第37話 やはり頬であってもキスはキス

 添い寝イベントをだらだらイチャイチャと過ごしていた勇者カケル。

 しかし、現実は見ないといけない。


「サーシャについてどう考えていますか?」

「ぶっ!?」


 ブレックファーストを優雅に食べていた俺、パンを噴飯。


「・・・カケル様」

「ご、ごめんなさい」


 汚いモノを見るような顔をしているエステル。

 ごめんなさい。


「大丈夫ですか?」

「う、うん。ごめんねユズハ」


 ナプキンで口を拭いてくれるメイドさんにも謝罪。

 俺なんかよりテーブルを先に拭いてあげてください。


「えと、サーシャについてだっけ」

「はい。彼女をどう処断しようかと」

「しょ、処断って・・・」


 朝からとんでもないことを言い出す姫様。

 

「見られたのでしょう?みっともない姿を」


 心の底から思っているように、蔑んだ瞳を向けてくる。

 昨日の彼女はどこへ行ったのだろう。

 可愛かったのに。


「そうだけど、でもあれは毒だからさ。それだけ・・・」


 それだけじゃなかった。

 

「・・・なにか?」


 エステルは通常運行に戻ってしまったのだろう。

 俺の態度に鋭く切り込んできた。


「あの、ほら!俺の命を助けてもらったし、ここは穏便に」

「隠し事があるなら、今のうちですわ」

「・・・はい」


 蛇に睨まれた勇者、全てを話すことにした。

 調子を取りもどした彼女に対抗する術は持ち合わせていないのだ。


 特殊言語知覚がもたらした今回の事、そしてユズハが原因では無いことを話した。

 バツが悪そうに佇むメイドさんが少しでも楽になれば良いのだが。


「つまり、モンスターをいち早く発見したカケル様が調子に乗ったと、そういうことですわね」


 俺の事を観察しながら話を聞いていたエステルは、そう結論付けた。

 そうなのかな、そうかも。


「ごめんなさいでした」

「昨晩もユズハの忠告を聞かなかったようですし」

「はい、俺が悪かったです」


 暗殺者がいるなんて思いもよらなかった。

 精霊がいるかも、と考え無しで森に入った結果がアレだ。


「あ、あの」

「良いんだユズハ、君のせいじゃない」


 俺を擁護しようとしたユズハを制止する。

 迷惑を掛け続けているのに、これ以上自分を責めて欲しくない。

 彼女がいなければここにもいなかっただろう。


「ところで、ユズハの他にもう一人いたはずなんだけど」

「リンのことですか」

「名前は分からないけど、お礼を言っておきたくてさ」


 暗殺者を次々討ち取っていた謎の存在。

 状況が状況だけに詳しいことは分からなかったが、見事な手際だった。


「今後関わることも多くなるでしょうし、分かりました。呼んで来てください」

「かしこまりました」


 エステルは少し考えていたようだが、会わせてくれるらしい。

 指示を受けたユズハは階段を上っていった。


「さて、カケル様」

「なんでしょうか」


 メイドが馬車の上から気配を消したことを確認してから、姫様は口を開いた。


「ユズハのことをどう思っていますか?」


 唐突な問いかけに動揺してしまう。  

 この子は何が聞きたいのだろう。

 わざわざユズハがいない場面での問いだ。

 まさか、切るつもりじゃないだろうか。


「ユズハは、よくやっているよ。あの子がいなかったら今頃どうなっていたか分からないし」


 慎重に言葉を選びながらエステルに話す。

 姫様の目に茶化しやおふざけといった色は見えない。


「この世界に来てから色々世話をしてくれたのもユズハだ。俺にとって無くてはならない存在だよ」


 ユズハを失うのはとんでもない痛手だ。

 俺にとっても、エステルにとってもそうだろう。

 それに彼女とは約束もしている。

 むふふなことから魔王を倒すなんてことまで。

 

「やはり・・・カケル様も」


 今度は姫様が動揺する番だった。

 俺の言葉に感じるところがあったのだろうか。

 その瞳にはじんわりと涙を浮かべている。


「エステルも同じ気持ちだろう?」

「・・・それは、そうです」

「だったら答えは簡単じゃないか」


 ユズハを切るのは無しだ。

 姫様の反応を見ても、その選択肢は無かったように見える。

 俺の判断に委ねたのだろうか。

 彼女の甘さに付け込んだ勇者が全面的に悪い。


「はぁ、わたくしのカケル様なのに」

「ん?まぁエステルがいなかったらこの世界にいなかったし」


 なんだろう。ユズハの話じゃなかったか。

 いつの間にか話がズレている気がしなくもない。


「あなたにとってわたくしが一番ですか?」

「そう、だな。俺の世界はエステルが中心で動いてるよ」


 色んな意味で。

 エステルに呼ばれこの世界に来て、隔離され脅され、叩かれて。

 乗られるし、血は吸われるし、痛みで悶えてる俺を放置するし。

 真っ先に浮かぶのはマイナスばかりだが、もちろんプラスも存在する。

 例えば、可愛いとか。


「本当ですか?嘘ではないですか?」

「嘘じゃないよ。いつもエステルの事で頭が一杯です」


 どんな状況にいても、姫様のことを忘れることはできなだろう。

 常に彼女の反応を窺って、自分の身に起こることを恐れて。


 (なんだか、自分のことばっかりだな)


 もう少し他人を思いやれる大人のはずだった。

 最弱だから、自己保身に走っているのだろうか。

 それとも元々こういう人間だったのか。

 死んでから最強を経てここに来たが、根っこは変わっていないのだろう。

 

「ごめん、エステルにも苦労を掛けっぱなしだ」

「・・・っ」


 その言葉は自然と口をついて出た。

 人生は成長だとか格好良いことを言うつもりはないが、少しは変わりたい。

 

「それと、ありがとう」


 きっとエステルに出会わなかったら気付けなかっただろう。

 目の前にいるのは姫という属性を取っ払ったら、ただの年下の女の子。

 彼女は確かに強いし、性格が良いとはとても言えないが、それは俺から見た相対的な評価に過ぎない。

 勝手に恐れて、傷つけていたかも知れない。

 いや怖いけど。そこは一朝一夕で変えられるものじゃないけど。


「ずるいです。勝手ですわ」

「・・・その通りだ」


 心の声まで読まれたようだ。

 さすがの姫様。


「わかり、ました」


 その声は震えていたが、その瞳は俺を捉えている。

 何かとても重い決断を下したような、そんな表情だ。

 

 (なにが「わかりました」なのだろう・・・)


 ユズハのことだろうか、それか別のどこかなのか。

 流れ的に俺の事かもしれないが、深刻な顔をする部分があっただろうか。


「エステル!?」


 ガタッと椅子から勢いよく立ち上がった。

 なんとエステルは俯きながら涙を落としている。


「どうしたの!?」


 震えている彼女の華奢な肩に触れる。

 なぜ泣いてしまったのか分からないが、放ってはおけない。


「・・・わたくしも努力します、から」

「う、うん?」

「証明、してください」

「・・・証明」


 エステルは俺を見上げて言った。

 努力と証明。

 しかし彼女の努力とはなんだろう。

 証明は結果を出せとの意味なのだろうか。


「いいえ、何でもありませんわ」


 俺が考え込んでいると、姫様はさっと目を逸らした。

 どこか寂しそうな、躊躇しているような。


「俺にできることなら何でも言ってくれ」


 外出してからのエステルはずっと変だった。

 幼児退行をして、今日は元に戻っていたように見えたが、ストレスが解消したわけではないのだろう。


 だとすると、俺にできることは発散。

 多少の痛みまでなら我慢しよう。


「いいのですか?」

「遠慮しなくていいよ」

「で、では、あの・・・」


 どこか気恥ずかしそうに言い淀む姫様。

 命令することはあっても、お願いは慣れていないのだろう。

 初対面の名前呼びの時もこんな感じだった。


「き、き・・・キスを・・・して欲しいです」


 消え入りそうな声で、不安そうな表情で。

 顔をあちこちに向けながら俺の返答を待っている。


 (どこでズレてしまったのだろう・・・)


 彼女との会話は終始嚙み合っていない。

 どこからか不明だが、「キスして欲しい」なんて言葉が出るはずがないのだ。

 

 エステルが良いのなら俺はもちろんOKだが、認識がずれたまま進めるのは違うと思う。


「あの、カケル様・・・」


 余裕が無いのだろう。

 姫様の呼吸が乱れ、今にも大泣きしそうだ。


「わ、わかった。もう泣かないで」


 女の子の涙は美しいが、ポリシーに反する。

 俺は重大な決断をした。


「嬉しいです・・・んっ」


 ようやく表情を少し明るくしたエステルが目を瞑った。

 溜まった涙が溢れ、頬を伝う。


「エステル」

「あっ・・・」


 俺は彼女の頬に手を添えるとその涙を拭う。

 微かに震えているのは姫様だけではない。

 

 そして顔を近づけ、


「んっ・・・」


 頬にキスをした。


「あの、えっと」


 嬉しいやら物足りないやら、エステルは複雑な表情をしている。


「今日はこれで許してくれ。段階を踏みたいんだ」


 今まで散々初めてを捧げて来たが、唇は神聖なものだ。

 それに、『頬でもキスなのに・・・』とは姫様自身の言葉。


「カケル様・・・」

「頬でも初めてなんだ。忘れないで欲しい」

「はい、忘れません。絶対に」


 左手で俺の手を、右手で頬を大事そうに触れ、嬉しそうに微笑んだ。

 

 ちなみに『キスは唇にするものなんだ』と言ったのは俺。

 この発言は撤回する。


 やはり、頬であってもキスはキスなのだ。

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