第3話 サイコロ惨そのいち 自律神経完全崩壊

 仕事に行くか、仕事に行かないか。私は毎日のようにそのことに悩まされている。しかし傍から見ればそれだけで、その程度のことで一体なぜ悩むのか、悩んでいるのかと思われる方もいるだろう。何を考え込んでいるのだ。行けばいいのに。嫌ならやめればいいのに。それだけのことなのに。



 では、話そう。鬱病という病とその葛藤について。仕事について思っていることを。



 仕事とは行かないといけないものである。学校も同じだ。行かないと行けないものである。一方で行かないという選択肢は大いにあるし、十二分にある。が、しかしそれは同時に裏切り行為である。



 親がいれば親に対して、家族がいれば家族に対して。裏切りだ。そして何よりも自分自身に対して。裏切ったのだ。少しでも普通でありたいという、普通の人になりたいという願望を、自分の願いを、裏切ったのだ。自らの手で。行動と選択で、行かないということは裏切りなのだと、私は思う。だからこそ苦しい。行きたくても行けない。行こうと思っても起き上がれない。普通に仕事をしよう、仕事ができなくても起きて行こうと思っても、常に思ってはいるのだが、それでも行けない。茫然自失とし、心はそこにあらず。莫大な不安ばかりを抱え込んで、死人のように寝転がり、起き上がったと思っては泣きはらしたかのような心を貼り付けた顔でぼうっとする。めまいがして、頭が重くなり、巨大な重たい物で胸が押しつぶされるような感覚にずっと苦しめられて、今日も行けない。



 ここまで来ると、辞めるということも選択肢だ。



 しかし、仕事を辞めるということは、生活を辞めるということと同義である。いくら小説を書いても書籍化できず、収入として得られないのでは普通に働くしか無い。自分の年齢もなかなか良い年齢になってきた。親も高齢に近づいている。一度は自立したものの、すぐに引きずられるように実家へと連れ戻された私としては、なんとか親に迷惑かけないようにしなければいけない。



 しかしそうとはいえども、仕事は厄介だ。というのも毎日あるということ、このことが一番厄介だ。明日もある、その次の日もある、その次の日もある。明日も、明日も、と心はいつも明日のことを考えていて今日のことは考えられない。だから日曜日だろうと、土曜日だろうと今日休むということができない。休まらない。常に未来と明日を憂い、不安がり、休むことをしないから無限に、永遠に不安なのだ。そう、これが問題。一番の問題。鬱病は未来を常に憂いているからこそ、今日を生きることができず、今日という日に苦しむのだ。後悔して、苦しくなって、罪悪感と後悔を勘違いしてしまうんだ。区別がつかなくなる。だから生きることが苦しくなる。後悔ばかりで埋め尽くされてしまう。



 その時点で普通に生きること、普通の人間であること、鬱である人間においては、もうこれらのことをとっくに諦めている人が多いことだろう。「ダメ人間!」と言われてもしかたなく受け入れるのだ。時々笑えなくなるんだよ、この言葉に。サイコロの旅を見るたびに、思い出す言葉だけど、それはミスターのことを弄っているからこそ面白いのであって、自分がダメ人間であることは誰よりも、他でもないさっきまで泣いていた自分が一番わかっている。



 泣いても終わらない。それが鬱である。



 次の話では、次は生活面についても見てみよう。



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