第3話 その日暮らしの探偵稼業

 面白そうだという理由だけで進路を決めたまでは許せるとして。

 その結果、日々血が滲むような練習と天賦の才が一体となり、初めてプロと認められる世界の痛烈な洗礼を受けた。

 実技ではカンニングができない。

 いくら過去に遡っても練習風景を眺めるだけ。

 いっこうに上達しない。

 仮に過去への逆行で技術的に優れた演奏ができるようになるとしても、実技試験の時には一瞬の居眠りも許されない。

 僕はどうあがいても、他の生徒についていく事ができなかった。

 この事を悟ったのは、入学から一週間だ。

 つまり、一学期の通学は一週間で終え、あとはそのまま夏休みに突入していた。


 九月になって久しぶりに学校へ行ったら、呼び出しが校内の掲示板に張られてあった。

 当然といえば当然の事だ。

 そのまま退学である。

 それからというもの、毎日バンドの連中とロック三昧の日々を過ごした。

 特殊な能力があっても誰かに話せるわけではないし、使ったからとて音楽界で画期的なヒット曲を世に送り出せるでもない。

 多くのロックバンド同様、僅かばかりの出演料では食っていけず、バイトかバンドかどちらが本業か分からなくなりバンドは自然消滅。

 幻のハードロックバンドで僕の青春は完結した。


 それからというもの、出版社でやっていた取材バイトの延長線上にある真似事フリーライターとして、その日暮らしの生活に入った。

 からとて決して家計は楽でない。

 月に一本二本の記事を書いたくらいでは、とても文化的最低限の生活を営むのは不可能だった。

 そこで僕が頼りにしたのが、取材で知り合った探偵事務所の所長だった。

 探偵としているが、その実しっかりはっきり裏家業の人間で、堅気にはめっぽう優しいが関係者には鬼の様に恐れられていた。


 探偵事務所の実態は、各界のお偉いさんや芸能人を追いかけまわし、ゆすりたかりのネタにしたりゴシップ雑誌に記事を売ったり。

 極めてえげつないものだった。

 それでも、表面はなんとか探偵社の体裁を保つ必要があるとかで、僕だけはまともな仕事の担当として雇われていた。

 まともではあるが、根が危なっかしい組織なだけに、依頼される仕事はそれなりの際物が多かった。

 そんな調査仕事でも、僕の場合は居眠りをして過去にさかのぼれば、どうにかこうにか辻褄の合う調査報告書が出せる。

 僕の持つ時空超越の能力について、所長だけは知っている。

 とすべきか、感づかれ鎌をかけられ白状してしまったとすべきか。

 いずれにせよ、能力も含めた会話を気兼ねなくできる数少ない人間の一人だ。

 こんな事情も手伝って、僕と所長はたいていの調査でコンビを組んでいる。


 依頼があれば、調査内容に関係のありそうな場所や人の周辺をうろつく。

 一週間から長い時は一ヶ月ほどやってから居眠りをして、誰も立ち入れなかった所まで詳細に僕が調べる。

 この情報を元に関係者を脅したりすかしたり、あの手この手で現実的証拠を集めるのが所長の役割になっている。

 堅気にやさしく業界人に厳しい性格のまま、所長の顔つきはその時々の感情がはっきり出て実に分かりやすい。

 怒ると般若、穏やかな時は仏のような表情である。

 背丈は160の僕より頭一つ高く、がっしりした体格はパッと見厳つく感じなくもないのが、仏の時の顔がにこやかだとそれを感じさせない不思議な人だ。


 あるとき、所長が女物の着物や洋服にドレスと、抱えきれないほどの衣装を仕入れてきた。

「アズキ、これ着てみろ。合わなかったら返すんだから」

 噂には聞いていたが、所長は本性を僕に向けてきたか。

 仕事とは別に、あんな事こんな事の話にまで発展するとなると、長居する職場ではないような気がしてきた。

「それ着てどうしろって言うんですか」

「潜入だ」

 潜入とは、そのままの意味ならばどこぞの組織に潜り込んで、内部の事情をあれこれ調べるといったところだろうが、そもそも僕の能力を使えば、潜入したい組織から半径二百M以内で一ヶ月も生活していれば中の事情は全てわかる。

 いくらバンドの名残で髪が肩まで伸びているとはいえ、体形がなよっと女っぽくて、二十歳を過ぎているのにまだひげが生えていないからと、女に化けて調査対象に最接近する必要などない。


「その潜入って、意味あります?」

「マトリやってる後輩にせっつかれてな、断れないんだ。頼む! 三ヶ月ばかり女になっていてくれ」

 仏の顔で拝み倒されると非常に断りにくい。

「嫌です。僕、潜入する必要ないですから」

「そこが違うんだよ。大がかりな麻薬取引が有るまでは分かってるんだがな、その取引き場所が世界一周のクルーズ船らしいんだよ。常時二百Mを維持するには、その船に乗るしかねえんだ」

「だとしても、なんで僕が女にならなきゃいけないんですか」

「そこだよな。カップル限定の航海なんだ。ふるってるだろ。俺が女に化けるのも無理あるしー」

 なんだか、仏の顔がただのスケベ野郎に見えてきた。


 三ヶ月、ただで世界一周の船旅。

 そのうえ給料が出るとなれば基本的に断る理由はない。

 ただ、問題は所長の本音だ。

 この機会をいい事に、僕に何等かのいやらしいアプローチを仕掛けてこないとも限らない。

 加えて僕自身の感情として、この人を真向拒否する自信がない。

 三ヶ月も他に知った人がいない船の上で女を演じていたら、僕だってそれなりにできあがってしまうかもしれないからだ。

 そうなったらなったで開き直れば、なんとかその場はしのげなくもないが、世界一周の船旅を終えて現実に帰った時、これはギャップが大きすぎる。

 とてもそんな落差に耐えられそうにないのが僕の本音。

 しかし、このような状況などおかまいなく、自由奔放に生きているのが所長だから尚更始末に悪い。


「旅の間、変な事しません?」

「ああ、キリストに誓って妙な気はおこさねえから、安心して女やってろ」

 たしか、所長は普段から無神論者だと自分で言っている。

 それに、実家は真言宗だと聞いた事もある。

 キリストに誓うあたり、極めてデンジャラスだ。

 かといって、せっかくのおいしい仕事を断る勇気も僕にはない。

「しょうがないな、いいですよ。でも給料は割増してくださいね。三ヶ月間は24時間無休って事になるんですよね」

「まあ、そうなるが、お前の能力を使うんだ、普段は船の中をうろうろしていればいいだけだ。半分遊びだと思えるだろ」

 そんな事なら、はなから気づいていた。

 ただ、ちょっとだけごねてみたかっただけだ。

「特別手当はつけるから、その辺のところはきっと満足してくれると俺は信じている」

 言い終わるやいなや、所長がパンパンと手を叩く。

 すると、本家の組から連れてきただろう柄の悪い兄ちゃんが五人ばかり入ってきて、いきなり僕の両手両足を抱えて抑え込む。

 慌てる暇もなく麻酔をかがされて気を失った。


 気づいた時には、病院らしき個室のベットに寝かされていた。

 部屋には誰もいない。

 何事が起ったのか、拉致されるいわれもなければ、そんな雰囲気でもない。

 すっきりしない目覚めで体が思うように動かない。

 とりあえずここがどこか確認してやろう。

 ふらつく足で窓から外を観察する。

【御鎌田美容整形】………すっかり暗くなった駐車場の先に、看板がライトアップされている。

「美容整形?」

 整形手術をされたような感覚はない。

 ………とも言い切れないか。

 唇やら頬に突っ張った感じがある。

 まさか、冗談で人の顔をいじくったとも思えないが、そこは異常が日常の連中の成す事。

 絶対にやらかさない悪戯と断言できないから怖い。


 恐るゝ、部屋に設えられた鏡の前に立てば、顔がしっかり腫れぼったくなっている。

 むくんだのなら顔全体に広がるだろうに、頬と下唇だけが正常時よりふっくらとして、おっとりした感じの女顔ができあがると予想できる。

「潜入の為にここまでやるか!」

 思わず大声が出てしまった。

「おー、起きたか」

 僕の叫びを聞いたか聞いていなかったのか、何食わぬ顔の所長が、フルーツの盛籠と仏壇にあげるような花束を持って病室に入ってきた。


「どういうつもりですか、人の顔を勝手にいじくって。犯罪ですよ、傷害事件ですよ!」

「化粧で大体は誤魔化せるとしても、下地だけはしっかり作っておかないとな。慣れないだろうから、二三日入院って事にしてもらったから。あとは出航までの二週間で、この御姉ちゃん達に女としてのたしなみってのをしっかり教わるように」

 まったく人の話を聞いていない。

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