第19話 その光景

 呼吸は整った。

 その間は怪物……『静寂』も動きを止めている。

 傷の修復に集中しているのだろう。


(どう……すればいい……)


 心中に絶望の暗雲が広がるウィリアム。

 雷霆は通じなかった。

 現時点での自分にはもうこの怪物に決定打を与えられる攻撃がない。


「おしまいなの?」


 キリコの声がフロアに響く。

 拍子抜けだ、とその声色に滲んでいる。


「残念ね。貴方はとても強いと聞いていたのだけど」

「…………………………」


 俯いているウィリアム。

 ……しかし、彼は絶望感で身動きが取れなくなっているわけではなかった。


 自分にはあの怪物に有効打を与えられる方法がない。

 からのだと……。


(そんな風に言えるなら、今頃こんな所で戦っていなかったかもしれないな)


 フッと苦笑するウィリアム。

 自分に怪物を倒せる方法がないのなら、それをどうにかしなくてはいけないということだ。


 ……考える。


(やはり跳んではダメだ。どうしても威力が削がれる。

 自分の得意とする踏み込みからの一撃がいい。

 そうなると上段はダメだ。まるで怪物に届かない。

 ……下段からの斬り上げでいく事にしよう)


 ウィリアムは剣を握る自分の手を見る。


(片手持ちでは威力が足りなかった。

 両手で持つ。より力任せで狙いがぶれやすくなるがあの巨体だ、問題はあるまい)


 つまり走りこんで奴を下から両手で渾身の力を込めて斬り上げる。

 ただのそれだけだ……それだけ。


「ふふ、いい表情かおね」


 思案するウィリアムを見てキリコが微笑んだ。


(たったそれだけの事だ。それだけの事に、今の自分の全てを乗せよう)


 方針は決まった。

 ウィリアムが構えを取る。

 ……今だけ、この瞬間だけは他の全ての事を忘れる。


 エルフたちのことも。

 カルラのことも。


 脳内で諸々の映像が白く塗りつぶされていく。

 そしてすべてが白く消えた瞬間、ウィリアム・バーンズは地を蹴った。

 己の全てで手にした剣を真上に振り抜く。


『雷霆』とは知らない誰かの付けた呼び名で、彼には自分の技に名前を付ける趣味はないが……。


 いつか、この一撃も誰かが呼び名を付けるのだろうか。


 一筋の白い光が怪物を通過し、隔壁も通過し、研究所そのものを走り抜けて空へと消えていく。


 その光景を隣のビルの社長室から見下ろしていたメイドが……。


「悪くない一撃ですね」


 表情もなく、ただ一言そう評した。


 ────────────────


 ウィリアムの放った一撃は怪物ごと研究所を両断していた。


 周囲が轟音と共に崩落を開始する。

 怪物は今度こそ両断され、その名にそぐわぬ恐ろしい雄叫びを上げもがき苦しみながら左右ばらばらに崩れ落ちていく。


 そして、柳生キリコはその断面に近い位置に立っていた。


「!!! しまった!!! ……キリコ!!!」


 彼女のすぐ真上が倒壊を開始したことを目視しウィリアムが叫んだ。

 瓦礫が、鉄骨が……彼女の頭上から降り注ぐ。


 それを白衣の女性が見上げる。

 白衣のポケットに手を入れたままで草原で風を浴びるかのように穏やかな表情で。


「想像していた通り」


 は本来であれば両親を失ったあの日に彼女のものになっていたはずのものだった。

 今日まで幾度となく夢想してきたその瞬間が今訪れようとしている。

 眼鏡の奥の瞳を眩し気に細めて彼女は微笑んでいた。

自らに迫る致死の雪崩を目にして穏やかに笑っていた。


「……とても、綺麗ね」


 その最期のささやきは轟音と共に降り注いだ瓦礫の向こう側に消えてった。


 駆けつけてきたウィリアムが目の前の惨状に絶句する。


「……………………」


 瓦礫の下からキリコの白い手が覗いている。

 そして床に流れている夥しい量の血……。


「……どうして逃げなかったんだ」


 立ち尽くすウィリアムが拳を握り締めて苦い声で呟いた。


 ────────────────

 半壊した研究所を後にしてウィリアムが本拠地らしきビルへと足を踏み入れた。


「……!!」


 驚愕しすぐに足を止めるウィリアム。

 入ってすぐは開けたロビーになっていた。

 中央にはガイアードグループのロゴがオブジェにされたものが飾られている。


 そして、その奥から靴音を響かせてメイドが……カルラ・リュヒター・ベルデライヒが姿を見せた。

 ウィリアムが息を飲んだのはその彼女がぐったりしたパルテリースを抱きかかえていたからだ。


「パルテリース!!」

「彼女が先にここに到着したので眠らせておきました。後に残るような怪我はさせていません。安心しなさい」


 そう言ってカルラはパルテリースをウィリアムに預ける。

 そして彼女は上階へ通じるエレベーターを見た。


「あの上の社長室にエルフの娘がいます。私に勝てたら連れて帰るのですね。その娘はその辺りに寝かせておきなさい。近いと貴方も戦いに集中できないでしょう。外へ出ますよ」


 一方的にそう言ってカルラは先に建物を出て行ってしまう。

 ウィリアムはロビーの長椅子にパルテリースを横たえるとその後を追った。


 そして2人が辿り着いたのは工場棟に隣接する開けた空き地。

 彼らの知り得ぬ事ではあるが新しい工場が建つ予定のエリアだった。

 

 乾いた風が土埃を舞わせる。

 そんな中で両者が対峙する。


 アトカーシア家最後の魔女、レイスニールの魔人ウィリアム。

 ヴェゼルザーク家最強の魔人カルラ。


「警告はしました。それでも来たという事は今日が貴方の命日になるという事です。何か言い残すことがあるのなら聞いておきますが」

「何もないよ。……それに、死ぬ気もない」


 小さく首を横に振ってウィリアムは剣を構えた。

 対するメイドは徒手空拳だ。

 武装があるのかどうなのか。

 少なくとも剣のように外から携帯がわかるような武器は持っていない。


「そうですか」


 短く返答しカルラは目を閉じた。


「貴方にもしが見えるのなら、私とも少しは勝負になるかもしれませんね」

「……?」

 

 カルラのセリフにウィリアムは訝し気に眉を顰める。

 その瞬間。


 全てが途切れた。


 映像も、音も、何もかも。


 ただ風が吹いている。

 土埃が舞い上がる。


 ウィリアムは……いない。

 立っていた場所にはもういない。

 その遥か後方の工場の壁に先ほどまでは無かった大きな穴が空いている。


「残念、失格です」


 そう言ってカルラはハイキックの姿勢のままで高く上げていた右足を地面に下した。




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