第27話 自覚してしまった良い子ちゃん

 どうしてそんな顔をしているの?

 そう聞きたいけど、聞けなかった。


 それよりもずっと悩んでいたものの核心に触れられたことの方が大きかったのだ。


 “納得していないことを庇おうとする”

 倉持さんによる指摘は何も気付けなかった俺の心を軽くした。


「本当だ。何で俺、佐倉を正当化させようとしてんだろ……」


 でも同時に栓が抜かれたように感情の泥が溢れ出していく。

 たった1つの言葉が拒否出来ないくらいに浸透していた。


 ポツリと呟いた想いに倉持さんは何も言わない。

 対して俺は、脳内で激しいフラッシュバックが起こる。


「意味わかんねぇ…。俺は納得していないことばかりやってるじゃんか」


 俺は興味もないゲームを佐倉のために始めた。


 全然楽しくなかったし、やる意味を必死に探していたけど結局それは佐倉を不機嫌にしないためで終わっていた。


「今更気付くのかよ。しかも他人に気付かされるって」


 俺は担任のお願いだからという理由で倉持さんのお便り届けを引き受けた。


 でも実際、倉持さんが俺を指名したのは出席番号が隣同士だからというだけ。

 そんな真実を知っても俺はお便りを届けていた。


 だって普段忙しい担任のお願いだから。


「木崎……」


 俺は倉持さんのために沢山勉強して、平日は毎日家に通った。


 でも何で途中で辞めなかったんだろう。心の何処かでは面倒だと思っていたはずなのに。


「……いや、面倒さえも自覚してなかったんだ」


 俯いて自分の膝に視点を当てていればポタポタと水が溢れ落ちる。

 俺の涙とわかったのは数十秒後だった。


「余計なことを言ってしまいましたか?」


 前から倉持さんの声が聞こえる。なんかいつもより優しい声だ。


 俺は倉持さんから言われたキッカケが、余計なのか余計ではないのかを判断出来なくて何も返せない。


 首を振って意思表示することも無理だった。


「実は勝手な憶測をしていたんです。木崎のその左手の傷。それって自傷行為ですか?」


 俺は俯いたまま左手の甲に目をやる。


 痒いからと周りの人には言っていたけど、痒さなんて感じたこと無かった。

 

 でもいつの間にか作られている傷。

 今では手の甲だけじゃなくて腕の方まで引っ掻き傷が伸びていた。


「私の記憶によればその傷は私が登校する前にはありませんでした。でもあの日以降、手の傷は日に日に増えているように感じます。時々玄関から顔を出して見るたびに傷が濃くなっているんです」

「……うん」

「変に私が思い込んでいる可能性もありましたが、今のでやっと確信しました。その傷は無意識なんですよね?」

「…うん」

「100%とは言い切れませんが、無意識の自傷行為かもしれませんよ。ストレスによって自分を傷つけているのかも」


 そう言われて俺は左手を顔の前まで持っていき、1つ1つの傷を確認するかのように数える。


 小傷の集まりは遠くから見れば大きな傷となってとてもグロく感じた。


「今まで木崎は私の前で2回ほど感情が爆発しています」

「2回?」

「最初の頃にいつ学校に行くのか?と強く尋ねた時。後は中間テスト前の大喧嘩ですね。どちらも君の顔を見てはいませんけど、声はスッキリしているように聞こえましたよ。溜まったものを吐き出すみたいな」


 軽く頭を上げた俺は思い出すように目を瞑る倉持さんを見つめる。

 こんな俺の姿に動揺することなく冷静な佇まいだった。


「頻繁に爆発されては困りますが、少しずつ吐き出す機会を設けては?心の負担は減りますよ」


 倉持さんはコップに入ったジュースを飲み干す。

 そして俺の頭に手を伸ばしたと思えば雑な手つきで撫で始めた。


「でもこれだけは言っておきます。私は君の良い子ちゃんに救われた時もありました。その節はありがとうございます」


 グシャグシャと髪を乱すように手を動かす倉持さん。

 一瞬、柳さんと重なって見えたがそれは本当に一瞬だった。


 倉持さんはすぐに手を離すと、何の変哲もない俺の部屋を見渡す。

 そして何も無い壁に向かって指を差した。


「あそこの壁くらい殴ってみては?」

「流石にそれは……」

「冗談です」


 俺の心は完全に晴れてはいないものの涙の速度は緩まっていく。

 俺は頬を流れる涙を拭って大きくため息をついた。


「これからどうすれば良いと思う?」

「どうすればって…」


 すると静かな部屋に1回の通知音が響く。

 倉持さんのスマホのようだ。


 倉持さんは画面を開いたと同時に険しい顔つきになる。

 そして徐々に湧き上がる苛立ちに耐えるように唇を強く噛んでいた。


「倉持さん?」

「なんかDM来ました」

「誰から?」

「私を炎上の道連れにした張本人さんからです」

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