第30話 2人の母
「おかえり。海華ちゃん」
「美咲さんただいま」
家を出た時と変わらない位置に座っている美咲さん。
テレビには世代ではない一昔前の恋愛ドラマが流れていた。
「好きだね。古いドラマ」
「確かに映像は古いけど、内容は大して変わらないよ。むしろこの年代のドラマの方が思いっきりがあるように感じる」
「今は色々と気にしなきゃいけないからね」
「そうそう。少しでもダメなラインに触れたら炎上だからね」
私は“炎上”の単語に息が詰まる。
美咲さんはあの件について何も知らない。
もし知っていたら関連するような言葉は口に出さないだろう。
この人はそれくらい優しいのだ。
「凪斗くんは?」
「途中で別れた」
「そっか。あの子、良い子そうだよね」
「……うん」
でも私は知っている。木崎の良い子と美咲さんの良い人は全然違うものだと。
それはきっと無理しているか無理していないかの違いだ。
木崎は自覚が無かっただけで無理をしていた。今までは心の中のモヤモヤに首を傾げていたはず。
「美咲さん麦茶飲む?」
「お願い」
私は鞄を置いて冷蔵庫から麦茶を取り出す。3つ並べられたコップの2つを取ってゆっくりと注いだ。
「これ、木崎から貰った」
「めっちゃ美味しそうなクッキーじゃん。凪斗くんセンス良いね!」
「家にあったんだって」
「じゃあ遠慮なく頂きまーす」
美咲さんは木崎のお母さんから貰ったクッキーを頬張る。
私とは違い、素直な感情の持ち主である美咲さんは美味しさを顔で表していた。
「うまっ。海華ちゃんも食べな」
「うん……美味しい」
途中で味見した時は喉が渇くとしか思わなかったけど、今は美味しさが口に広がる。
さっきまであった妙な緊張感はいつの間にか解けてリラックスした状態になっていた。
「これ、華音(かのん)さんも好きな味だと思う」
「そうなの?なら残しておこうか」
「海華ちゃん全部食べる気だったの?」
「美咲さんが遠慮なく食べると思っていた」
ニヤリと笑えば美咲さんは心外と言わんばかりの顔になる。
外見はクールビューティー系なのに内面は真逆なのが面白い。
人間味溢れた性格だし、涙脆いし時々うるさいし。
でもそんな美咲さんだから私はここまで打ち解けたんだ。
「全く。私は食べ物には遠慮ないけど、海華ちゃんは私に遠慮ないよね?そういうところは華音さんにそっくり。流石親子」
「私もお母さんも美咲さんにだけだよ」
「本当か〜?」
「多分ね」
私は麦茶を飲んでテレビを見る。一昔前の恋愛ドラマは終盤に差し掛かっていた。
すると向かい側に座る美咲さんから強い視線を感じる。
振り返れば、美咲さんはこれ以上に無いくらい優しい顔を私に見せていた。
「な、何?」
「海華ちゃんは本当可愛いね」
「口説かないでくれる?お母さんにチクるよ」
「どうぞ。華音さんはいつものことだって言ってスルーしてくれるから」
「………」
「それに私は華音さんに愛を抱えきれないほど伝えているし」
「知ってる。夜は隣に娘が居るの忘れるくらいに仲良いよね」
「えっ!?ちょ、ちょっと待って!海華ちゃんそれはどういう意味で…?」
「このボロアパートから引っ越して壁の厚い部屋に住みたい」
どうせなら木崎家のような一軒家に。
でもそんなこと言われても困るだろうから、私はそれ以上何も言わなかった。
文句を言われた美咲さんは首から上を真っ赤に染めて動揺している。
本当にわかりやすい人だな。
「……華音さんと相談します」
「よろしくお願いします」
美咲さんは熱くなった身体を冷やすように麦茶を一気飲みする。
そして冷蔵庫に行って大量の氷をコップへ入れていた。
「うぅ、そんなにこの部屋壁薄いの?でも華音さんはしばらく引っ越しする気無いらしいし…。でも私の収入なら多少良い所に住めるんだけどなぁ」
なんかブツブツ言っているけど気にしない。
すると、玄関が開く音がした。
私と美咲さんは顔を上げてリビングの扉を見つめる。
静かな足音が止まった時、美咲さんのコップに入った氷がカランと鳴った。
「ただいま〜。外暑かった〜」
疲れているのに優しい声が私と美咲さんの耳を通り抜ける。
私のもう1人の母親が帰ってきた。
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