第2話 恐怖の折り紙事件
「折り紙しましょうねー」
先生と称する人間が、目の前に色紙を置く。
廻りを見れば、この紙をくしゃくしゃと折ったり曲げたりねじったり。
生まれてこの方、一度たりとも色紙に触れた事がない。
ましてや、折り紙など知りよう筈がない。
そんな純粋無垢な幼児に対して、いきなり折り紙なる難題を吹っかけておいて、あとはほったらかしの野となれ山となれ。
左遷か何かで御役所から回されたのか。
それとも、当時の教育現場はどこへ行ってもこんなものだったのか。
周囲の状況から、目の前の紙を何がしかの形に変えてやればいいのだろうと判断した僕は、ある芸術的な手法に気づいた。
渡された色紙をちぎって細かくし、あれこれ並べてやる。
これは確実に金賞ものだと自負していたところに、ゴツンと拳固が落ちてきた。
「何してるの、切っちゃダメでしょ!」
何一つアドバイスもしないで、まだ年端もいかない子供の前に色紙を置いただけで、仕事を終えたと勘違いした大馬鹿女が、理不尽この上ない制裁を僕に下したのだ。
今では異臭と言われても否定できない脱脂粉乳の香りが、隣のアルマイトボールに注がれる。
子供にとっては、とっても有り難い駄菓子もついている。
ところが、折り紙事件の制裁として、当然の如く僕の分はない。
入園したばかりの幼稚園児に対して、これほど残酷な刑を思いつく者達に、アパルトヘイトの恐怖を感じた瞬間である。
たとえ思いついたとしても、良識ある教育者ならば実行したりはしない。
僕は、この時から教育者と名乗る全ての生物が信じられなくなった。
こんな中、ただ一人だけ心を許せる先生がいた。
まだ先生になったばかりであろう。
色白で綺麗なその人は、普段から異端児扱いされていた僕を差別する事なく、真っ当に接してくれた。
と言うより、他の子より優遇していたように記憶している。
今思うに、彼女の色白は眼皮膚白皮症 によるものであったようで、きっと子供の頃から差別されていたのだろう。
同じような境遇となっていた僕に対する、同情があったのかもしれない。
お昼寝の時間には、一緒のタオルケットで添い寝してくれた。
ある時、ふいに母乳が懐かしくなり、また近所の御姉さん達とのお遊びも脳裏をかすめ、先生に「オッパイ」とせがんでみた。
当然の回答で「オッパイはだめ」
だが、そのかわりといってはなんだかんだと、タオルケットの中では先生の手が、御姉さん達とのお遊びと同様に僕を可愛がってくれた。
この先生は時々、幼稚園で一番の美少女と評判されていた子と僕を呼んで、大人ごっこをしてくれもした。
今昔東西、変態とされる域に達していた先生であったのは確かだが、何故か僕も美少女の子も、先生が自由に操る着せ替え人形になっている事に幸せを感じていた。
こんな幼稚園ライフをエンジョイしていると、先生にしてもらったあんな事こんな事を思い起こす時が幾度となくあった。
その度、僕は軽く仮死状態になり、幽体として甘美な思い出の世界に浮遊していた。
この状況へ何度も行き着くと、自分は過去へ自由に行き来出来るのだと気づいた。
これは、幼稚園時代における最大の発見である。
そして、能力の利用価値が無限であると気づくまでに、一年とかからなかた。
小学校に入って、本格的に勉強やテストが始まると、過去へ行ける能力はその威力を存分に発揮した。
授業中は学級崩壊の元凶たる危険人物であっても、試験の日となればテスト問題となっている個所の授業日に戻り、教科書を覗き見れば完璧な答えが書ける。
始めのうちは問題の内容と覗くべき授業の日が上手くかみ合わず、順調な滑り出しではなかった。
そのうち、毎回の授業で教科書の広範囲をめくるようにした結果、だいたいの日に戻っても正解が出せるまでになった。
ここまでくると、学年トップを取るのは容易い事だった。
翌年、学年の最初に教科書を受け取った時点で、全てのページをいったん広げて見るようにした。
こうしておけば、何月何日だったかも気にしなくていい。
新学年が始まった日にさかのぼるだけだ。
これにも慣れると兄の教科書をあさって、めくりめくり眺めるようになった。
試験をやれば、五つ年上の兄と同じ内容の教科を完璧にこなしてしまう僕は、やがて近隣から天才と呼ばれるようになっていった。
勉強らしき事と言えば、教科書をパラリパラパラと一二度やってみる。
それだけで全て記憶し、どんな難問でも解いてしまうのだからさもありなん。
この頃になって、勉強以外に能力の使い道はないものかと思案し始めた。
試験以外の使い道として思いつくのは簡単なもので、近所に住まうあの娘やこの娘。
普段の生活状況を観察したいという、いたって正常に噴き出す欲望からなる行為の実現だ。
始めたまでは良かったが、色々と試している過程でどうにも救いようのない欠点がある事に気づいた。
自分が居た時代ならば幽体となってさかのぼれる過去も、その範囲が当時の座標から半径二百Mに限られているのだ。
猫の活動範囲とたいして変わらないこの距離。
更なる外に行こうとすると幽体は身動き取れなくなり、先は真っ暗で何も見えない。
希望するところは実に単純で、たいして苦労しないと思っていた分、この制約は極めて絶望的なものであった。
隣近所が離れていたせいで、許容範囲にターゲットが居住していないのだ。
夜の入浴シーンを願うなら、その時間帯に標的とする娘の家から二百M圏内に僕が存在していなければならない。
そんな小学校の高学年になって、千載一遇の好機がやってきた。
体育授業のために、プール建設が持ち上がったのだ。
貧しい時代の小学校という事もあって、更衣室などはなかった。
体育の授業では、みんな器用に服をかぶったまま体操服に着かえていたものだ。
そんな愚行も水泳となれば別だ。
必ずや、全ての女子を視漢できるものと確信した。
早く実現しないかと心待ちにしたが、実現は僕達が卒業した翌年だった。
またもやここでも外した。
もはや、勉学というかカンニングというか、試験の成績を優秀に保つだけのつまらない能力に思えてきた。
失意のまま中学に入ってすぐ、知能試験なるものが行われた。
人口は少なかったが、大人の楽しみがあっち系統に偏っていた地域で、生徒の数は多かった。
とはいっても、まだまだ田舎だった頃の事。
一学年に百人程度の中で、千人に一人とされていた秀才が二人もいると大騒ぎになった。
過去に経験のない試験で、僕は試験中に居眠りに似た仮死カンニングに走る理由がなかった。
ただ支持されるがまま、ゲーム感覚で楽しんだだけ。
二名の生徒名は公表されなかったが、担任の教師がそれとなく「お前だ」といった意味合いの事を告げてきた。
そんな筈はない。
基本的に今までの成績全ては、カンニングによって蓄積されてきたものだ。
つまるところ、僕は幽体離脱による過去への逆行という能力を除けば、たんなる凡人でしかない。
と、この時までは思っていた。
「……僕って、秀才?」
密かにほくそ笑んだものだ。
基本となる知能が秀才レベル。
その上、条件付きではあるものの時空超越が可能となると、ただものでいられる道理がない。
このままノンべンダラダラやっても、平均的家庭を築けるのは確実だ。
本気を出して世界征服も夢ではない状況に、さて、どうしたものか。
もう一人の秀才ってのが誰かも気になる………。
自分の将来について真面目に考えたのは、この頃だけだった。
結局、なにを生業とするのか、まったく進行方向を見いだせないまま三年が過ぎて卒業。
進学はしたが、通学時に満員の電車やバスで揉まれるのが嫌で、歩いて通える高校にした。
適当に授業を受け、適当にアルバイトをして、適当にクラブ活動に参加する。
ありふれた学生を演じて三年。
進学か就職かの段になって、僕は勉強が嫌いだと確信していた。
大学に行く意味はないのだが、当時夢中になっていたロックバンドの流れから、音大へと進路を決めた。
ただし、プロの音楽家で食っていけるとは思っていなかった。
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