第26話 自覚無しの良い子ちゃん
「好きな所に座って」
「ありがとうございます」
先ほど見た母さんの顔が忘れられない。
俺が女子を家に連れてきたという事実に驚きながらも嬉しそうにしている顔。
一応、友達だと言ったけど母さんは信じないだろう。
ずっとそういう話をしたことが無かったため、後で深掘りされるのは確定だ。
「ごめんね。母さんがあんな興奮して」
「構いません」
「でも嫌だったでしょ?俺の彼女かみたいなこと言ってたし」
「まぁ、正直に言えば不快に近いものを感じました。でもそう思ってしまうのも当然だと思います。君が頻繁に人を連れ込まない限りは」
倉持さんはローテーブルに置いたジュースを取って飲み始める。
やはり外は暑かったから喉が乾いていたみたいだ。
本当に急な訪問になったけど、屋内に入って正解だった。
「それで?君はあの件について聞きたいんですか?」
「うん。と言っても、今回はとばっちりだよね?」
「そうですね。幸い私のアカウントは鍵を掛けて非公開にしていますし特にうるさい通知が鳴ることもありません」
「俺は倉持さんの心が心配なんだ。叩かれるターゲットは別の人でも、倉持さんは若干関わってしまったから」
「……」
倉持さんは黙ったままジュースが入ったコップを見つめる。
「平気だ」と即答しないということは、少しでも影響は受けているのだろう。
「倉持さん、大丈夫?」
「はい」
コップの水滴を指で拭ってまた口をつける倉持さん。
俺も沈黙が怖くて気を紛らすようにジュースを飲んだ。
「認めたくないですが心にきているのかもしれません」
「……うん」
「私は何度も傷口に塩を塗られました。だからでしょうか。前みたいに雑音には思えないんです」
俺はピタリと動きを止めて顔を顰める。過去に俺が倉持さんに対して放ってしまった言葉が蘇った。
「言っておきますが、木崎は一度も私に塩を塗りつけたことはありませんよ。良い子ちゃんはあの時のことに責任を感じているんですよね?」
「だって俺の言葉が倉持さんをそう思わせるキッカケになったのかもしれない…」
持っていたコップをローテーブルに置いて俺は歯を食いしばる。
あの時、怒りと勢いで言ってしまったことが今になって返ってくるなんて。
自業自得だ。
「まぁ、多少のキッカケにはなったかもしれませんね」
「ごめんなさい」
「謝って欲しくて言ったわけじゃありません。でも正直に言わないと君も認めないでしょう?それに私も君に気を遣わないと話したはずです」
「…うん」
すると倉持さんは大きくため息をつく。コップをテーブルに置いたと思えばガタンと音を立てた。
中に入っているジュースが小さく波を打つ。
「気に病むのはわかります。でも君もスルースキルを持つべきです」
「どういうこと?」
「ずっと言っている“良い子ちゃん”。あれどうにかならないんですか?君は何でそこまで正しさに縛られているんですか?」
倉持さんの意図がわからなくて、俺は気が抜けたようなアホ面になる。
正しさに縛られていると言われても別に正しいのならそれで良いのではないのか。
睨みつけるように目を鋭くする倉持さんを俺は優しく宥めようとした。
「私の方も木崎の心を心配して言っているんです」
しかし落ち着かせようとする俺の言葉を遮って倉持さんは首を横に振る。
俺への心配?
今日は倉持さんの炎上関連について慰めたかったのに、いつの間にか立場が変わっているような気がした。
「あまり人の心を気にしすぎていると自分の気持ちに気付けなくなりますよ」
「大丈夫だよ。俺はちゃんと自分の気持ちを理解しているし…」
「では1つ聞きます」
倉持さんは姿勢を正しくすると真剣な顔つきで俺へと向き直る。
突き刺さる視線に俺の身体は硬くなった。
「私が久しぶりに登校したあの日。君の友達は私に色々と言ってきました。君はどちらが悪いと判断しますか?」
「ええっと…」
「キッパリ答えてください」
俺は溜まった唾を飲み込む。動揺するかのように目があちこちへと動いた。
急に湧き上がる感情の行き場がなく、右手を左手に強く重ねる。
また唾液を喉奥へと通した。
「あれは佐倉が悪いと思う。わざわざ言わなくていいことを、馬鹿にするように倉持さんに伝えたから」
思い出そうとすれば鮮明に頭の中に浮かび上がる記憶。
クラスメイトの笑い声。途中で静まり返る教室。そして何も出来なかった俺の心拍数。
全部が思い起こされた。
「でも佐倉は……」
悪意があったわけじゃない。だってあれはエンタメだって言っていたから。
そう口に出そうとするけど、倉持さんの冷たい声で断たれる。
「善悪はどっちかなんて重要じゃないんです。10人中10人がサクラさんを悪者にすることは無いんですから」
「じゃあ何で」
「私の方が聞きたいです。何で無理して納得していないことを庇おうとするんですか?」
突如、俺の中にあった霧が倉持さんによって薄くなっていく。
ハッとして倉持さんの顔を見れば、どこか悲しそうで泣きそうな顔をしていた。
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