第12話 カレー屋に咲く氷の華
海釣りから戻った翌日。
ウィリアムたちは休息を兼ねて各自が自由行動の日という事にした。
エトワールはパルテリースと一緒にショッピングに行ったようだ。
トウガは「財布がカラで……」と渋い顔をして港へ向かった。
例のワンパンパフォーマンスで生活費を稼ごうというのだろう。
ウィリアムは1人アンカーの街を散策している。
この単身での散策は彼の旅先で必ず行っている既定の行動であり、この時は他のメンバーはわきまえて同行しない。
一緒にいれば彼が異国の情景を記憶に焼き付けるのに集中できないとわかっているからだ。
見知らぬ街を1人で歩く。
これが旅の醍醐味であると彼は思っている。
あちこちを巡り気付けば太陽は頭の真上に来ていた。
そろそろ腹の虫が騒ぐ頃合いである。
(食事にするか……何を食べるかな)
ここだけの話なのだが、正直パリリンカの料理の味付けはあまりウィリアムの好みではなかった。
なので無理に郷土料理に手を出さず定番のもので腹を満たしたいと彼は考える。
ちょうどそこに食欲を刺激するスパイスの香りが漂ってきた。
「カレーか、いいな。良し昼はカレーにしよう」
スパイスの料理と言えば誰もが思い浮かべるであろうカレー。
このタイミングでカレー料理の店が見つかるとはまさしく天よりの啓示だと足取りも軽く店に入ろうとしたウィリアムだが……。
(お……)
そこで彼は珍しいものを見て思わず足を止めていた。
昼時という事もあって盛況な店の中、カウンター席に1人座ってメイドがカレーを食べている。
ゴシック調のロングスカートのメイド服は店の中で浮いており、他の客も時折ちらちらと彼女の方を窺っているようだ。
冬場に咲いた花のような彼女の怜悧な美しさはその彼女の周辺にだけ賑やかでスパイシーな香り漂う店内に異質な空間を作り出しているのだが、本人はそんな周囲の好奇の視線などまるで意に介していないように規則正しく行儀よくスプーンを口に運んでいる。
そんな彼女にウィリアムは見覚えがあった。
この島へ来る時の船の中で結局名前は聞いていないが親切な初老の紳士に付き従っていたメイドだ。
(そりゃ、メイドだってカレーを食べるか)
わざわざ声を掛けて挨拶をする程の知り合いというわけでもない。
彼女から少し離れた席にウィリアムは腰を下ろした。
「……!?」
そして彼は驚いて一瞬呼吸が止まった。
メイドの座るカウンター席には皿が3枚重ねられている。綺麗に食べ終わった後の皿だ。
つまり彼女が今食べているのは4皿目という事になる。
そしてウィリアムが見ている前でメイドはその皿も綺麗に完食した。
ふう、と小さく息を吐くとメイドはコップの水で喉を潤して……。
「同じものをお願いします」
……5皿目を頼んだ。
まったく躊躇する事もなく。
まるで最初からその予定です、と言わんばかりにはっきりと。
(いやいや、世の中には大食漢の女性がいるものだ)
ウィリアムが思い浮かべたのは身内の能天気ハイエルフだ。
ただ彼女の場合は特殊な経緯の後天的エルフだったり母親も異次元の胃袋をしていたりで一般論に当てはめて考えていいものか判断付きかねる部分があるのだが。
ともあれ、そこまでの味なのだろうか。
ウィリアムの喉が鳴る。
味が良くなければ続けて同じものを頼もうとは思わないはずだ。
ちょうどそこにウェイターが注文を取りに来た。
「あちらの女性が召し上がっているのは?」
「ハイ、牛すじの煮込みカレーデスネー」
褐色の肌の青年ウェイターが笑顔で答える。
「そうか。では私も同じものをお願いします」
「カシコマリマシテー」
若干おかしい言葉遣いで了解すると厨房に消えるウェイター。
そのやり取りが耳に入ったのかメイドが振り返った。
目が合うと若干照れ臭く感じながらウィリアムが会釈する。
それに対しては特に反応することもなくメイドは自分の皿に視線を戻した。
かと思えばおもむろにメイドは席を立った。
そして自分の皿を手にウィリアムの席までやってくる。
「……!?」
そして驚いているウィリアムの目の前の椅子に腰を下ろした。
1つの小さなテーブルを挟んで両者は向かい合う形に落ち着く。
「相席よろしいですか」
それは尋ねているというよりは確認しているような口調だった。
大体がいいも悪いも既に彼女は座ってしまっている。
「あ、ああ……どうぞ……」
動揺したウィリアムは反射的にそう返事をしてしまっていた。
そして彼女は目の前に座る男の事などまるで目に入っていないかのように食事を再開した。
(どういう事だ……?)
状況が掴めず困惑中のウィリアム。
そこに彼の頼んだカレーが運ばれてくる。
皿を置いたウェイターが「ゴユックリドウゾー」と奥へ引き上げるとメイドがスプーンを止めた。
「貴方はなかなか見る目がありますね」
「……はい?」
唐突なメイドの言葉に間の抜けた返しをしてしまう。
鉄面皮のままの彼女が自分に話しかけてきた。
「ここの牛すじカレーは絶品です。これに目を付けるとは中々やりますね。私はここ一週間3食毎日ここでとっています。すべてのメニューを試してこれが最高であるという結論に達しました」
んぐっ、と飲み込みかけたカレーを噴き出しそうになり必死にウィリアムは耐えた。
いくらカレー好きなのだとしても極端過ぎる食生活である。
「福神漬けですか? ラッキョウですか?」
「ええ? ああ、私は福神漬けが好きかな……」
ウィリアムの答えに気持ち満足そうにメイドが肯く。
「いいと思います。取ってあげましょう」
そう言って卓上の器から福神漬けをウィリアムの更に取り分けてくれるメイド。
ウィリアムは戸惑いっぱなしなのだが対照的にメイドは清々しいまでにマイペースだ。
……確かに、牛すじカレーは辛さと美味さのマッチングが絶妙で絶品だった。
結局、ウィリアムが1皿食べ終える間にメイドはさらに2皿を完食した。
そんなに手の動きが速いわけでも一口が大きいわけでもないのに異様な速度で食べ終える、不思議である。
食後にウィリアムが水を飲む。辛さで少し汗をかいていた。
食事には大層満足できたのでこの暑さも心地よい。
「貴方はどうやらいい人のようですね。カレーが好きな人に悪い人はいません」
唐突にそんな事を言われたのだがウィリアムは返事が見つからず反応ができなかった。
随分危険な考え方の気もする。
カレーが好きな悪人もいるんではないかと彼は思った。
「ウィリアム・バーンズ」
唐突に名前を呼ばれて彼の頭の中は真っ白になる。
……彼女には名乗ったことはない。
「貴方はいい人のようなので警告してあげます。密林のガイアードテクニクス社のエリアに近寄らないように」
「!!?」
驚愕に目を見開いたウィリアム。
カレーを食べた熱が一瞬にして冷めたような気がした。
周囲の喧騒は一気に遠のき、世界にはウィリアムとメイドの2人が残される。
「旦那様は貴方を排除する仕事を請け負いました。もしもガイアード社のエリアに侵入してくる事があれば私が貴方を抹殺することになっています」
メイドが席を立ちあがって完璧な作法で一礼した。
「私はカルラ・リュヒター・ベルデライヒ」
カルラと名乗ったメイドの静謐な視線がウィリアムを捉えている。
「貴方と同じ
「…………………………」
ウィリアムの返事はない。
この時点で彼は、このカルラとの対決が不可避になった事を直感していた。
「いいですね。
そして彼女は会計を済ませて店を出て行った。
ウィリアムは立ち上がることも声を掛けることもできずにその背を見送る事しかできなかった。
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