第6話 マトリのカノコ
中学を卒業するまで、一部の女子からこのように呼ばれていた。
声にも聞き覚えがある。
確か、一年生の終り頃「この学校はレベルが低いから」と、くそ生意気な事を言って転校して行った奴だ。
振り向けば、当時の身長そのまま170はあるだろう長身に加え、実際はふくよか体形なのに水着から零れそうに大きな胸で、みごとなバランスを保っているナイスバディー。
カノコ………。
うっかり当時の呼び名で受け答えしてしまいそうになったのを、グッと抑え込んで立ち止まる。
「えっ! 私の事かしら。御人違いですわ」
幾分、ドギマギとしているのが自分でもわかる。
「いいえ、貴方は私の知っているアズキちゃん。子供の頃から、そっち系に走るんじゃないかとは思っていたけど、やはりこうなったのねー。でっ、どうしたの、チョッキンしたの、それとも、まだついたまま? 気にはなってたんだけど、なんか確信が持てなくて。水着姿で証拠見つけたから声かけたの。その胸元にあるハート形の小さなホクロ。消さなかったのね。関心ゝ」
完全にばれている。
それはさて置きっぱなしにしても、変なところに関心しているし、やたらと語ってくれる。
このまま話し続けられたら、僕の正体が世間様にばれてしまう。
「あー、もう。内緒だよ。部屋に来て」
カノコを連れて急ぎ部屋に戻る。
彼女にガウンを着せると、僕は部屋着に着かえた。
声をかけられるまでカノコだとは気づかなかったものの、乗船してからの調査で彼女の顔は特別印象に残っている。
乗り込んだ初日、部屋で拳銃を分解掃除していた。
「マトリか?」
部屋に戻った安堵感からか、ついうっかりの小声が、ソファーに胡坐をかいて座っているカノコに聞こえてしまった。
「なんだ、知ってたの。私も貴方の事知ってるわよ」
「知ってるって、何」
「何って、うちの下請けやってるでしょ。所長の名前は分かってたのね。でも、君のは知らされてなくて、でも知り合いでよかったー。初任務なのよ、不安でさー。少し安心」
ここで一つ、大きな疑問が沸いてきた。
僕と同学年だった彼女は、まだ二十か二十一になったばかりだ。
それが、厚生労働省のマトリで初任務というのは、どう勘定しても歳が合わない。
「カノコがマトリで、僕の仕事を知っているのも不可解なんだけど、どうして就職できたの? まだ学生でしょ」
素朴な疑問はそのまま彼女の喜びでもあるようだ。
満面の笑みを浮かべて説明してくれたのは、中学の時に受けた知能試験で秀才と判定された事から転校し、それからの猛勉強で天才の域にまで達したとの事。
そのままならまだ学生でいただろうに、十七になった春には大学へ飛び級入学した挙句、僅か一年で主席卒業。
研究者になるか就職か数秒悩んで、結局、将来は日本初の女性総理大臣になるべく、まずは手始めに厚生労働省に入ってやったと。
実に謙虚の二文字が似合わない日々を過ごしてきた奴が、現在、目の前で水着を脱いでいる。
「シャワー借りるね、この部屋寒いわ。冷えちゃったみたい」
自分の部屋に行けばいいだろうと思わないでもないが、僕から呼び込んでおいて帰れとは言いにくい。
浴室は安全への配慮からか、アクリル製の扉になっている。
曇りガラス風になってはいるが、はっきりシルエットの浮かび上がっている扉越し、次なる疑問解決の為に質問してみる。
「何で僕達が下請けだって知ってるの」
「上司から聞きました。所長の後輩なんですって、うちのボンクラ」
自分の上司をボンクラと呼ぶあたり、天才の名を欲しいままにしてきただけの事はある。
見上げた他人軽視だ。
僕も真面目に努力していたら、彼女のような性格になっていたかと思うと、いい加減に生きてきた自分を褒めてあげたい。
しかし、ボンクラと呼ばれるだけの事はあって、僕らの事は秘密にしておく筈だったのに、しっかりはっきり部下にしゃべってしまっている。
あながち、不適切な表現とも言い切れない。
「そんな事より、貴方も秀才レベルだったでしょ。何やってきたらこんな再会になる訳。教えてよ」
「いやー、それはさ、話せば長くなるから」
「話が見えないから、君も入ってきなさい。背中流してあっちこっち洗ってあげるから」
ここでうっかり正直にこれまでの事を話すと、利口な彼女には僕の能力まで読み取られてしまうかもしれない。
なんとかうまい事はぐらかしてやろうとの思案は、たいして役に立ちそうにない事態になってきた。
「いや、そのなんなんだわ」
「恥ずかしがる間柄でもないでしょ」
いや、そこまで親しくしていた記憶はない。
蒼かった海が暮れる陽の色と相まって、金色の波を部屋まで一直線に伸ばしてくる。
「御客様に船長から御連絡申し上げます。本船は只今より、当初の予定を変更いたしまして、ミクロビーチ諸島に向かいます。これは、進行方向に発生した嵐を回避する為の措置ですので、なにとぞご理解のほど、お願いいたします。なお、ミクロビーチ諸島での停泊期間は未定ですが、明日の朝には嵐が通り過ぎるものと思われます」
慣れない船での長旅と、昼夜構わずの調査活動で疲れていたのか、この船内放送を聞いてから、僕はいつの間にか寝入ってしまった。
気がつくと外はすっかり暗くなっている。
起きたばかりの髪はボサボサだ。
それを備え付けのブラシでとかしていると「やっと起きた」カノコが、いくらか呆れた風に寄ってくる。
バンドをやっていた頃から髪は長めにしていたので、今回の仕事に見合ったボブを作るのに苦労はしなかった。
「かつらかと思っていたの、でも地毛だったのね。綺麗よね、君の髪って」
カノコは、ここが自分の部屋であるかのような振る舞いで、ターキーのルームサービスまでとっている。
美味そうに焼けた足を手に持って一かじりすると、僕の前に差し出した。
お前も食えと言った感じで少し引いたが、美味そうな匂いに負け、彼女に持たせたままかじりつく。
「もうすぐクリスマスかー」
おっとりしていたら、けたたましくドアを叩く者がある。
所長ならば黙って入ってくるだろうに、随分と忙しない奴を怪訝に思いながらドア越しに外を窺う。
レンズの向こうに、厳ついのが一人と客室担当がいる。
「誰?」
「警察です。ここを開けていただけますか」
「警察に用はありません事よ。何かの間違いじゃありませんか」
「そちらに用がなくても、こちらには聞きたい事があるんです」
「本当に警察の方なら、証明書を見せてくださいな」
「はい、警察手帳です」
ドアの向こうで手帳を見せるが、本物かどうかの判別などできようはずがない。
「ねえ、警察手帳が本物か偽物かって、見分けられる?」
ここは、カノコに聞くのが一番手っ取り早い。
「この船に乗っている人なら、顔を見ればわかるわ。ちょっと見せて」
僕と立ち位置を変わると、少しかがんでレンズの向こうでイラついている男の顔を確認する。
「本物。警察庁のデクよ」
確認できたので、とりあえずロックを解除し、チェーンロックを外す。
所長が用心の為と、自分で取り付けた鍵を三個ばかり開けて、警察のデクを部屋へと入れる。
「なんですか」
僕の質問が言い終わる前に「小倉さんも居たんですか。ちょうどよかった。実は、貴方の部屋で事件がありまして、この御婦人のパートナーが容疑者になっているんです」
事件と言ってはいるが話し方の雰囲気からして、どっちが尻を貸すかでもめた挙句の殴り合い程度だろうとたかをくくっていると「この部屋を捜査しますので、何も触らないでくださいね」
僕には酷くきつい言い方をしてくれる。
「捜査って、何したの」
「麻薬所持の疑いですから、なにとぞ御協力を」
「マ・ヤ・ク!」
取り締まり側の人間が所持の疑いで容疑者で捜査でときたら、いよいよ僕達の正体をばらすしかなさそうだ。
「麻薬なら、うちのワンちゃん使えばいいでしょ。それとも、船に専属のイヌッコロ借りてきた?」
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