第12話 そんな君だから

 深呼吸を繰り返す。弱い決心をした俺は恐る恐る玄関のチャイムを鳴らした。


「……もう来ないと思いました」


 すぐさま倉持さんの声が聞こえて伸ばしていた人差し指が震え出す。何をこんなにビビっているのかわからない。


「中間テストがあって、担任が、その…」


 いやビビっているのではない。俺はとてつもなく緊張しているだけだ。


 放課後になってから感情がコロコロ変わっているので疲れる。柳さんの言葉に舞い上がったと思えば、次は倉持さんの声に緊張。

 一定の感情に戻れない。


「わかってます。その間は担任が来ていましたから」

「ちゃんと話せた?」

「しつこく学校に行けと言うので無視してました」


 事前に知っていた情報だけど、倉持さんが言ったほうがより冷たく聞こえる。

 無視されて可哀想に思えるがしつこく学校を勧めるのなら当然の対応だろう。


「お便りはポストに入れるね」

「はい」


 たった1週間顔を出してなかっただけなのに投函することが久しぶりだと感じる。


「今日は何も貼らなかったんですね」

「うん…」


 何を言えば良いのか全然浮かばない。俺から謝れば平和に終わるはずなのに謝罪の言葉が口から出なかった。

 というか出したくなかった。


 何だか俺から言うのは違う気がする。負けて悔しいみたいな…。子供じみた考えに自分で呆れてしまった。


「ねぇ。君は、私のアカウントを知っているんですよね」

「えっ?」

「私が炎上した時の呟きを見ていたんですよね」

「まぁ一応」


 突然そんなことを言われて気の抜けたような声で答える。倉持さんが何を話したいのか読めず、ただ次の言葉を待つだけだった。


「倉持さん?」


 しかし倉持さんは黙り込む。すぐ側で気配は感じられるのに居なくなってしまったと錯覚しそうになった。


 6月に入った空は全体的に雲で覆われている。そんな中、風で流れた雲が明るい太陽を一瞬だけ露わにした。


「君はあの呟きをどう思っていますか?」

「どうって…」

「私はわからないんです。最初は何も間違ってないと信じていました。否定するコメントを送られても雑音くらいにしか思えなかったんです。でも」

「…うん」

「でも、この前君に言われて腑に落ちそうになりました。こんな私だから炎上したんじゃないかって」


 倉持さんの言葉が耳に入った瞬間、俺の額から汗が滲み出る。やばい。早く口を動かさなければ。


「違う!倉持さんは別に間違ってない!あの時は俺が悪かったんだ!」


 喧嘩した時、俺は言ってはいけないことを放ってしまった。その重大さが今になって強く突き刺さる。


 多分心の何処かでは倉持さんなら別に気にしないと思っていたのだ。

 でも倉持さんだって人間。傷つくし不安にもなる。本当に馬鹿なことをしてしまった。


「ついカッとなって最低なこと言っちゃった。本当にごめんなさい!」


 さっきまで自分から謝りたくないなんて思っていたのに見事な変わりようだ。情けない。

 俺は倉持さんに見られなくても深く頭を下げる。


「……木崎」

「く、倉持さん?」


 すると玄関の扉からコツンと音が鳴る。それは前のように叩くのとは違い、優しく話しかける合図のようだった。


「私もごめんなさい。木崎が優しくしてくれたのに、全部否定していた。ごめんなさい」

「ううん。俺が悪いよ。倉持さんは悪くない」

「このタイミングで良い子ちゃんを発動しないでください。流石にその優しさは受け取れません。私にだって非があるって自覚しているので」

「……そっか」


 俺はゆっくりと頭を上げて自分の顔すら反射しない玄関を見つめる。今度は拳ではなく手のひらを扉へ重ねた。


「また明日から来ていい?」

「お好きにどうぞ」

「なら遠慮なく来るね」

「……あの」

「何?」

「百合小説、3巻目必要ですか?」

「良いの?読みたい!」


 少しだけ堅いけれどいつもの俺達の会話に戻っている気がする。

 なんだ。ちゃんと話し合えばすぐに解決出来るじゃないか。あそこまで悩む必要は無かったかもしれない。


 そんなことを考えていると、玄関の鍵が開錠された音が聞こえる。俺は百合小説の3巻目を貸してもらうために手を離した。


「えっ…?」


 扉は外に向かって動いていく。腕一本分の隙間以上に開かれると同時に俺は小さく声を漏らした。


「どうぞ」


 だって目の前には1ヶ月半振りに見る倉持海華さんが居るのだ。

 整えられた長い髪に少しラフな私服。外出予定があるかのように綺麗だった。


 もしかして俺と対面するつもりで待っていてくれたのだろうか。こんな時にもお花畑の男子高校生脳が働き始める。

 俺はそんな都合の良い妄想を振りかぶって差し出された小説を受け取った。


「ありがとう」


 幸せそうに手を繋ぐ2人の女性の表紙。今回も楽しめそうだ。

 

 あらすじに目を通している俺はチラッと目の前を見てみる。倉持さんは俺に小説を渡しても姿を消すことはなかった。


「ゆっくり読むね」

「はい」


 何か言いたいことでもあるのかな。ずっと無言で立っている。


 1、2巻にも書いてあった百合ファンタジーの単語を読み終えた俺は鞄に小説をしまった。

 何か話題を出した方が良いのかと思ったけど、生憎弾むような話題は見つからない。


「えっと、それじゃあ俺は行こうかな」

「……」


 うん。多分見送ろうとしてくれているのだ。勝手に自分の中で解決させた俺は鞄を持ち直す。


 何だか今日は一瞬のように感じられたけど、とても濃い時間を過ごせた。

 倉持さんが返事をしないのはいつものこと。俺は手を振ってアパートの階段へと向かった。


「……君は私なんかに気を遣って欲しくないんです」


 歩いている途中、小さい声量が背中に当たって足を止める。振り向けば両手を握りながら足元を見ている倉持さんが玄関前に立っていた。


「きっとこれからも私は君に気を遣わない。だから君も良い子ちゃんの建前だけじゃなくて、本音で話してください。それじゃあ」


 倉持さんは逃げるように家の中に入る。俺が返事をする暇もなく鍵まで閉めてしまった。


「ずっと本音で話しているんだけど…」


 そもそも俺は良い子ちゃん気取りをしているわけじゃない。倉持さんに伝えている言葉は本音だ。


 何か誤解しているのかも。俺は頬を掻きながらアパートの階段を降りて行く。

 

 そういえば明日は雨予報だ

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