第18話 あなた、だまされてますから

 それならそれで納得してやってもいいが、なんで一億もの借りがあるのか、そのへんがよく分からない。

「一億って、どこから湧いて出てきたの」

 カノコがバドワイザーの栓を手で捻り開け、僕が問う前に聞いてくれた。

「一億な。半分は利子みたいなもんで、なんだかんだ世話になった組長への恩返しとして俺が勝手に決めた金額だ。半分は事務所を開く時に借りた分と、ずっと赤字経営だったから累積赤字ってやつだな」

「やつだって、随分と組絡みの仕事で稼いでいたでしょう」

 仕事の事ならいくらかは知っている。

 そんなに赤字が出るような風ではなかった。

 それよりも、あこぎな稼ぎで事務所ばかりか組までも潤っているように見えたが、あの金はどこへ行ってしまったのか。


「いやなに、時々遊びに行ってな、どういったわけだか知んねえけど、組でやる博にはとんと勝ち目がなくてな。いつもすってんてん」

「………」

 なんだかんだ理由をこじつけようとしているが、結局のところ博打で負けた借金じゃないか。

 救えない。

「組の博打で負けた金を、カジノで稼いでいるって言えないの? だいたいね、ここみたいにまともなカジノで馬鹿勝ちできるだけの実力があるのに、組ではからっきしって、いかさまだって気付かないかな」

 カノコがもう二本、ビールの栓を開けると、僕と所長に手渡してくれた。

「あっ!」

 二十年間、ただの一度も疑った事がないらしい所長が、今更に驚きを見せてくれる。


「だいたい、御金返したって、これからどうやって堅気の生活していくつもり。すっかりヤクザな習慣が身についているのに、真人間の生活がどんなものか知ってるの」

 偉く年上の人間に対しても、カノコは物おじせず事実をグサリと突き刺す。

「うっ!」

 そんな事は一度も考えた事がないらしく、しゅんとした所長の肩から絶望的哀愁が漂い始めた。

「それくらいにしてあげなよ。下手したらこのまま海に飛び込んじゃうよ」

 ここで所長に死なれたら、僕が残された一億をもらわなければならない。

 すでに三千万もの大金を手にして、これからどうやって使っていったらいいのか途方に暮れている。

 さらなる追い打ちまでかけられたくない。これ以上御金は欲しくない。

「そうだよ、そんなにきつく言ったら俺が可愛そうだろ」

 僕が味方に付いた事で、少しは所長に元気が戻ったようだ。

 

 南半球の冬。

 途中まで夏陽気だったとは思えない寒さが身に染みる南極から、アメリカ大陸最南端を経て西海岸を北上する。

 麻薬取引にはうってつけ。

 怪しい地帯が続く海岸模様へと変わってきた。

 一か所では調達しきれないのか、寄港するたびに船底へ潜水艇から荷が運び込まれる。

 地上から海面を見る限り怪しい動きは全く見えないし、沿岸警備に潜水艇を使っているような国はない。

 実に堂々としたもので、水や食料の補給業者に紛れ、麻薬業者が副船長から受領書にサインをもらっている。

 既に支払いは済んでいる様子で、金だけ持ってドロンを決めかねない業種にあって、ここまでの信用取引ができるようになるまでには、随分と長い年月がかかっているだろうと思える。


「カノコ、いつ頃からこの取引は始まってたのか知ってる?」

「あまりあてにできない捜査報告なんだけど、かれこれ十年。つまり、この船が就航した時からって事になるわね」

「ひょっとして、建造当初から密輸に使うつもりだったんじゃないの」

「そんな話も出ていたけど、今回みたいに徹底した捜査をやったのは私達が初めてみたい。必要以上に大きな船底の空洞は、色々と勘繰れば際限なく疑問が出てくるわね」

 そんな疑いがあったにも関わらず、今までたいした成果も上げられないでいたのは、厚労省内部にも今回のような捜査を妨害阻止しようとする輩がいると勘ぐれなくもない。

 どっちを見ても、どこへ行っても、信用ならない奴ばかりに思えてくるから世の中恐ろしい。


「まあまあ、そんなに深刻な顔しなさんな。ここまできてジタバタしたって成るようにしか成らねえんだから」

 確かにそうだが、どうしても所長の言う事がまともな意見と思えない。

 こう感じるのは僕だけだろうか。

「話は変わるけど、稼いだお金どうしたの」

 カノコが、いきになり忘れていた所長の暴挙が招いたであろう結果について聞き出そうとする。

「一億は組に送ったさ。その後はボチボチの稼ぎで我慢してるよ。あんまり目立つと周囲の反感を買うからな」


 一億稼いだ時点で十二分に買った反感を、今になって帳消しにしようとしても、そう簡単に世間は忘れてくれない。

 他の人がかけた金を一瞬でむしり取っているのだ。

 やっている事は泥棒とたいして変わらない。

 金余りが多く乗ったこの船。

 それも、高額の賭け金を支払える連中相手だから、取られる方としてはたいした金額とは思っていないのかもしれない。

 それでも、一人に馬鹿勝ちされたらゲームが面白くない。

 結果として、あいつを痛い目に遭わせてやろうと考える人間が一人二人百人出て来そうな状況だ。


「ボチボチ稼いでいるって、一億送った後にどれくらい毟り取ったの」

 今はルーレットの勝ち目を計算して、赤黒どちらかの一点張りで地道に稼いでいるカノコにとって、所長の荒稼ぎはうらやましかったり腹立たしかったりする。

 時々こんな会話が繰り広げられている。

 そのたびに、所長はいい加減な返事でお茶を濁す。

「たいして稼いじゃいないよ。家一件買えるくらいさ」

 家一件とは、随分と幅広い言い方だ。

 ピンキリ、数万数十万で買えるいわく因縁幽霊祟り付きの家もあれば、維持費だけでも月に数十万かかるような数十億数百億の家だってある。

「家一件とは、随分と大きく出たわね。車一台くらいに言っておきなさいよ」

 今日のカノコは何だか機嫌が悪い。


 とやかく雑談で喧嘩腰になっていると、久しぶりに警察庁の二人が僕達の部屋にやってきた。

「同じ船に乗ってるのに、随分と御無沙汰だったじゃねえの御二人さん。仕事もしないで二人して部屋にこもりっきりもっこり。なんだかんだやりまくりってか?」

 博打しか友達のいない所長にとって、いつも二人連れの警察庁はとっても羨ましい。

 羨む気持ちが僻みになって、体の随所から滲み出ている。

「一財産作っておいて、まだそんな事言いますかね」

「そうですわよ、私達はそんな不純な関係ではございません事よ」

 絵に描いたような不倫旅行の真っ最中に、いけしゃあしゃあと言ってのけるあたり、今後の出世は確実だ。

 今からでも遅くはないから、仲良くしておこうか。


「何で俺の稼ぎまで知ってんだよ。余計な事を調査してねえで、仕事しろよ」

 後ろめたくもない身辺を探られるのは極めて不快なものだ。 

 所長も人並みに同じ感情を抱いたらしい。

「あれだけ派手に勝ちまくったら、いやでも貴方の噂は耳に入ってきますの。暇な船旅で、あまり目立った事はお控え遊ばせ。御仕事の結果として、ここに来たのですわ。用もないのに、誰が好き好んでこんな貧民掘に惨状いたしますの?」

 自分達が最上クラスの部屋に住んでいるからと、嫌味を素通りして、暴力としか取れない発言。

 こいつはカノコ以上に屈折している。

 出世はしても尊敬される人間になれないのは確実。

 こんなのとつるんでいたら、きっと僕も嫌われ者になる。

 やはり、仲良くするのはよしておこう。


「仕事の結果って何だよ。何をどうひっくり返したって状況は変わらねえんだ、俺たちに出来る事なんかねえだろう」

 所長の立場になって考えるに、事件を解決する義理はどこにもない。

 僕の能力があれば、深いところまで掘り下げた調書がつくれる。

 これまであった事、これからの事を調査報告書として提出すればいいのであって、それだけで完璧に仕事をこなしたと評価される。


「道明寺さんに御話すべき事なんですが、ここは下請けの御宅等にも聞いてもらった方が良いかと思いましてね」

 下請けという表現が気に入らないでもないが、州浜よりは人道を弁えているだろう月野が話続けた内容をまとめると、外務省は本国と連絡を取り合っていて、この密輸劇にはもっと大きな組織が絡んでいるらしい。

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