか無いこの世界では彼の能力を生かしようも無かったらしい。
干しキノコや川魚の煮干しで出汁をとったり、魚醤を作ろうとしたり苦労を重ねたがどれもパッとせず今に至るらしい。
因みに、何を言っているのか理解不能だが
異世界転移の定番、マヨネーズは既にあったと言う事だ。
そう言われて見れば、刀こそ差してないが、私達よりハポン人に近い顔だちだ。
異世界とやらのハポン人なのかもしれない。
言っている事は半分も理解できなかったが、そんな凄い料理人なら味勝負だと言ってジップが袋から味噌、醤油、みりん、酒、砂糖などと、米や昆布、鰹節などハポン料理の材料と食材を次々と出す。
宿の主人や他の客を巻き込んでの料理対決となった。
結果はジップの圧勝。料理人をしていたくらいで味王ジップにかなうわけが無い。
格が違いすぎるのである。
ヨシヒコが首を吊ろうとしたので、台を蹴り飛ばし……飛ばすような事はしないでそれを止めた。
ハポンという大陸の東の涯の更に向こうで、味噌や醤油中心にした食文化の国があるが、苦労して行ってもそこで一旗あげるのは難しそうだ。
この大陸の西側でもサルサという村で現在ハポンの米を育てて、味噌や醤油、みりんなどを作る蔵ができている。
大陸の北の海ではワトソン商会の資本により、昆布や煮干しの生産が始まっている。
鰹節は作れないが、非常に高額になるが、ハポンから取り寄せる事も不可能ではないかもしれない。
店と住居を用意するから、私達の家があるパルムで食堂を開いて故郷の味を広めるないかと誘った。
パルムはダンジョンの町だったが、ワトソン商会が中心となって良質の温泉を中心とした観光地として開発を行いつつある。
パルムでしか食べられない特別な料理や菓子を大々的に募集している。
料理で一本立ちしたいならぜひ来ないかと誘ったのだ。
そのくらいの援助なら、大した事は無い。溺れて藁を掴んでいる者の頭を踏んづけて沈めたジップの罪滅ぼし位にはなるだろう。
後にヨシヒコ・ムカイの名がウドン、ソバ、イナリズシ、テンプラ、スキヤキ、カツドンなど
のハポン料理を庶民に広め、大陸西側料理界に大きな足跡を残した料理人として記憶される事になったのは別の話である。
ヨシヒコを仲間に加えて私達はパルムに向かう。時々ジップが出すハポンの料理を食べながら彼が涙を浮かべていたのは見なかったことにする。
死んでこちらに来たのなら、望郷の念を持っても帰れるわけではないだろう。
だが、理屈と情は違うのだ。人は理屈通りに全てが納得できる訳ではない。
ファウとチャウがヨシヒコに魔法を教えている。攻撃魔法は使えなくても、火をつけたり明るくしたり位は出来た方が楽なのだ。
魔法が使えると言える程の使い手は少ないけど、ちょっと火をつけるくらいなら、ほとんどの人ができる。
逆にその位はできるのが当たり前の社会なのでできないとちょっと不便だったりする。
パルムに戻ってきた。ヨシヒコを連れてワトソン商会に挨拶に行く。
リヨンに支店は出すものの、パルムの開発事業にも力を入れてる商会主はハポン料理の料理人を喜んでくれた。
ジップに、料理させる訳にもいかず、一から教えるような時間も無いし、教えられそうなのもジップ1人では話にならない。
いっそハポンから呼ぼうかと考えていたらしい。
カリは煮込み料理なので、材料さえ揃えられれば修行10年とかは無い。ジップに教わった数人が現在こちらにあったカリを研究中。
ダマスコには何軒かシンの料理の店があるのでそこの料理店か料理人でこちらで働いてくれる人間がいないかどうか人を派遣して探して貰っているそうだ。
ギルドに行き、住居兼用の小さめの料理店を開くのに適した建物が無いか探してもらう。
馴染みの鍛冶屋に行き、いっぱい的な調理器具を注文して、陶器の工房で皿や器を少しばかり注文する。
食器や調理器具を本格的に揃えるのは出すメニューが決まってからになる。
ギルドから家を紹介されそれを確認。気に入ったので買い上げ、改装を依頼する。
そしてその間にサルサ村がどうなっているかの確認を兼ねて再び旅に出る。
ワトソン商会に雇われた者がたまに様子を見に行っているようだが、味噌や醤油の事がわかって見に行っているわけではない。
生産が軌道に乗るまでは、全部人任せと言うわけにはいかないのだ。
ヨシヒコを連れてサルサ村に向かう。この世界で生きてゆかねばならないのなら、ある程度身を守れた方が良いだろうと考えて槍を教える。
剣はちょっと覚えた位だと役に立たないどころか、味方を切ったり、自分の足を切る羽目になる。
弓も何年もやらないと当たらない。楊生式の強制向上法などやったら心が壊れてしまうだろう。
彼は敵討ちをする訳でもないし、剣士になりたいわけでもない。
料理人として生きてゆくのが目標にしてなのだから。
槍なら基本の動きは突きなので、周りに被害を与える可能性は他よりは少ないだろう。
昔使っていたミスリルの管槍を渡して、槍で突く事と、後ろに身を引く事だけ教えて、ひたすらそれだけを練習させた。
サルサに着く頃にはゴブリン一匹ならなんとか倒せるようになっていた。
このくらいなら大丈夫だろうと、帰り道で魔物と戦わせた。
無事倒せたが、その後ゲロゲロ吐いて真っ青な顔をしていた。慣れるしかない。
できなければ自分が死ぬのだ。
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