第3話
気温が少し上がり、緑が濃くなるのとともに遅咲きの桜が膨らみ始めた。少し離れたところにある草花はひと足早く開花を迎えて、そこに群がる虫たちも桜の開花を待っているように思える。
いや、きっと待っているのだ。虫だってきっと桜が咲けば嬉しいし、その花に群がることだろう。そうなると人間としては少し風情がなく感じてしまうだろうが、きっとそうなっているところにしかない風情もあるはず。それをしっかり見いだせるかどうかは、僕の受け取り方の問題だ。
「あそこの虫は花の蜜を吸う虫。桜に付くのは葉っぱを食べる虫だから、虫たちは花が咲こうが咲くまいが関係ないと思うよ。だから少年の探している風情はどこにもないかな」
ついでに、ここの桜は薬剤散布しているから害虫はつかないの。あんしんだねっ!とにっこり微笑みかけて僕の思考を邪魔するのは、まだ咲く前の桜よりずっと濃いピンクの頭。それから意識を逸らして桜を見ていたのは、僕の現実逃避である。
「えへへ、あんなふうに帰ったのに、少ししたらまた顔出してくれるなんてうれしいな。やっぱり少年も私に会いたかったんだよね。もうこれ、両思いだよね?だから名前教えて?」
普段の下校時間よりも少し早いタイミングで来れば、同じ高校のはずのピンクはいないだろうと踏んで訪れた公園には、そこにいるのが当然のような顔をしたピンクがいた。ピンクがいて、僕を見つけて嬉しそうに手招きした。
「会いたくなかったから昨日も一昨日も来なかったし、今日だって早い時間に来たんだよ。あと冗談のつもりなんだろうけど、そういうのは仲良い人じゃないとこわいだけだからやめてほしい」
ほとんど知らない相手から、勘違いストーカーみたいなことを言われても笑えない。単純に恐怖をかきたてられるだけである。そのことを伝えると、ピンク頭は直前までの笑顔を潜め、しょんぼりした様子になった。反省してくれたのだろうか。
「私はこんなに会いたかったのに……いけず。それに私にとっては一番仲良しなのが少年なのに、仲良い人じゃないとって言われたらもう誰にも言えないじゃん」
肩を落としながら恨めしそうにこちらを見るピンク頭は、幸いなことにそれほど仲良くないという自覚は持っていたらしい。もしこれで仲良しだと思い込んでいるのであれば、念の為警察に相談することも考えなければならなかったので、そうならなくてよかった。好き放題奇行を繰り返していた僕は警察から嫌われているので、相談に行くのは気まずいのだ。
「……ねえ、変なこと言うから、少年は私の事嫌なの?それともなんの関係もなく、ただ私のことが嫌なの?」
会いたくなかった、と言ったことを気にしているのか、しおらしくなったピンク頭がすがるように言う。本当に、なんで僕なのだろう。この公園を通る人が少ないとはいえ、僕でなければいけない理由なんてないはずなのだ。
なのに、このピンク頭はどうやら僕だけにこうして話しかけているように見える。今だって公園の中にはほかの人がいるのに、ピンクは話しかけに行く様子を見せない。これまでだって何人か人が通り掛かったりしたのに、話しかけに行く様子も話しかけられる様子もない。もちろんこれまで偶然知り合いがいなかっただけの可能性もあるが、僕に対してあんな絡み方をしたピンクが他の人に話しかけないのは、ひとつの違和感だ。
もしこれで、誰に対してでもこんなふうに話しかけるのであれば、ちょっと不審だなとは思うけどそういう人なのだと納得できるのだ。そういう人だから僕にも話しかけた、そう納得出来る。
「ピンクさんのことが嫌なわけじゃない。ただ、理由がわからないのにこんなに執着されるのが気持ち悪いんだ」
「それって、理由がわかればいいってことだよね。うーん、どうしようかな。なんて言おうかな。でもいいたくないし……秘密ってことじゃ、ダメ?」
おでこに手を当てて悩んでいるふうに口をモニョモニョさせて、しばらくそのままあーでもないこーでもないとひとりで何やら言っていた挙句、最終的には声音を半音上げながら媚びるように両手を合わせるピンクさん。やっているのが子どもであれば可愛らしい仕草だが、頭がピンクの人がやってもかわいくな……くはないが、それ以上にあざとい。
「……ピンクさんのことは嫌いじゃないけどそういうところは嫌いかも」
「ごめんわかったもうしない。だから嫌いにならないでっ!」
なんでそんなひどいこと言うのー!と目を潤ませながら抗議するピンク頭さん。変わらずあざといが、もうそういう人なのだと思って諦めることにした。そうやって少しフィルターをかけてみてみれば、こんな珍妙な人も愉快な人に思えてくるのだから不思議だ。
「それじゃあ素直になってくれたところで、なんで僕に執着するのか教えてくれる?」
「ごめんだけど、それはちょっと嫌だな。私にだって秘密にしたいことくらいあるし、秘密が女の子を綺麗にするって言うし」
もっとかわいくなっちゃうっ!きゃぴっ!と目の横でピースするピンクさんは、きっとそういうのが嫌いだと言っていることが理解できないのだろう。一瞬愉快な人かと思ったが、やっぱり残念な人だった。
「うぅ……。茶化したのは悪かったと思うけど、でも本当に言いたくないんだよぅ」
残念な人であれば、それなりの目で見るしかない。というわけで、よく向けられる“生ゴミの中に蠢く何かを見るような目”を再現したところ、ピンクさんは顔のところにあげていた手をゆっくり下ろした。言葉でわからない相手でも、目が合えば通じ合えるということを、僕は今日初めて知った。
「言いたくないなら最初から普通にそう言えばいいんだよ。ところで悪いのは茶化したことだけ?」
「……あとは頭とか?」
「自覚があるなら改めたら?」
うぅ……と言葉につまる様子のピンクさん。ところで自慢ではないが僕が通う高校はそれなりの進学校である。つまり、同じ高校に通っているはずのピンクさんだってそれなりに勉強ができるはずなのだ。もしかすると落ちこぼれて非行に走っているのかもしれないが、地頭が悪いということはないだろう。
少年が酷いこと言う……とめそめそするピンクさんが泣き止んでまともに戻るのを待ち、今日は一体なんの用があったのかと聞いてみる。本人が秘密にしたいと言うのだから、きっとそこには何かしらの理由があるはずだ。そうなると、こうやって僕を呼び止めたり、話しかけてくるのだって、きっとただの暇つぶしではないのだろう。
「私が少年と話したいのは、ただ少年と話すのが楽しくて、話をしたいからだよ。その気持ちに嘘はないし、理由もないかな。それとも少年は、理由のない行動が嫌い?」
それなら早めに用件を聞きたいと思う僕の問いに対して、ピンクさんが返したのは聞いているこっちが恥ずかしくなるようなストレートな言葉。普通、そこまで仲良くない相手との会話が好きだとここまで言い切れるものだろうか。いや、無理だろう。となるとやっぱりピンクさんはまともではなくて、そんなまともでない人が僕に対して話しかける理由なんて。
そんなもの、美人局か接客練習、それくらいしかないだろう。そして僕は美人局されるほどお金を持っているわけじゃないので、おそらく接客練習。それも普通のお店ではなく、男を手玉にとって勘違いさせお金を取ることを目的とした店に違いない。
それならどうして僕なのかと少し疑問が残るが、きっと純朴そうな少年なら誰でもよかったのだろう。友達が少なそうで、暇そうで、何度も接触する機会がありそうな相手。なるほどそれなら早い時間に一人帰っている高校生は適任だ。
と、そこまで考えているのであれば、当然僕はピンクさんの言葉に対して嫌いだと返すべきである。嫌いだから、もう話しかけてこないでほしいと伝えて、将来の犠牲者を減らすべきだ。
「……嫌い、じゃないかもしれない」
なのにそう返してしまったのは、きっと僕に友達が少ないからだ。友達が少なくて、会話に飢えていて、さみしいからだ。
間違っても、微笑むピンクさんがかわいかったから、なんて理由ではない。笑顔にほだされたからなんて理由では、ないはずだ。
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