5章 進む私と止まる君

第29話 教育という名の野望

「今度は彼が不登校にならなければ良いのですが」


 私、倉持海華は木崎家の階段を確かめるように降りていく。

 我が家であるボロアパートとは違う綺麗な一軒家。


 勿論家族で過ごすあの空間も好きだけど、このような家も憧れてしまう。

 何より親達の声が聞こえないであろう個室が羨ましかった。


「ご挨拶しなければ…」


 階段を降りてリビング前に来ると木崎凪斗の母親の姿が見える。


 初対面にも関わらず、木崎の彼女と認定されそうになったので正直憂鬱だ。

 でも礼儀としてここは挨拶しなければ。


「あの」

「あっ、もう帰るのかしら?」

「はい。ジュースご馳走様でした。突然来てしまい申し訳ありません」

「全然良いのよ!えっと…お名前は?」

「倉持海華です」


 木崎のお母さんは嬉しそうな顔をしてこちらに近寄ってくる。

 すると私の後ろを見て、木崎が居ないことに首を傾げていた。


「凪斗は?」

「私が見送りを断ったので部屋に居ます」

「何やってんのよあの子。玄関までの見送りくらい普通でしょ…」

「私が拒否したので気にしないでください」

「だとしても見送りくらいはちゃんとやらなきゃ。後で言っておくね」

「……はい」


 大きなため息をつく木崎のお母さん。私も普段、こんな感じに息を吐いているのだろうか。


「ところでさ、海華ちゃんは凪斗のことどう思っているの?」

「どう思って、ですか?」

「だってまだ彼女じゃないんでしょ?でも凪斗が女の子家に連れ込むなんて初めてだからは私嬉しくなっちゃって」

「私と木崎はクラスメイトなだけです。今日は外でたまたま会って、暑いからという理由で招待されました」

「へぇそう!」


 早く帰りたい。

 きっと木崎のお母さんは、木崎が私に気があると思い込んでいる。


 でも実際木崎は私が同性愛者というのを知っているし、今は柳百合のことしか頭にないのでその推測はハズレだ。


「凪斗、良い子でしょう?」

「まぁはい」

「小さい頃から優しい子に育ってねって言い聞かせていたの。そのお陰で母親から見てもあの子はとても優しい子に育ってくれた。何気に反抗期も無いんだから」


 私の肩がピクリと動く。

 木崎の性格とお母さんの証言。点と点が線となった瞬間だった。


「気遣いが出来る人になりなさい。誰かを否定しないようにしなさい。その教育が良かったのよね」


 私は曖昧な返事で反応するしか出来なかった。


 彼がなぜ、あんなにお節介なのか。自分の意見を消そうとするのか。

 その理由は親による教育で培ったものなんだ。


 今まで私は木崎に“良い子ちゃん”と棘を刺していたけどこの話を聞いて同情が生まれる。


 そもそも彼は無理して教科書通りにしているわけではないのだ。

 ただ頭の中に教科書通りの選択しか無いだけ。


「……木崎は良い人です」

「そうでしょう?海華ちゃんにもそう思ってもらえて嬉しい」


 本当は目の前の人に何か言ってやりたい。このままだと木崎は爆発する。下手したら鬱になる、と。


 でも言えない。

 だって私は部外者でしかないから。


 私は木崎のクラスメイト。友達であっても親友ではない。ましてや恋人でもなかった。


 そんな私が木崎と母親の間に入れるほどの地位は持っていない。


「これからも凪斗と仲良くしてあげてね」

「はい」

「またいつでも来てちょうだい。歓迎するわ」

「ありがとうございます。それでは私はこれで」

「ああ、待って。海華ちゃん」


 木崎のお母さんは台所へ向かうと何かを袋に入れてまた私の所へ戻ってくる。

 手渡されたオシャレな袋の中には高級そうなクッキーが入っていた。


「良ければ持っていって。外は暑いから日陰を通るのよ」

「わざわざありがとうございます。頂きます」

「ええ。海華ちゃんもとても礼儀正しい子ね。きっとご両親の教育が素晴らしいのでしょうね」


 そう言われて私は2人の親の顔を思い出す。自然と口角が上がったと同時に木崎のお母さんの目を見つめた。


「はい。2人とも自慢の家族なんです」


 偽りのない想いに木崎のお母さんは感動したように頷く。

 そしてニコニコの笑顔のまま玄関まで来てくれた。


「クッキーありがとうございました」

「いいえ。気をつけて帰ってね」

「はい。お邪魔しました」


 ペコペコと頭を下げて木崎家から出れば、暑い空気が身に絡まる。

 木崎のお母さんは扉が閉まるまで私を見ていた。


 きっと何も知らなかったら優しそうな人だなと思って終わりだろう。


 でも色々と知ってしまった私からすれば、あの微笑みは恐怖のように思えた。


「美咲さん達、クッキー食べますかね?」


 私はボロアパートに向かいながら貰ったクッキーを見つめる。

 まぁお母さんならテレビを見ながら食べてくれるだろう。


 そんなことを考える私は1枚だけクッキーを取り出して口に入れる。


 美味しいクッキーだ。有名なお店のものなのだろうか。

 筆記体で書かれているロゴを眺めてクッキーを飲み込んだ。


「……麦茶が欲しくなりますね」


 乾いてしまった喉を伸ばすように私は空を見上げる。帰ったら美咲さんと一緒に麦茶でも飲もう。


 そんな中、また私のスマホから1回の通知音が鳴った。

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