第26話 命がけの綱渡りは静観するとしよう

「盗聴や追跡に失敗しちゃいましたの」

 安倍川が明るく教えてくれる。

「失敗って、普通に無線で連絡してましたけど、どうやったらしくじれるかな」

 あまりの御間抜けぶりに、ついつい苦情ともとれる質問を投げかけてしまった。

「詳しい事は申し上げられませんが、会話は巧妙な暗号に変換されてから電波になっていました。スーパーコンピューターをフル稼働しても、まったく解読出来ないのです」

 塩味にはわずかばかりの責任感が残っているようで、しおらしく頭を両手で抱える。

「せーっかく私達が完璧に任務を熟したのに、内勤のボンクラどもがぶち壊してくれましたの」

 安倍川が、しきりに自分には如何なる責任もないと主張する。

 こんな態度を見るにつけ、州浜やカノコを見るにつけ、女が何とか省でエリートとして生き残るには、決して弱気になってはいけないのだと痛感させられる。


「で、俺達に何しろっての。ただじゃ動かねえよ」

 流石に所長は商売人。

 相手が誰であれ稼ぎになると踏んだら、すぐさま弱みに付け込んだ商談に持ち込む。

「もちろん、一般の方にはそれなりの報酬を用意してございますが、公務員の方には手土産が精一杯でして………」

「それはいかんですよ」

「そうですわ。警察庁としては協力できません事よ」

 早速、警察庁の二人が提案を拒否。

 すかさず「あっ、そう。じゃあ私も降りた」

 カノコが土産のワインをシンクで逆さにして捨てようとする。


「通信相手さえ分かりゃいいんだろ。幾ら出すね」

 所長が廃棄途中のワインをグラスに受ける。

「相手の確認もしていただきたいのですが、副船長の使っている通信機を、気づかれない様に二時間ばかり預かりたいのです。一千万用意しました」

 通信相手なら既に調べてあるから簡単な仕事で、一千万が百万でも所長は引き受けただろう。

 それが、殺人もいとわない相手の持ち物を、気づかれずに盗んできて二時間後に返すとは。

 天上の巨人から金の卵を産むニワトリを、盗みっぱなしのジャックがやった事より、遥かに難しい仕事の依頼だ。


「盗むだけならな一回の命で済むけどよ、返すとなると命がけ二回だろ。二千万出せねえかよ」

 そこを計算するか、根拠が大雑把過ぎないか。

「そこはそれ、血税が原資ですので、あまり御無体は………」

 最終的に船会社から返金されるとはいえ、その血税を湯水の様に使っていたのは御前だ。

「しゃーねえな、御引き受けいたしやしょ」

 正義感など微塵も持ち合わせていない男だ。

 堅気になる為にカジノの稼ぎは使い果たし、これからどうやって事務所を維持していくのか気になっていた所だが、命と引き換えの綱渡り人生を選択したか。

 こんな事になるなら、稼いだ金を持ったままヤクザを続けていればよかったような気がしないでもないが、本人に教えるのは残酷だ。 ここは静観するとしよう。


 商談がまとまって、副船長の部屋に忍び込むとしても、僕の能力では援護のしようがない。

 確実に所長の一人仕事だろうと思っていたら、所長がカノコに指を一本立てて見せる。

 カノコが首を横に振る。

 二本目の指が立つ。

 また首を横に振る。

 三本目。

 大きくカノコがうなずく。

 二人の間で、暗黙の契約が成立したようだ。

「三百で手打ったから」

 カノコが僕に耳打ちする。

「三百?」

 唐突なので疑問符をつけてみる。

「一人、三百だから、所長の取り分は四百。妥当でしょ」 

 理解の範疇にない回答だ。

「何の話だか」

「報酬よ」

「だから、何の報酬」

「泥棒の手伝い!」

 やはり、金の力に負けていたか。


 明日、船は港に入る。

 そうなったら副船長は姿をくらますに違いない。

 よしんば居所が分かったにしても、通信機を盗み出すのは今よりずっと困難になる。

 やるなら今夜だ。

 とは悟っていたが、やはり所長の考える事はいつでもえげつなく、助平心を満足させるためだけとしか取れない衣装を、僕とカノコに用意してきた。

「どこからこんな物持ってきたの」

「船には貸衣装ってのがあるんだよ。いいからさっさと着替えな」

 着替えてから成すべき事は言われなくとも想像がつく。

 副船長をカノコと二人で誘惑し、二時間ばかり部屋に帰れなくすればいいのだろう。

「これで副船長をー………嫌だなー」

 所長と違って相手は誰でもいいのではない。

 僕にだって選ぶ権利はある筈だ。


「奴には俺達の素性がばれてんだ、ハニートラップには幼稚園児も引っ掛からねえよ」

 はなっから、幼稚園児はこの手の罠にかからないと思う。

「じゃあどうしろって」

「私達は、船長と一緒に最後のダンスパーティーで遊んでいればいいだけ」

 カノコが代わりに答える。

「へっ?」

「つまりだ、船長が予定より長く、御前等とパーティー会場にいればいいだけなんだよ」

 所長の顔が笑っている。

「船長が不在の時は、副船長が操舵室に居なければならないでしょ。それに、操舵室から副船長の部屋へ行くには、どうやったってパーティー会場を通らなきゃならないの。もしも、二時間の間に副船長が部屋に戻りそうだったら、私達で食い止めればいいのよ。まさか、大勢の面前で暴れたりしないでしょ」

「ふんふん、なるほど」

 僕達は安全圏での見張り役に位置しているらしい。


 船長を誘うまでもなく、今夜のパーティーを主催しているのは彼だ。

 乗客がまったく居なくても、最後の夜はそれなりに締めくくる。

 船長が終始居るのかと思っていたけど、一時間で副船長と交代する予定になっていた。

 そこで所長が考えたのは、船長が僕達二人の誘惑に負けて、ズルズル会場に居座ってしまうといった筋書きだ。 

 はたして、こんな事をして副船長に怪しまれずに済むのかどうかだが、そこはそれ、たとえ犠牲者が出るとしても、部屋に忍び込むのは所長だから良しとしよう。


 と、していたところが、期待していたアクシデントは一切なく、計画どうりに通信機を盗み出し、中のデーターを抜き出して暗号解読の専門家に引き渡すまでやって、無事に返し終わった。

 副船長と組織の誰かが通信すれば、内部事情は筒抜けになる段取りがつけられた。

 あっけない程スムーズに完了した仕事で、一千万は美味し過ぎる。

 やはり、血税の無駄遣いに思えてならないのは僕だけだろうか。


 若干、二日酔い気味の朝。

 なにはともあれ危険な仕事は終わったし、もうすぐ危なっかしい組織も解体に追い込まれる。

 めでたしめでたし。

 と、船を降りて事務所に帰るまでは思っていた。


 事務所でテレビのスイッチを入れる。

 画面の中は、天地がひっくり返ったような大騒ぎになっている。

 通信暗号の解読によって、組織の全貌が明らかになった御蔭かどうかは定かでないものの、厚労省と警察の合同で一網打尽の捕り物が始まっていた。

 広域暴力団の一斉捜査はもとより、自衛隊や警視庁、果ては政党本部から宗教団体にいたるまで、ありとあらゆる組織の家宅捜査が行われている。

 どこからそんなに捜査員を集めてきた。


 マトリにしろ警察にしろ、仲間内にも麻薬取引に関係している人間がいる。

 自分達の内部調査についても、例外なく一斉捜査の対象になっている。

 マスコミの中にも関係者はいて、生放送中に局の人間が逮捕される場面もみられる。

 事情を知らない者からすれば、警察力を使ったクーデターのような絵面に思える事だろう。

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