第20話 性分だから

 ガイアードテクニクスの最上階にある社長室。

 その部屋の主は今は不在であり、応接用のソファの上には縛られて猿轡を嚙まされたエルザが寝かされている。

 褐色の肌のエルフは先ほどからずっと焦燥感に駆られていた。

 自分が人質に取られた事など当然彼女は理解している。

 先ほどからエリア内が俄かに騒がしくなった。

 爆発音が何度も聞こえているし地響きと共にビルが揺れたこともあった。

 それが自分がここにいる事と無関係とは思えない。

 見張りだったのか、ずっと自分の傍にいたメイドの女も先ほどどこかへ出て行った。


(うう……先生……)


 ウィリアムの顔を思い浮かべて彼女はギュっと目を閉じる。

 その彼女の耳にエレベーターの駆動音が聞こえた。

 見るとフロアランプが段々と上階へ……この階へ近付いてくる。

 やがてポーンという軽快なアラームが鳴りエレベーターの扉が開く。


 入ってきたのは先ほど出て行ったばかりのメイドだ。

 そのメイドは無言でエルザに近寄ってくるとその戒めを解いた。


「貴女にはもう用はありません。お引き取り頂いて結構です」

「お引き取り……!? 先生は? 皆はどうしたのだ!?」


 事務的に言うカルラにエルザが驚いて尋ねる。


「彼はここへは来ましたが残念ですが貴女を連れて帰ることはできません。お一人でお戻りください」

「…………………………」


 少しの間茫然としていたエルザ。

 やがて彼女は何かを決意した表情になりソファに腰を下ろした。


「帰らない。我はここで先生たちを待つ。戻るのなら皆一緒だ」

「……そうですか」


 その事をカルラは否定もせず、馬鹿にするわけでもなく……。


「では、もう少し待ってみましょうか」


 そう言うと静かに目を閉じた。


 ────────────────


 重たく冷たい泥の沼から這い上がってくるような感覚で徐々に意識が覚醒してくる。

 目を覚ましたウィリアムが最初に意識したのは全身に走る激痛だった。


「……ぐ……はッ!」


 吐いた血が床に滴る。

 ひゅうひゅうと荒い息を吐きながら彼は周囲を見回して状況を確認しようと試みた。


(意識を失っていたのはどうやらそう長い時間ではなさそうだ……)


 自分は薙ぎ倒した機材や資材に埋もれるように倒れている。

 工場の中は昼間だが明かりが灯っていないので薄暗い。

 見れば壁に大穴が開いていた。

 自分はあそこを突き破ってここへ飛び込んできたようだ。


 手を突いて、立ち上がろうとして……。


「ぐっ!! うぅ……」


 痛みに呻き声を上げるウィリアム。

 幸いにして手足の骨に異常はないようだ。

 ガクガクと揺れる五体に鞭打って彼はようやく立ち上がった。


 呼吸が定まらない。

 あの瞬間、自分が何をされたのかも彼は正確に把握できていない。


(攻撃を……食らった。恐らく、蹴りだったように思うが……)


 胸部中央に強烈な一撃を受けたという事だけはわかる。

 今も全身を蝕んで脳を激しく揺らしている痛みはそこからくるものだ。

 何をされたかも認識できていないのだ。

 回避も防御もできるはずがない。


 ……それは勝ち負けとか、到底そういうレベルの話ではなかった。

 巨象に踏まれた虫が運よく命だけは失わずに済んだという、そういう話だ。


 ……だから……。


(行かなくては)


 これからもう一度、彼女に挑もうとしている自分は……。


(エルザを……連れて帰る)


 きっとどこかが既に壊れてしまっているのだろう。


 ウィリアム・バーンズは足を引きずるようにして歩き出す。


 自分が誰より強いだとか弱いだとか、そんな事はどうでもいい事だ。

 大事なのは真っすぐ生きている誰かが笑って物語を終えられる、そんな大団円ハッピーエンド

 その為ならまだ、もう少しだけ戦える。

 自分はいつもこうしてボロボロだが、それも流石に慣れてきた。

 ……性分だからと苦笑して。

 ウィリアム・バーンズが剣を握る。


 エレベーターの戸が開く。

 ガイアードの社長室。

 目の前にはカルラとエルザがいる。


「先生ぇぇ……」


 彼の姿を見たエルザが大粒の涙をぼろぼろと零した。


 大丈夫だ、待たせたね、一緒に帰ろう……彼が頭に思い浮かべた言葉はどれも、もう実際に声にはなってくれなかったが。


 ……そして、立ちはだかるのは最強の魔人メイドカルラ・リュヒター・ベルデライヒ。


「実力差は先ほど示しましたよ。何をする気ですか、何ができますか、貴方に」


 確かめるまでもなく目の前の男は瀕死であり、辛うじて立っているだけの状態だ。

 なのに、何故……。


「それとも、もう一度この一撃で彼方へと消えますか……ウィリアム!」


 何故本能が全力の一撃で迎撃しろと警告を発しているのだろう。

 カルラは不思議に思う。


 神速の上段蹴ハイキック

 単純にして最強の無慈悲な裁きの鉄槌。

 カルラは戦闘でこれ以外の技を用いることがほとんどない。


「……!!!」


 その一撃をウィリアムが回避する。

 最早満足に走ることもできない彼は自分の身を前方に投げ出すようにして間一髪で蹴りをかわす。

 彼の側頭部を掠めたカルラのブーツの靴底が灰色の髪を数本散らせた。


 そしてそのままその前方へのダイブは踏み込みになり……。

 振り上げた剣は右の上段に。


「やりますね」


『雷霆』がカルラを捉える。

 肩口に炸裂した必殺剣はメイドに鮮血を噴き出させた。

 放ち終えた時点で……あるいはそのもっと前から、ウィリアムの意識は無かった。

 そのまま体当たりの体勢になり2人がフロアの床に倒れる。


(戦闘で出血するほどの傷を負わされるのは何十年ぶりか……)


 カルラが上体を起こし肩の傷の痛みに顔を顰めた。

 自分に傷を付けた男は抱き着くように意識を失っている。


「甘い採点ですが、今回は私が退いてあげましょう。……貴方の勝ちです、ウィリアム」


 不戦敗を宣言して微かに微笑むとカルラは眠るウィリアムの頬にそっと手を触れた。


 ────────────────


 ジャングルの中をエイブラハムが単身走っている。


「クソッタレが! 全部無くしたか……途中までは順調だったのによ。まあ、しょうがねえ。……だが、また0からやり直すぞ」


 忌々し気に葉巻を吐き捨てるエイブラハム。

 彼は今逃走中だ。

 森の工場を捨て、この島も捨てて早めに脱出しなくてはならないのだ。


 そのエイブラハムの前方に立ちはだかる影がある。


「タバコを森に捨てんじゃねえよ」

「……貴様ぁ」


 仁王立ちする緒仁原トウガ。

 黒髪の巨漢は首を左右にゆさゆさと振ってボキボキと鳴らした。


「知ってるか? 責任者ってのは責任取るからそう呼ばれてんだとよ」

「アウトローが……オレならどうにかできるとでも思ったのか?」


 そう言うとエイブラハムはネクタイを緩め腕捲りをした。

 血管の浮いた剛腕が外気に晒される。

 拳闘ボクシングの構えを取るエイブラハム。


「オレは元々コイツでのし上がってきた男よ。かかってきなブチのめしてやるぜ」

「いいねぇ~。実は俺もそれでのし上がろうとしててよ。一つ後輩の踏み台になってくれよ」


 犬歯を見せて獰猛に笑うとトウガも構えを取るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る