ノックアウトされたナンパ師

仲瀬 充

ノックアウトされたナンパ師

●月曜日の出会い

「わっ、可愛い!」

すれ違いざまに声を発すると女は振り向いて「私?」と言いたげに自分を指さした。

よし、一発で掛かった。

だがえさに食いついても一気に釣り上げるのは俺の流儀じゃない。

二言三言会話を交わして緩やかな誘いをかける。

「よかったら今度都合のいいときに食事でも」

「なら今から行きましょうよ」

え?

俺は面食らったがむろんその方が手っ取り早い。

彼女がセレブであることは既に見てとっていた。

さりげなく装っているが服もバッグも靴も全て一流のブランド品だ。

さて店はこの辺ならあそこにするか。

誘われる店のレベルにこだわるのが女のさがだ。

連れだって少し歩くと目当てのレストランに着いた。

ビストロにしてはゴージャスな構えの店だ。

「ここでどう?」

「つまんない」

え?

女は小走りで数歩ちょこちょこと行って立ち止まった。

「ここかれる!」

そう言って指さしたのはチェーン店のファミレスの看板だった。

ナンパ師の俺が意表をつかれてばかりだ。

女は席に座ると店内を珍しそうに見回した。

ウエイトレスが持ってきた薄っぺらいメニューにも目を輝かせた。

「すごい、何でもある!」

ははあ、セレブが庶民的な世界に興味を示すパターンか。

そらならそれで今後の戦略はすぐに決まった。

料理を頼み終えて改めて見るとかなりの美貌だ。

正確に言えば綺麗と可愛いを合わせたオードリーヘップバーン型。

この手の顔は若く見えるから実年齢は30ちょい過ぎというところか。

美人というのは自意識過剰な生き物だ。

ツンとすましていても360度全方向にアンテナを張っている。

ところがこの女ときたら自意識も警戒心もない。

出会ったばかりなのに友だちみたいにため口で話してくる。

最高のカモなのに本気で惚れてしまいそうになる。

「チサコ」

「え?」

「私の名前よ。チは知識の知、サはさんずいに少ない」

テーブルに肘をついて両手の指を組み、そこにあごをのせて知沙子は微笑んだ。

料理を食べながら俺は知沙子の左手の薬指に目を走らせた。

よし、独身だ。

食事を終えた知沙子は店の奥をちらちらみている。

「遅いわね」

「何が?」

「デザート」

すべての食事にはデザートが付き物だと思っているらしい。

本物のセレブだ、絶対にものにしてみせる。

新たにケーキと紅茶のセットを頼んでやった俺は彼女にかまをかけた。

「今日は誘って迷惑じゃなかった? 君ほどの美人なら彼氏がいるだろうから」

「彼氏はいないわ。あ、ひょっとしたら今日できるかも」

知沙子は本気とも冗談ともつかない含み笑いをした。

新宿には週3日、月水金に出てくると言う。

「じゃ明後日の水曜、6時にまた」

俺はしっかり次回の約束を取り付けた。


●水曜日のデート

紀伊国屋書店で待ち合わせた俺と知沙子は街をぶらつくことにした。

しばらく歩いたところで俺はこじゃれた宝石店の前で足を止めた。

「君に似合いそうだ」とショーウインドーを指さした。

待ち合わせの前に下見をしておいたダイヤモンドネックレス。

多少の出費は後で貢がせるための初期投資だ。

ところが知沙子は一瞥いちべつをくれただけで歩き出した。

「ネックレスも指輪も興味ないわ」

セレブは0.4カラットのダイヤではお気に召さないか……

俺は少し気がくじけたが次の店は大丈夫だろう。

「今日のディナー、焼き鳥屋はどう?」

「うん、行こ行こ。一度行ってみたいって思ってたの」

思ったとおり知沙子は満面の笑みを浮かべ俺の腕をとってせかした。

ネックレスは欲しがらず晩餐は焼き鳥、本物のセレブは安上がりだ。

知沙子は焼き鳥屋のカウンター席を喜んだ。

それはいいが串刺しの焼き鳥を箸ではさんで持ち上げたのには驚いた。

焼き鳥の食べ方まで教えなければならないとは。

串を握って指が汚れると辺りを見回すのでおしぼりを手渡した。

後で思うとフィンガーボウルを探していたのかも知れない。


●木曜日の異変

流れはできた、次の3回目のデートで勝負に出よう。

そう思っていた俺だが前日の木曜日に思いがけない場面に出くわした。

外回りの仕事で昼間に二子玉川ふたこたまがわを歩いていたときのことだ。

知沙子が高島屋の入口に人待ち顔で立っていた。

声を掛けようと思ったとき、彼女は寄ってきた中年男性と一緒に店内に入っていった。

ジャケット姿にアスコットタイの男性はけっこうな年配で独身には見えなかった。

どういうことだ?

セレブなのはあの上品な男性で知沙子は援助を受けている愛人なのか?

だとすれば彼氏はいないと俺に言ったのはおかしい。

かといって知沙子の無邪気さからして見えすいた嘘をつきそうにも思えない。

愛人暮らしの身ならネックレスも高級レストランも断りはしないだろうし。

どうもスッキリしないが明日確かめればいい。

何がどうあれあの男性とは別れさせねば。


●金曜日のホテル

「明日は休みだし今日はじっくり飲みたい気分だな」

実は個室のある居酒屋をリサーチずみなのだ。

「じゃあホテルのバーで飲もうよ。飲み終わったらすぐ部屋にもいけるし」

え? この大胆な展開は単なる天真爛漫さなのかそれとも?

知沙子の勧めで入ったホテルのバーに客はおらず窓辺のテーブル席に座った。

「マティーニふたつお願い。つまみはお任せで」

知沙子は俺の好みも聞かずバーテンにオーダーした。

彼女には主導権を握られっぱなしでどうも調子が狂う。

カーン! 俺は心の中で戦いのゴングを鳴らして自分を奮い立たせた。

これから知沙子は俺のパンチを浴び続けて耐えきれずにクリンチしてくるだろう。

そして抱きとめる俺の腕の中で膝から崩れ落ちていくのだ。

射し込む夕陽が効果的に当たる角度を計算しながら俺は窓の外に顔を向けた。

「夕焼けがきれいだね。僕はこの時間帯が1日のうちで一番好きなんだ」

「私もよ、ロマンチックな気分になるわ」

それは好都合だ、このまま押していこう。

「さてここでクイズ、昼と夜に挟まれてその間にあるのは何でしょう? 分かるかな?」

いたずらっぽい声で問いかけると知沙子もいたずらっぽく笑って答えた。

「と」

「?」

俺はジョークだと分かるまでに少し時間を要したが動揺してはならない。

「答えはトワイライト。ツーライトが語源だから昼と夜の二つが溶け合う今頃の時間、日本語ならたそがれ時さ。たそがれの語源も教えようか?」

知沙子の下手なジョークをスルーしペースを保つことができてマティーニが旨い。

ところが……

「そんなの常識じゃない」

「知ってるの?」

「向こうからやって来る人が薄暗くてよく見えないから『そ、かれ?』 誰ですか、あの人は?って側の人に聞きたくからよね?」

想定外の反撃だが逆手さかてに取って一気に攻め込もう。

「そうだね、そして誰だかよく分からないどうしの君と僕との間に愛が生まれた。昼と夜の間に素敵なたそがれ時が訪れるように」

知沙子の目を見つめながらテーブルの上の彼女の手を握った。

「じゃ私たちの愛とやらもたそがれる定めかしら?」

知沙子はやんわりと俺の手を払いグラスを手にして視線を外に向けた。

窓の外は夜のとばりが下り始めている。

第1ラウンドは互角といったところか。

「あなたが言ったトワイライトにもう一つあるの知ってる?」

「たそがれ以外に? 何だろう」

「夜と朝の間のトワイライトをかわたれ時って言うの」

知沙子はバーテンにマティーニの3杯目を頼んだ。

「たそがれと同じで薄暗いから『たれ?』 あの人は誰?って意味」

「君はなんでそんなにくわしいの?」

「常識の範囲よ。それに一応東大の文Ⅲを出てるし」

「!」

連続攻撃を受けてクリンチする羽目になったのは俺のほうだった。

ここで倒れてはならない、ふんばらねば。

「よく顔も見えないそのかわたれ時に二人でコーヒーを飲むっていうのはどうかな?」

「フフ、あなたってロマンチストね」

なんとか第2ラウンド終了のゴングに救われたようだ。

さてどう挽回するか。

ところが知沙子は時間を気にし始めて新しいラウンドに入る気配がない。

この場を切り上げて部屋へ移りたくなったのか?

それほど酔ったのなら好都合だ、例の話を片付けよう。

「昨日二子玉にこたまのデパートで君が男の人と待ち合わせしていたのを見かけたよ」

知沙子は目を見開いて飲みかけのグラスをテーブルに置いた。

よしジャブがいた、次はストレートだ。

俺は思わせぶりにを取って寂しげにも悲しげにも見えるように表情を作った。

「不倫っていうのはやっぱりまずいんじゃないかな。結局は君のほうが傷つくことになるんだろうから。君を愛すれば愛するほど僕も辛くなるし」

知沙子はうつむいて俺以上に間を置いてぽつりと言った。

「あなたって優しいのね……」

けれども顔を上げるといつもの知沙子に戻っていた。

「言いたいことは分かったわ、これっきりってことね。これまで楽しかった、ありがとう」

立ち上がった知沙子は腕時計を見て入口に向かった。

「部屋に行かなくちゃ。それじゃさよなら」

一人で部屋へ? わけが分からないまま俺はとりあえず後を追った。

そしてバーのドアを開けようとした知沙子の腕をつかんだ。

知沙子は痛そうに顔をゆがめて俺をにらんだ。

「何するのよ!」

「だってコーヒーを明日あしたのかわたれに」

そこまで言ったときドアが半分開いてジャケット姿にアスコットタイの男性が顔をのぞかせた。

「知沙子お待たせ。ん?」

知沙子は邪険に俺の腕を振りほどいて出て行った。

閉まったドア越しに二人の会話が聞こえた。

「今の男は誰なんだ? 明日あしたのかわたれとか聞こえたが」

「ただのばかたれ」

「一体どういうことだい?」

二人の足音と会話が遠ざかる。

一体どういうことだいって? それはこっちのセリフだ。

俺はグラスを手にカウンターに移った。

「ホテルのバーって静かだね」

当たりさわりのない話から入ったつもりだった。

「今日はお二人の貸し切りでしたから」

「えっ、そうだったの?」

バーテンの返事に俺は驚きよりも恐怖にかられた。

ホテルのバーを貸し切ればいったいいくら取られるのか?

「あの、お勘定の額は?」

「奥様がお支払いになります」

今度はホッとするよりも驚きが勝った。

「奥様? 彼女が?」

「当ホテルのオーナーの奥様でございます」

「結婚指輪はしてなかったけど?」

「金属アレルギーとかお聞きしました」

「じゃさっき迎えに来たのは旦那さん?」

「はい、ご自宅は世田谷ですが週に3日はご夫婦でこちらの専用のお部屋にお泊りになられます」

俺の頭の中でテンカウントゴングが鳴り始めた。

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ノックアウトされたナンパ師 仲瀬 充 @imutake73

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