第9話 こういうのって本当にあるんだ!?

「なんや、大変なことになったねぇ」


 部活会議から部室へと戻った俺たちに、平麦先輩が小さく苦笑する。

 こちらとしてはそれどころではないが、いつも通りの平麦先輩の様子に少しばかり心が落ち着いた。


「大見得を切っちゃったけど、大丈夫かな……?」


 隣に立つ眞百合さんが、不安げな声を上げる。

 こんな時、俺がラノベの主人公なら肩を抱いたり頭を撫でたくったりできるのだが、あいにく現実で女子に触れるのはNGだ。

 だから、俺は励ましの言葉だけを口にする。


「大丈夫だよ。問題ないさ」

「ほんと?」

「当たり前だろ? 俺を誰だと思ってるんだ」


 こちらも大見得を切って軽く笑って見せる。

 部長がこんな様子じゃ、こちらも元気が出ない。

 いつもの明るさのままいてくれないと。


「ま、言っちまったもんはしょうがねぇよ。そんで、オレッチは何したらいいワケ?」

「やる気があるのは結構なことですな」


 からからと笑いながら明智先輩が軽くウィンクする。


「まず我々がやらねばならぬことは――学期末試験の準備ですぞ!」


 そうだった。

 すでに試験期間は発表されており、明日からは部活も休みになってしまう。

 忘れていたわけではないが、些か急な展開にすっぽ抜けていた。


「うちは準備万端。いつも通りやね」

「小生も問題なしですぞ! 仁和寺氏は、どうですかな?」


 そう問われて、軽く首をかしげてしまう。

 自分の学力というものがいまだにあまり把握できていない。

 授業には問題なくついてイケてるし、中間考査も可もなく不可もなく。

 点数は平均より少し上くらいだったはず。


「たぶん、大丈夫だと思います。一週間あれば十分に準備できるかと」


 俺の言葉を聞いた眞百合さんと峰崎が、驚いたような眼でこちらを見た。

 何か不審な言葉でも口にしただろうか?


「ちょ、おま……裏切者!」

「仁和寺くん、勉強できる感じなの?」

「部長と峰崎氏は少しばかり成績不振ですからな。我々でフォローしましょう。仁和寺君はどうされますかな?」


 先輩に勉強を教わる機会があるならそれに越したことはない。

 なにせ、この明智先輩という御仁はひどく頭がいい。

 きっと、勉強もそつなくこなすタイプだ。


「俺もお願いします。理系科目、あんまり得意じゃなくって……」

「いいですとも。平麦もそれでいいですかな?」

「ええよー。一年の勉強かて復習なるさかい」


 何とも嬉しい申し出に、俺は少しばかり胸が温かくなった。

 こういう機会は、中学でも――いや、これまでなかったから。

 初めての体験だ。


「うえー……勉強やだー……」

「オレっちも……」


 うなだれるクラスメート二人に、思わず吹き出してしまう。

 普段は元気いっぱいな二人がこうも渋い顔をしているのは、初めて見る。


「あ、笑ったね!? 仁和寺君のいじわる!」

「いや、違うって。なんか、こういうの初めてだからちょっと嬉しくてさ」


 首を振る俺に、二人どころか先輩方も首をかしげる。


「初めてって、どういうこと?」

「俺、友達が少ないって言うか……ちょっと、避けてたところがあってさ」


 眞百合さんの言葉に、誤魔化し笑いじみた曖昧な返事を返す。

 俺にとってはあまりいい記憶ではない。


 嘲笑と孤立、無理解。……そして、嫉妬。

 中学時代、それは俺をひどく苛んだ。

 だからこそ、この『アニラノ研』の空気は、俺にとって何物にも代えがたいと思えてしまうのだ。


「あー……でも、ちょっと前まで、ちょい近寄りがたい系の雰囲気醸してたもんな、ニワっち」

「だよな。うん、反省はしてるんだ」

「いや、事情があんならしゃーねーべ。でも、困ったことあったらいつでも相談してくれよな」


 峰崎が軽く笑いながら俺の肩を叩く。

 やっぱり、こいつったらいい奴だ。

 中学時代、こんな友人が一人でもいてくれればよかったのに。


「じゃ、いっぱい楽しまなくっちゃね!」


 俺の手を取って、眞百合さんが満面の笑みを浮かべた。

 その柔らかさに少しばかりドキリとしながら、俺は頷く。


「友達と試験勉強なんて青春ラブコメの中だけだと思ってたよ」


 ついでに、こうして気安く手を握ってくれる女の子も。

 まるで、ラノベの主人公になった気分だ。


「では、話はまとまりましたな。さっそく、駅前に移動しましょうぞ」

「せやねぇ。はよ行かんと席埋まってまうし」


 先輩二人の言葉に、いまいち理解が追いつかない俺だったが……少し考えると、答えがわかった。

 あの辺りには、ファミレスやカフェなどが多く、複数人で作業するに向いたテーブルもある。


 ……ああ、すごい。

 高校生ともなると、本当にそういうイベントがあるのだ。

 いや、中学生でもあったのかもしれないが、俺にはかかわりのないイベントだった。

 ちょっと、感動してしまう。


「部長、峰崎氏。しっかりと頑張ってもらいますぞ? 補修なんてことになったら、夏休みを存分に使えませんからな」

「うん! 頑張る! 文芸部なんてギッタンギッタンにしてやるんだから!」


 気合十分といった様子の眞百合さんが、俺の手を握ったままブンブンとふる。

 その様子にやる気が伝わってくるようで、俺もやる気が出た。


「それで? 小助。勝算はあるんやろなぁ?」

「さて、それは皆さんの頑張り次第ですな。少なくとも、楽な戦いではないですが」

「それはそやね。向こうもそれを見越してるやろし」


 先輩二人の会話に、俺は首をかしげる。


「文芸部には俺たちより評価されるって算段があるってことですか?」

「角田君がたびたび口にする伝統というのは、意外とジョークではなくてですな……OBに、プロ作家の方が何人かおられるのです」


 指を振りながら説明する明智先輩。


「中には大物もおりますれば、その採択に引っ張られてあちらに投票する人もいるでしょうな」

「そんなー……あたし達のが絶対不利じゃ」

「なに、こちらも切り札を準備するまでの事」


 眉尻を下げる眞百合さんに、にやりと笑う明智先輩の視線は明らかにこちらを向いていた。

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