第1話 対決劣等

 水曜どうでしょうという番組がある。私はこの番組が好きでよく見ている。もちろん放送時期はとっくに過ぎているので再放送を見ている。私にはこの番組が輝かしく見えて仕方なかった。気のおける仲間と楽しく旅をする。くだらない企画を全力でやる。それがとても素晴らしくて、輝かしくて、私には強すぎた。だから惹かれて、魅了されてしまっているのだろうとも思うのだけれども。



 私は実家に住んでいて、引きこもりである。前は一人暮らしをしていたが、死にたい死にたいと自傷を繰り返して泣き叫ぶために実家に無理やり連れてこられた。その時に鬱になって一般の仕事は辞めて、今は就労支援事業所A型に通っている……はずだった。



 就労支援事業所とは一般就労が困難な人が、たとえば障害者とかが一般就労を目指して体力をつけたり、生活リズムを整えたりするために仕事をする事業所のことである。A型、B型と主に有り、A型は雇用契約を結び社員として雇われる。だから時間が決まっていて、何時出勤何時休憩何時退勤と決まっている。普通の仕事に近いが、勤務時間は四、五時間と短いことが多い。B型は雇用契約を結ばず、そのため賃金は最低賃金を大幅に下回る。ほとんど小学生のお小遣いみたいなものしか出ない。しかし、時間に縛りはなく、その人の体調に合わせて出勤して働くことができる。私は新卒から五年も働いていたので、最低賃金が保証されないと嫌だったし、それは当たり前のことだと思っていたのでA型事業所を選択した。三ヶ月は休まず通えていた。無遅刻無欠勤だった。しかしそれが逆にいけなかった。



 一度休むと歯止めが効かず、甘えるように、自分の境遇に甘えるように休みが続いた。原因は不安だった。心がずっと不安だった。不安が心の全てをを占めて、覆いかぶさって、そして泣き出してしまうのだ。なぜ泣くのかもわからない。でも泣いてしまう。涙流してりゃ悲しいのか、それはわからないけど泣いてしまっているのは事実だ。



 それに私は他人という他人すべてがストレスであった。ママ見てー、ママー、ママーと泣き叫ぶ子供、同じ精神障害者と思われる言動のおかしな見るからにおかしな男の子、買い物帰りの疲れ切った中年のお母様、ワイヤレスイヤホンで耳を塞ぐ制服の少年少女、バスの運転手、くだらない話を大きな声で笑い合う学生、歩いてくる男性、過ぎていった女性、男、女、大人、子供、すべて、すべて。その言葉、聞こえる言葉聞こえない言葉、耳にする言葉、耳から流れるような言葉、動作、動き、何気ない動き、人間としての動き、駄々をこねる子どもの動き、振り返って様子を見る制服の動き、無視を決め込んで何も動かない大人たち。会社の人、普通のスーツを着た人、上司、専務、部長、コロナによる解散、転職、職場、働くこと、仕事に行くこと。そのすべてが、すべてにおけるすべてが、ストレスだった。他人の言動から他人の言いたいことを読み取ることが普通の人にはできると言うが、私にはそれができなかった。むしろすべてストレスだった。そういうことで、そういうところだった。



 行かなきゃいけないのはわかっている。でもまだ辞めていないというのが矜持として残っているのが行けなかった。学校でも、仕事でも関係ない。いかないのなら同じだ。引きこもりというのはこうやって生まれて行くのだ。出来上がっていくのだ。



 家で何をしているのかと言うと、やることなんてそんなになくて、動画を見ること、小説を書くこと、野球中継をテレビで見たりラジオで聞いたりすること。そして水曜どうでしょうを見ることであった。趣味としてギターも弾くことができたが、しかし、それをやるとなんか休んでいるのに遊んでいるみたいな雰囲気になってしまう気がしてやらなかった。つまりギターもしばらく弾いていなかった。



 鬱病というのは酷いもので、それらの趣味すら楽しめなくなることが大いにある。何もしたくない。ただ寝ていたい。何をしても楽しくない。すべてを投げ出したい。気分が沈み、下を向いて、落ち込み、パーカーのフードを被ったりヘッドホンをしたりして外界からシャットアウトして自分を守る。心は一生不安さ。そんな事を言いながら。



 鬱病になると人間が如何に利己的で自己中心的であるかがわかる。自分のために他人に迷惑をかけるのだ。仕事にいかなくても、学校にいかなくても、その一回の度に迷惑をかける。いろんな人に迷惑をかける。そんな事はわかっている。だが、自分にはどうしようもないのだ。自分に価値がないことなんて自分が一番わかっているのだから。だからこそ苦しい。だからこそ今日も休みますの電話を掛けたくない。掛けられない。矜持と葛藤が混在して震えるのだ。



「……はい。すみません、はい。はい、はい。よろしくお願いします。はい、失礼します……」



 今日も休んだ。私は最低である。人間失格だ。そんなことを思うぐらいなら行けばいいのに。それがわかる人間とは手を取り合えるし、わからない人間にはきっと一生理解なんてしてくれないし、されないんだろうなと、そういうことを思った。



??? 「ギブアップ?」

私「ギブアップ」

??? 「ギブアップ、ノオゥッ!」



 そして今日も水曜どうでしょうの録画したやつを見るのであった。

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