第2話 私見に出るどうでしょう

 私見、とは。個人的な見解、自分ひとりの意見のことである。つまり自分ひとりでつらつら、のたのた、意見を言っていてもそれは私見に過ぎないということである。試験にでる、私見にでる、私見としてでてしまう。私の悪い癖であり、私の悪い思い過ごしである。



 前回、鬱病と仕事について私のことを述べたが、これはノンフィクションであって、同時にフィクションの小説でもあるのだ……なんてことを言うと実にそれっぽいが、実はそんなものじゃないのかもしれない。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。



 さて、試験にでるどうでしょうシリーズでは、安田が間違えたり、大泉が間違えたりすると四国行きが決定してしまうところが最高に面白いのだが、ここに進んで自ら四国に行った者がいる。私である。私は大学の卒業旅行と称して友人を巻き込み、四国八十八箇所の最初の数カ所と最後の八十八番を巡礼した。日程の都合上高知以外の三県を楽しんだ。これは残念ながら事実である。



 それで感じたのは、四国はそんなに辛い場所ではないと。これは私見であるが、四国はとてもいいところだということを、多分言わなくても誰もが知っていることだと思う。うどんは美味しいし、とても景色はいいし、渦潮も見られるし、鯛もよいし、蛇口ひねればみかんジュースが出てくるしで、とても魅力的で素晴らしいところであることは私見でなくとも間違いないところなのだ。では、なぜ水曜どうでしょうでは辛い辛いと言っているのかといえば、それは自ら辛い日程と行程を課してそれを実行しているからであり、だから辛いのである。真夜中の寺なんて言ったらそれは怖いし、当たり前のように何かを連れてくることになるだろう。オカルトだなんだと騒いでいたのも納得の所業なのである。あの番組はそれを含めて面白いわけなのだが。



 水曜どうでしょうを見たことがないという人はぜひとも見たほうがいいと私見ながらに思う。どこから見ても良い。面白い。ついつい笑ってしまう。ネット配信もされているし、DVDも販売されている。二千二十三年の夏にも最新作を放映したばかりだ。まだまだ終わらないし、愛され続けると思う。



 私は今日もそんな水曜どうでしょうを振り返るように見返しながら、くだらない私見を述べるように小説を書いている。

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